第33話 樫馬神社で祭るもの 3

「どれ、軽く揉んでやろうかの」


 マガルカの言葉が発せられるか否かの間際、透子の体は鳥居まで後退していた。

 体が宙に浮く最中、透子は自分が吹っ飛ばされたのだと自覚する。

 その一連の流れを楽しみながら透子はあえて地面に落ちた。


「透子先生ッ!」


 マヤが駆け寄る前に透子が手足を使わずに垂直に起き上がる。

 彼女の人外じみた挙動を前にしてマヤは固まってしまった。

 それ以上は心配する気など失せて、ただ静かに下がる。


「ほう、ただの熟した魂魄かと思いきや……これは異な奴じゃ」

「マガルカ様。この神社に悪霊が集まってしまったのはあなたの仕業だよね」

「知るか。わらわはただ居ただけ。取るに足らぬ魂魄が居つこうが気にもかけん」

「ふーん……」


 マガルカは裾で口元を隠して静かに笑った。

 隠された笑みは悪戯後の子どものそれのようであり、邪悪にも満ちている。

 本来、マガルカのような存在にとって人や霊の類は取るに足らない虫と同じだ。


 自分以外の万物など本来は視界にも入れない。

 いや、入らない。人が道端に落ちている石ころを注視しないのと同じだ。

 石ころはせいぜい蹴られて道の外に捨てられる。


 マガルカは樫馬神社があったからそこにいただけだ。

 樫馬村が出来た直後、信心深い人々は無事にこの地を開拓できたのは神の加護があったからだと言った。

 この地に建てられた神社は樫馬村を一望できる。


 神がこれからも樫馬村を見届けられるように。

 これからも自分達を守ってくれるように。

 その心が子孫にも受け継がれて、いつしかマガルカは神様と呼ばれるようになった。


 悪いことをしても神様が見ている。

 良いことをしても神様が見ている。

 そうやって子ども達に教え伝えられていた神がマガルカだ。


「わらわはこの地を好いた。静かで満ち足りたものがある」

「じゃあ、あなたは樫馬村の人達なんてどうでもいいんだね」

「そういえばいつしか人が群れるようになった。祭りを催して何やら騒いでおったが、どうでもいいこと」

「ふーん……?」


 透子はマガルカの発言に違和感を持った。

 霊を取るに取らぬ存在だと決め打ちしている割には、その発言と釣り合ってない気がしている。

 このマガルカ、神かそれに近い存在であることは透子も承知しているが本質はわからない。


 守り神か祟り神か。

 怪異体験を蒐集している透子は様々な地方の伝承や神の話を聞く。

 しかし透子はマガルカという名前を聞いたことがなかった。


 そうなれば答えは絞られる。

 透子が聞いたことがない存在か、言い方は悪いがマイナーな神か。

 誰にも言い伝えられないほどの神は確かに数多に存在する。


 しかしこれほど大きな力をもった神がなぜ無名であるか。

 透子は一つの結論に至った。


「あなたはあまりに強すぎて誰にも認知されなかった。樫馬村の人達の口からマガルカという言葉が出てこないのもそのせいだね」

「……何が言いたい?」

「いわゆる口にしてはいけない存在だね。古来からタブー視されていつの間にか人々の記憶や記録にも残らなくなった。大昔はあなたを認知していた人達がいたのかもしれないけどね」

「黙れッ!」


 再び透子が宙に舞い上げられた。

 更に夜空の星ほどの光が周囲に放たれて、透子の体を撃ち抜く。

 さながらレーザー光線のごとく魂すらも蒸発させんばかりの神の光。


 人が触れてはいけない、いや。ほぼ認知すらされなかった事象だ。

 その昔、マガルカの怒りに触れた人々もいた。

 決して遺体すら発見されず、人はそれを神隠しと呼んだ。


 透子が受けたのはそういった力だ。

 神の怒りは絶対であり、神よりも下位に位置する人が抗えない絶対たる根源。

 かつてその光を見た者がいたかもしれない。


 しかしそれを人は見間違いだとか、あれはなんだったのかと終生明かさずに墓場まで持っていく。

 人は人知を超えたものに遭遇すれば己の中の常識とすり合わせて、やがて記憶から消していく。

 そう、本当に恐ろしいものは記憶や記録すらされない。


「強いなぁ」


 透子さん。いや、トーコさんは10年前に猛威を振るった怪異だ。

 ありとあらゆる退魔師が挑み、その力に屈する。

 祓えぬものはないとされる当時最強と評された退魔師が匙を投げたばかりか、引退して姿を消した。

 勇んだ若い退魔師はその途方もない霊力に当てられて今も入院生活を余儀なくされている。


 トーコさんを祓おうとした退魔師、トーコさんの怒りに触れた者。

 そのすべてがまともな生活を送れていない。

 それどころかトーコさんの名を聞けば発狂して手に負えなくなる。

 自らの手で命を絶った者も少なくなかった。


 あまりの脅威に都市伝説にまでなったものの、今ではそれをネット上で語り継ぐものはほとんどいない。

 退魔師協会がありとあらゆる手段を使ってその存在を記録から抹消したからだ。

 退魔のスペシャリストである集団がトーコさんを禁忌として、また己の対面を守るために。


 それはもう本当に手が込んでいた。

 街角の噂話ですら聞き逃さないほどに。


――なぁ、昔さぁ。トーコさんってのが流行ったよな?

――は? なにそれ?

――ほら、ガキの頃にお前が一番騒いでただろ。

――いや、知らないぞ。オレ、途中で引っ越したからな。

――え? そ、そうだったか?


 もはや語ること自体がすでに怪談にまで昇華されている。

 トーコさんの話を持ちかけたこの若者は後に友人に関するとある情報を入手した。

 それは借金に苦しんでいた友人が、ある日を境に急に羽振りがよくなったというのだ。

 これがどういうことなのか、若者にはわからなかったがやがて彼自身も富を手にする。

 今は働かずに旅行を楽しんで人生を楽しんでいた。


 トーコさんを怒らせたら怖いんだよ。

 今はそのフレーズを口にする者もほとんどいない。


「……バカな」


 マガルカはその光景が信じられなかった。

 光によって撃ち抜かれた透子が何食わぬ顔をしてそこに立っていたからだ。

 服や体が損傷した形跡もない。


「やられっぱなしじゃ嫌だから、今度はこっちからいくね」


 その途端、マガルカは身動きが取れなかった。

 腕や足、脇を掴んでいるのは半透明の手だ。

 大小様々の手がドクターフィッシュのようにマガルカにまとわりついている。


「こんな取るに足らんもののはずが……」

「私なんてあなたに比べたら人間だからね。こんなことくらいしかできないの」


 透子は皮肉を込めてそう告げた。

 そしてマガルカはジワリと何かを感じる。

 体の芯から冷えて落ち着きがなくなり、居ても立っても居られなくなる。


「お、おぉ……あぁ……」


 マガルカは恐怖という感情を初めて知った。

 それが人々が人ならざるものに抱く感情だがマガルカは知る由もない。

 得体のしれない感覚を味わったマガルカが正気を保っていられるはずもなかった。

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