第34話 樫馬神社で祭るもの 4

「ああああぁぁーーー! おのぉぉれぇぇーーーーッ!」


 マガルカが取り乱して叫ぶも、何一つ抗えない。

 怪談話でよく出てくる白い手といった定番な存在が神を拘束していた。

 神社に居ついた悪霊のそれとさほど変わらないものが自分を封じている。


 その事実がマガルカには耐えがたかった。

 おとなしくしているわけにはいかないとマガルカは次の手を打つ。


「この矮小な存在がッ!」


 動けないながらもマガルカは目を見開く。

 透子の周囲に無数の目が出現して火柱が立った。

 天にも立ち昇るほどの一本筋が通った火は、麓の村人の目に止まる。


「おぉ……あれは何事だ!」

「樫馬神社のほうか!? 有道の奴、またやらかしよったか!」

「いや、あれはそういうのじゃない……」


 初めこそ騒いだ人々だったが、やがてそれが人の手によるものではないと理解する。

 自然界の炎のような揺らめきもない。

 人の手では実現が不可能である炎の柱が立っている。


 その事実を前にして樫馬村の人々はただ見つめるしかなかった。

 現場に駆け付けようとすら思わない。あれほどの火だというのに。

 誰一人として消防車を呼ぼうとすらしなかった。


 それは人が本能で、自分達の手には負えない何かだとわかっていたからだ。

 それは触れてはいけない神域の出来事であり、そういった時は見なかったことにする。

 昔から人々がそうしてきたことだ。


 人々は無意識のうちに拝んだ。

 年寄りや大人、子どもすらも。

 それはマヤも例外ではなかった。


「マガルカ様……」


 今日初めて知った神の名を口にしたマヤは跪いていた。

 マガルカは人の祈りなど、といったように。あるいはそれを当然かのように。

 人間のそれをマガルカは鼻で笑った。


「ふっ……下らん、実に下らん。昔から何かあれば人は恐れ、祈り、願った。人の分際で神にすがり、それを当然とする」

「やっぱりね」


 火柱の中から透子が悠然と歩いてきた。

 何一つ燃えておらず、まるでそこに火などなかったかのような振る舞いだ。

 マガルカは拘束されたまま、またも味わったことがない感覚に陥る。


 それは驚きだ。神のような上位存在が人に驚くなどありえない。

 しかし現実にそれが起こってしまった。透子は神を驚かせた。


「人は当たり前のことには感謝しない。空気や電気があってありがとうなんて思う人がいないようにね」

「き、貴様ッ! 何者だ! やはり人ではないな!」

「あなたはそんな人間に失望した。当たり前を甘受した人間に嫌気が差した。ここの神主が最たる例だよね。感謝も忘れてろくに掃除すらしていなかったんだから」

「黙れぇっ!」


 再び瞳による火柱が透子を襲うが、それは透子を避けた。

 斧で竹を割ったかのように真っ二つになり、左右に分かれて消滅する。

 もはやマガルカには透子という存在がわからなかった。


 それは人なのか。霊なのか。はたまた別の存在か。

 マガルカはこれまで長きにわたってあらゆる事象を観測していたが、透子のそれはまるで説明がつかない。

 マガルカが言う霊魂であれば消滅させるなど容易いからだ。


 かといって透子の体は人間だ。

 透子を見た当初は珍獣を拝むような感覚だったマガルカも、今は人と同じように恐れている。


「それ、ほどけないでしょ」

「おのぇぇれぇぇぇ……!」

「このまま引きちぎったらどうなるかな? 神様って死ぬの?」

「うぐあぁぁぁーーー! や、やめろぉーーーー!」


 マガルカを掴む手に力が入り、やはり初めて激痛というものを味わった。

 痛みというものを知ったマガルカは獣のように叫んで、もはや正気ではない。

 しかし抗うことができず、目から液体が流れた。


「うぉぉぉーーーー! 嫌ぞよーー! 最近はすぐにわらわに頼ろうとする奴が多いぞよ! やってる感で生きてる奴が多いぞよ!」


 尊大な口ぶりは鳴りを潜めて、今は子どものように泣きじゃくっている。

 やってる感という今風な言葉を聞いた透子はさすがに苦笑した。

 実は人間に興味津々じゃないか、と。


 透子は手による拘束を解いた。

 地面にへたり込んだマガルカは呼吸を荒げて嗚咽を漏らす。


「うぅっ! ひぐぅっ……なんで最近の人間は……もっと、こう……必死さが足らんというか……」

「愚痴なら聞くよ」


 一転して飲み屋のような場になったことに対してマヤは言葉にできない。

 そんなマヤの肩にサヨが浮いたまま手を置いた。


「最初から何も怖くなかったよ」

「そ、そうなの?」

「透子ちゃんがいるからね」

「と、透子先生って何者なの……?」


 その問いにサヨも答えることができない。

 サヨも透子と出会ってその恐ろしさを肌で感じた身だ。

 これ以上に恐ろしいものがいるとしたら、などと考えたことすらない。


「……でな、どこの神も信じん奴が困った時は神に祈ってな……」

「うんうん、それは腹立つよね」

「昔と違って今は便利なものが多いであろう? 水を汲みに行く必要もなければ、険しい道を歩くこともない……あの車とかいうのもそうぞよ……なんじゃ、あんなもの。あんなものがあるから人は堕落するぞよ」

「でも人間は他の動物より力も弱いからね。その分、頭を使って生き延びてきたんだよ。その昔だって井戸すらなかったでしょ?」

「はっ!? そ、そういえばそうぞよ……」


 口調が変貌したマガルカに威厳はない。

 透子にほだされつつあるマガルカがマヤには子どものように見えた。

 威厳を保とうとして無理をしていたマガルカだが、こちらが本来の口調だ。


「人間だって必死なの。マガルカ様みたいに強くないからね」

「ううむ、そう考えるとなんだか人間が愛おしくなってきたぞよ……」

「ね、そういうことだから……ん? マヤさん?」


 マヤがどこからか箒を見つけてきたのか、境内を掃除していた。

 その意外な行動に透子は呆気にとられる。


「マヤさん?」

「確かに私達は自分達に甘過ぎました。柏家の時だって私、実は祈っちゃったんです。神様、助けてくださいって……」

「そ、そうだったの」

「だからせめて神社の掃除くらいはさせてください。こんなことくらいしか思いつかなくてすみません」


 透子は何も言えなかった。

 少なくともまだそこで気絶している有道よりはよほど神社の管理者として相応しいとすら思う。

 マガルカは目をぱちぱちとさせてから、マヤの周囲をぐるぐると回った。


「……ふむ! 気に入った!」

「は、はい?」

「そなた、この神社の巫女となるぞよ」

「はいぃぃーーー!?」


 これにはマヤどころか透子すら声をあげる。

 奇しくもハモってしまったほどだ。

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