第35話 樫馬神社で祭るもの 5

「わ、私が巫女ですかぁ!?」


 マガルカの言葉をマヤは信じられず、境内に響くほどの大声を上げた。

 その声量の影響で気絶している有道の指がピクリと動く。

 そんなものには誰も気づかない。


「そなたが巫女となれば、わらわも退屈せんぞよ。どうぞよ、やる気になったぞよ。では支度をするぞよ」

「ちょ! ま、待ってください! いきなり言われても困ります!」

「なぜ? わらわの巫女となれば下らん災厄に見舞われる不安などないぞよ」

「あの、心の準備というか……仕事もありますし……」


 マヤがしどろもどろになっているが、巫女というフレーズについてはまんざらでもない。

 マヤ自身、今の仕事や職場に満足しているわけではなかった。

 同僚は嫌いではないものの、いわゆるパリピに属する人間で苦手な人種だ。


 唯一、留美とだけは仲良くなったが会社における飲み会が苦痛だった。

 その上、上司からはややセクハラじみた発言をされる。

 そんな彼らに対しても引っ込み思案なマヤは愛想笑いを浮かべてやり過ごすしかなかった。


「なんで私なんかが?」

「そなたは神に敬意を表して掃除をしたぞよ。あの場であのようなことができる人間など見たことがないぞよ」

「あれはそうすることしかできなかったので……」

「そなたの霊力も巫女として申し分ないぞよ。どうぞよ、巫女になりたくなったぞよ?」


 マヤが俯いて尚も葛藤していた。現実を考えると無数に問題が浮かぶ。

 そんなマヤを見透かしたかのようにマガルカが俯くマヤの顔を覗き込む。


「悩みがあるなら一つずつ言うぞよっ! わらわに解決できないことなどないぞよっ!」

「ひゃっ!?」


 マガルカがマヤに詰め寄り、肩まで掴んでいる。

 人を遥かに超越した存在という畏怖の感情など、どこへ行ったのか。

 マヤは鼻先まで顔を近づけるマガルカに妙な親近感を覚えてしまった。


「お仕事とか……あの、それと。なんと言いますか、お金の問題もありますし……」

「金か、金、金、金。人間社会を堕落させた要因ぞよなー。そんなものが必要なら、そこに倒れている有道からもらうぞよ」

「はいいぃ!?」


 マガルカが指名した有道がようやく頭をさすりながら起き上がる。

 周囲を見渡して夢の中にでもいるかのような仕草だ。


「……呼んだ?」


 有道が寝起きのような一言を放った。

 マガルカが有道の前にしゃがみこんで不気味にほほ笑む。


「有道よ。わらわの加護を当然として、神社や祭りを疎かにしたことは不問とするぞよ。ただしわらわの言うことが聞くぞよ」

「え? あ、あんた誰? ていうか悪霊は!?」

「そんなものより答えるぞよ」

「いや待って! この人は誰だ! マヤちゃん、これはどうなってる!?」


 マガルカのマイペースにも程がある進行に業を煮やした透子が片手から強烈な破裂音を放った。

 透子の力で引き起こされたそれは耳をつんざくかのような音だ。

 マヤや有道、サヨまでもが手で耳を押さえている。


「耳がぁ! 耳がぁ!」

「私が説明するから少し黙って」


 透子は全員を正座させてから一つずつ説明した。

 有道は終始なにが何やらといった感じで、マガルカと透子を見比べている。

 そこにいるのが神などと知ったところで、有道程度では何も感じ取ることができない。

 というよりも今のマガルカはマヤが親近感を持ってしまうほどだ。


「じゃ、じゃあこのマガルカちゃんは神様で俺がマヤちゃんを雇って給料を出せばいいのか?」

「概ねその通りだよ。あなた、お金持ってる?」

「昨日、大負けしたからあんまり……もう2000円しかない」

「……ギャンブル?」


 透子の問いに有道はバツが悪そうに頷いた。

