第36話 樫馬神社の巫女誕生

 マヤはいよいよ樫馬神社の巫女として働くことになった。

 さすがに本業を辞めるわけにはいかないということで、巫女の仕事はあくまで副業だ。

 土日祝日などの休みの日のみ、神社へやってきて仕事をすることになっている。


 マヤの自宅からはそれなりに距離があるため、マガルカが直接迎えに来た。

 通勤の手間がかからないのは助かるとマヤが喜んだのも束の間、まずは朝5時起きが義務付けられる。

 起きるとベッドの脇にマガルカが立っているのだから、マヤは軽く悲鳴を上げた。


「ひゃっ!?」

「ほれ、今日から巫女の仕事ぞよ。支度をして向かうぞよ」


 枕元に立つのが霊ではなくて神様というのだから本来ならばご利益だ。

 日本中を探しても、仕事の催促をする神の伝承はどこにもないだろう。

 こうしてマヤは手早く朝食を食べて身だしなみを整えてからマガルカと神社へ向かう。


 神社の境内にはすでに有道がいて箒で掃き掃除をしていた。

 いきなり目の前にマヤとマガルカが現れたものだから、うっかりバランスを崩して転んでしまう。


「い、いてて……マヤちゃん、おはよう……」

「なんかすみません……」


 マヤが来てくれることになって有道は大喜びだったが、これから毎朝驚かされるのかと思うと憂鬱であった。

 未だそこに神様がいるなど信じられず、マガルカに対してはよそよそしい。

 マガルカは見た目だけなら美女といって差し支えないが、有道の食指は動かなかった。


 神という上位存在をそのような対象として見ることができない。

 人間が霊に畏怖するのと同じで、理解を超えた存在の前ではただ平伏するしかなかった。


「有道、巫女服の用意をしろ」

「へ? あれ、用意してなかったかも……」

「何をほざく。そなたの祖母が使っていたものがあるぞよ」

「あー! そうです! 確か蔵に締まってそのままでした!」


 有道が蔵に走っていったのも束の間、鍵がないと騒ぎ始める。

 見つからなかったらマガルカに殺されると感じた有道は家中をひっくり返す勢いだ。

 しかしマガルカの手には蔵の鍵が握られている。


「あっ!? どこにあったんですか!」

「押し入れの奥深くにあったぞよ、バカもの」

「ありがとうございます! さすがは神様! そういえばこの前、プリベイドカードを落としてしまってですね! できればこっちも……」

「そなた自身を遺失物にしてもよいのだが?」


 マガルカの圧は凄まじい。

 有道は軽口を叩いたことを心の底から後悔して土下座した。

 冗談やおふざけをするタイミングではない。


 そのまま有道は蔵に入って巫女服を探すことにした。

 祖母の遺品はまとめて置いてあるので、これはハッキリと場所を覚えている。

 他のめぼしいものは金に困った有道によって売られていた。


 ほとんどが二束三文にしかならず、途方にくれた有道は一つの年代ものの絵を発見する。

 これ良しとして骨董品を鑑定する番組に出演したが、つけられた値段はたったの4000円。

 有名な絵師の作品を真似た贋作だと判明して、しばらく村中の笑いものになった。


「お、まだなんか残ってた。これって実は高く売れないか?」

「有道、やる気がないならこの蔵がお前の墓となるが?」

「仕事一筋! さぁがんばるぞっ!」


 命拾いした有道は祖母の遺品の中から箱を取り出した。

 開けると有道は言葉を失う。

 その巫女服は祖母が使っていたとは思えないほど新品同様に折りたたまれていたからだ。


「こ、これはすごいなぁ……ホントにばあちゃんが着ていたのか?」

「よく手入れされておるぞよ。祖母に感謝するぞよ」


 マガルカは有道の祖母のことをよく覚えていた。

 勤勉で実直、毎朝かかさず境内の掃除をして神社の手入れもかかさない。

 実に50年以上も毎日決まった時間に祈りを捧げて村の平穏を願っていた。


