第32話 樫馬神社で祭るもの 2

 樫馬神社。樫馬村が開拓されたと同時に建築されたそれは村を見下ろせる高台にある。

 代々宇田家が管理しており、先代が亡くなってからは息子の有道が管理していた。

 その有道に大した霊力はなく、性格的にも神主の資質などない。


 神社はおざなりに放置されており、境内の至る所に落ち葉が散らかっている。

 雑草も伸び放題で神社の中に至っては先代の頃から一切掃除がされていなかった。

 そのくせ祭りでは使いたがるものだから、とある者を怒らせてしまっている。


「あ、あぁ、あひっ、なん、何なんだ! ゆ、幽霊だぁ!」

「宇田さん、退魔師ですよね!? なんとかできないんですか!?」

「今は、今は時期が悪い!」

「時期ってなんですか!」


 偉そうなことを言えたマヤではないが、有道の情けなさに怒りがこみ上げた。

 腰を抜かして動けない有道に比べたらマヤのほうがよほど肝が据わっている。

 マヤは動悸が激しくなっているおのの、そこにいる怪異を冷静に見つめていた。


 賽銭箱から伸びた腕は青白く生気がない。

 上腕二頭筋から先が異様に長く、手がついに地面にまで這った。

 指がカリカリと地面を引っ掻いてマヤと有道に少しずつ迫っている。


「なんで俺の神社にあんなもんがいるんだよ! ここは神聖な神社なんだぞぉ!」

「今まで管理してたんじゃなかったんですか!」

「賽銭箱のチェックだけはしていた!」

「最低……」


 神仏の類への敬意が、などとマヤに説教するつもりも資格もない。

 しかし日本人として生まれた以上、心のどこかにそういったものに対する敬いがあるはずだとマヤは思う。

 有道は宇田家の人間でありながら私欲のことしか考えていなかった。


「マ、マヤちゃん! 逃げよう!」

「あっ!」


 なんとか腰を動かした有道がマヤの手を掴んで鳥居に向かって歩き出した。

 再び腰の力が入らなくなり、這う這うの体で鳥居の先にある階段に向かうも今度は柱に指がくっついている。

 何かが柱を掴んでいた。


「マ、マヤ、ちゃん、大丈夫だ、後ろに……」


 柱の影から陥没した目鼻の女が顔を出した。

 ソバージュの髪がだらりと垂れ下がり、顔が異様に長い。

 女が首を真横に90度に近い角度で曲げている。


「帰りまショ……」


 潰れた声帯からくぐもった声が漏れる。

 言葉の意味はわからないものの、マヤはこの霊が救いを求めている類だと判断した。

 しかし透子の話の通り、それとこれとは別だ。


 そこにいるのは悪霊と化した霊、マヤに救う手立てなどない。

 そんなマヤの前に透子が立った。


「透子さん……!」

「まいっちゃうよね。神社というのは確かに神聖な場所だけど、一歩間違えればあちら側の人達にとってすごく居心地がいい場所になる」

「やっぱり管理されていないからですか……?」

「原因はそれだけじゃないと思うけどね」


 そう言って透子は神社をちらりと一瞥した。

 そこにいる強大な何かは不気味な沈黙を守っており、息を殺すようにして透子を見ている。

 透子は見られていることを自覚しながら女の霊に近づいた。


「帰りまショ、帰りまショ、帰りまショ」

「さようなら」


 透子が女の額に手の平を向ける。

 瞬時に女のソバージュの髪が蛇のように動く。

 女は自分の髪で首や手を縛られて、瞬時にすべてがへし折られた。


「ア¨ッ……」


 女が蒸発するように消えてそこには何も残らなかった。

 透子は女に何の感情を見せず、振り返って賽銭箱から伸びる腕を掴む。


「神社に住みついた低級霊だね。元がどんな人間だったのかわからないくらい昔の人間か」


 透子が手に力を込めると霊の手首が千切れた。

 残った手の指が勝手にあらぬ方向へ曲がり、腕側も見えない力によって曲げられる。

 力に断ち切られるかのように腕がバラバラになり、やがて女と同じように消えていった。

 透子はヘアゴムを取っていない。


 あっという間の寸劇にマヤは言葉を失っている。

 柏家の時は防戦に徹していた透子しか見ていなかったが、今回は違う。

 透子という怪異にとってこれは戦いにすらなっていないと理解した。


「マヤさん、怪我はないみたいだね」

「は、はい。おかげ様で……」


 マヤが有道に視線を移したが彼は見事に気絶していた。

 そんな有道には一切触れず、マヤは透子に頭を下げる。


「この神社、なんだかかわいそうですね。管理しているのがこんな人じゃなかったらもっと……」

「そうだね。そうじゃなかったらあんなに怒らせることもなかったのに」

「今の霊達ですか? 確かに」

「あんな低級霊じゃなくて。もっとやばいのがそこにいる」


 透子が指した先は神社だ。

 マヤには何もわからなかったがその瞬間、突風が吹いた。


「きゃっ……!」


 賽銭箱の奥にある小さな扉がギギギと音を立てて開く。

 木々が台風に吹かれたかのように大きく揺れて、雨まで降り出す。

 あまりの変わりようにマヤは一瞬だけこの世の終わりを感じた。


 ここまでくるとさすがのマヤも気づく。

 透子が浄化させた霊とは比較にならない何かがこの神社にいる、と。


「マヤさん、私の後ろに下がっていて」

「何がいるんですか……?」

「この神社に祭られている神だよ。下手したら堕ちて祟り神になっているかもしれない」

「祟り神って……!」


 辺りが突然の悪天候で荒れ狂う中、扉の奥から静々と何かが出てきた。

 全身が白の袴をまとい、人形のように整った顔立ちの女性。

 暴風が吹き荒れているというのにその人物だけが何の影響も受けずに歩く。

 

 マヤは女性に目を奪われた。

 恐ろしいだとかそういった感情すらわかない。

 気がつけば彼女は手を合わせていた。


「あなたは?」

「わらわはマガルカ、面白いものを見せてもらった。ぜひ礼がしたい」


 マガルカのほほ笑みからマヤは目を離せない。

 手を合わせたまま、ただ敬うことしかできなかった。

 マヤは存在としての格の違いを本能で理解している。


 それは人が触れてはいけない。

 人が逆らってはいけない。

 人はそれを太古の昔から敬い、これからもそうするべきだ。


 地面に膝をついたマヤの横で透子はヘアゴムを取っていた。

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