 透子としては他人の趣味にとやかく言うつもりはない。

 元より有道の私生活になど興味はなく、透子は納得したように金色のカードを取り出した。


「そ、そ、それはゴールドカード!? なんでそんなの持ってんだ!」

「私があなたを援助してあげる。あなたは私が渡したお金で生活して、神主としてマヤちゃんを雇いなさい」

「援助!? それってもしかして」

「それ以上想像したら行方不明にするよ」

「こわっ!?」


 すでにマヤが巫女となる前提で話が進んでいるが、本人は一度も承諾していない。

 そんな強引極まりない流れだが、激流のような展開にマヤはすでに流されていた。


「悪い話じゃないと思うけど?」

「確かに……何せ残金2000円だしな。だけど村長がなんて言うかなぁ。余所者なんか雇ってるわけだし……いや、俺は歓迎なんだけどね」

「あなたは余所者を嫌わないの?」

「俺は別にどうでもいいよ。そりゃ嫌な奴はいたけどさ。だからってこの村に誰も寄り付かなかったらいずれ自然に返っちまうわけだろ? 俺はそっちのほうが嫌だね」


 透子は有道の人間性の良さを再確認した。

 有道は私生活や言動にやや問題があるものの、悪い人間ではない。

 悪霊が襲ってきた時にも彼はマヤの手を引いて一緒に逃げようとしたのだから。


「じゃあ決まりだね。有道さんとマヤさん、細かいことは電話で話すから番号を交換しよう」

「お、俺とかい? こんな綺麗な子と番号を交換かぁ。なんだかドキドキしちゃうね」

「それ以上ドキドキしたら身元不明の死体にするよ」

「いちいち怖いんだが!?」


 有道は現在26歳だが女性経験はほとんどない。

 高校時代に同級生に告白して付き合ったものの、わずか二ヵ月で破局してしまう。

 別れ際の「あなたより3DSのほうが面白い」というセリフは未だ有道の心に残り続けている。


 それから大学時代を経て今に至るまで、彼は女性に飢えていた。

 3DSより面白い人間を目指し続ける有道の不屈の闘志は未だ報われない。


「決まりぞよ。ではマヤ、そなたはいつも通りの生活を送るぞよ。巫女の仕事の時間にわらわが迎えに行くぞよ」

「迎えに? どうやって……」


 次の瞬間、透子達は古民家の前にいた。

 有道と共にマヤは状況が掴めず、キツネにつままれた気分だ。

 それはまさに瞬間移動であり、マヤは初めてマガルカの力を直に味わった。


(……すごいなんてものじゃない)


 マガルカはドヤ顔でマヤの反応を楽しんでいた。

 しかし当のマヤはその期待に応えることができずに呆然とするしかない。


「は? なんで? ここどこだ?」

「神社にいたはずなのに……」

「うゆー」


 マヤの足元にすり寄ってきたのはユタローだ。

 キツネはいないがタヌキがいたことに、有道は恐怖を覚える。


「タ、タヌキ! わかった! マヤちゃん! 俺達はタヌキに化かされたんだ!」

「はい? ちょっと、さすがにそれはありません。この子はいい子なんですよ」

「昔からタヌキは人を化かす! 俺のじいさんも昔、山に狩りに行った時に化かされて道に迷ったんだ!」

「ユタローちゃんはそんなことしません!」


 有道のあまりの言い草に顔を赤くして反論するマヤだが、あながち間違いでもなかった。

 有道の祖父はその昔、ユタローによって化かされている。

 撃たれそうになったところで腹を立てたユタローが、有道の祖父を散々迷わせた。

 当のユタローはどこ吹く風とばかりにマヤの足にすり寄っている。


「うゆぅ~」

「ねー、こんなにかわいくていい子がそんなことするわけないよねー」


 取り乱して騒ぐ有道など構わず、マヤはユタローを撫でた。

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