 有道を甘やかしていた点だけは気に入らなかったものの、そんな祖母だからこそ今日の樫馬村がある。

 そんな有道の祖母をマガルカは最期の時まで見守っていた。

 神聖な巫女服はそんなマガルカの加護を受けている。


 数十年が経過しようと虫一匹寄り付かず、それはまるで在りし日の有道の祖母のように綺麗だった。

 有道はおそるおそる巫女服を手に取り、マヤに渡す。


「マヤちゃん。これ、似合うと思うよ」

「こんな貴重なものを私が……」

「着てくれたほうがばあちゃんも喜ぶと思う。これを来たばあちゃんは50年以上、毎日神社で祈りを捧げて働いていたんだ」


 マヤは恐れ多いと感じながらも、巫女服を広げた。

 汚れ一つない巫女服を自分の体に当ててみると、マヤを迎え入れるかのようにピッタリと合う。


「じゃあ、着替えていいよ。外で待ってるからさ」


 有道が出ていった後、マヤは胸の高鳴りが収まらない。

 巫女になるなど未だ実感がわかず、躊躇していた。


「さ、早く着替えるぞよ。あのバカが覗いてきたら二度と太陽の光を拝めなくさせるから安心するぞよ」

「いえ、それはやりすぎです……」 


 マヤは静々と巫女服に着替えた。

 裾に腕を通した時、頭の中で何かが聞こえる。


――あんたになら任せられる


「え?」


 辺りを見渡しても当然誰もいない。

 巫女が不在で荒れ果てていく樫馬神社を心配した有道の祖母だろうとマヤは改めて冥福を祈る。


「マガルカ様。私、立派に勤めます」

「うむ、わらわも感謝するぞよ」


 マガルカは今日、ようやく成仏した有道の祖母を見送るかのように天井を見上げた。


* * *


 マヤは巫女として勤めることになった。

 一連の仕事の流れは有道から教わり、同時に退魔師としての修行もつけてもらう。

 有道は退魔師としては三流もいいところだが、基礎だけは抑えている。


 最初こそ気持ちよく教えていた有道だったが、わずか一週間ほどで雲行きが怪しくなった。

 基礎である霊力の意識から始まり、すぐに護符作りまで難なく行っている。

 護符作りは退魔師の基礎であり、まずはこれに己の霊力を込めること。


 それが成功すれば晴れて厄除けの護符として機能する。

 質は霊力を込める人間に左右されるので、有道のそれはほとんど価値がない。

 それを高値で売りつけていた時期が彼にはあった。


 修行を始めてからわずか半月でマヤは有道の護符とは比べ物にならないものを作り上げた。

 見る者が見ればなかなかの霊力が込められており、これこそ高値で販売する価値がある。


「マヤちゃん。この護符はまだまだ未完成だ。でも一応俺が預かっておくよ」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ、だから……いってぇぇぇーーーー! いてっ! やめろぉ!」


 場所は神社の境内、たくさんのカラスが有道を襲った。

 すぐ近くにはマガルカの姿がある。


「すみません! 売ろうとか思ってないんで! 反省するんでやめてくださいいぃ!」


 有道が涙目になりながらマガルカに許しを請う。

 さすがの彼もこの事態が自然のものではないとわかっている。

 その証拠にカラス達は何かを思い出したように有道から離れていった。


「次はこんなものではすまさないぞよ」

「はいっ! それはもう承知しております!」

「もうそなたがマヤに教えられることはないぞよ。ここから先はわらわが教えるぞよ」

「えっ」


 人生26年、ようやく女性が身近に現れたばかりか弟子にまでなったというのに。

 有道の師匠面人生は早くも終わりを告げた。

 異論はあったものの、逆らえる相手ではない。

 だったら最初からあんたが教えろよなどとは口が裂けても言えなかった。

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