第26話 柏家の因習 5
「あなた達、今まで生贄になった子達だよね」
透子は振り向かずに背後に立つ黒い影に問う。
黒い影がかすかにぶれた後、ぐにゃりと変化する。
影は残像のごとく蠢いて明確な形を露にしつつあった。
形作ったのは肩や首、腕や足だ。
人の形を成したものの目鼻はない。
白い歯と赤い口内が黒の一点に存在しており、小さい胴体は子どものそれだ。
「えへっ……えへっ……」
「ギャハハ……」
「ひひっ、ひひひっ……」
黒のそれは白い歯を見せて笑う。
重心が安定しないその立ち方は落ち着きがない子どものそれだ。
更に品のない笑い方からして、おそらく生前にまともな教育を受けていなかったのだろうと透子は予想した。
どうせ生贄にするのだから教育などする必要などないというのが柏家のやり方だ。
長男かあるいは長女だけを大切に育てて、末っ子は蔵に閉じ込めていた。
読み書きどころか、まともな言語さえも話せない。
「透子ちゃん、この子達って……」
「まったく嫌になるよね。どうして人間ってこうなんだろ」
透子の人外としての発言だった。
彼女は自分がまともな人間でないことなどとっくに認めている。
人間か人外か。
まったく悩まなかったと言えば嘘になるが、今の透子にとってはすこぶるどうでもいい。
「今からあなた達のお母さんに会いにいくから邪魔しないで」
正確にはお母さんではないが、花嫁姿の霊は実質その役割を担っている。
黒い影達にとって花嫁姿の霊は母親そのものだ。
当時の実の母親からの愛を受けられなかった彼ら彼女らを唯一愛してくれる存在。
それが花嫁姿の霊だ。
黒い影達は一斉に透子にまとわりつく。
並みの人間であればここで意識など保っていられず、強い霊力の影響を受けてしまう。
目が覚めた時には正常な精神など失われている。
心霊スポットに行ったメンバーの一人がおかしくなってしまう現象の原因だ。
強すぎる霊力は人の精神を破壊する。
霊を見た人間が耐えきれずに気絶してしまうのもこのせいだ。
つまり霊との戦いにおいて、この段階で押し負けては話にならない。
しかしここにいるのは最強の怪異だ。
黒い影達の霊力など、透子にとってはそよ風程度にしか感じられなかった。
「おとなしくしていて」
透子は黒い影の二つの頭を掴んだ。
そしてそのまま力を込めて床に押し込んで、強引にお座りをさせてしまう。
まるで肝っ玉母ちゃんが子どもを力づくで座らせたかのような光景だ。
「う、うぇぇぇ……」
「おとなしくしてなさい」
透子の手には黒い影の頭が二つ、残り一つはすでに正座させられていた。
微動だにしないその様はまさに金縛りだ。
透子の力をもってすれば霊を金縛りにすることなど、ロウソクの火を吹き消すようなものだ。
つまり息を吹くのと何ら変わらない程度でしかない。
「あーわわ……と、透子ちゃん、ムチャクチャ……」
「口で言ってもわからないだろうからね」
サヨが慄いている理由はそこの影が制圧されたことだけではない。
透子を取り巻く無数の黒い影がその場にうずくまってしまったからだ。
人間が猛獣に遭遇したら思考停止してしまうように、彼ら彼女らもまた透子を前にしてあらゆる動作が止まっている。
「うぅーーー……」
「ひぐ……ひぐ……」
「ワァオォォ……」
鳴き声や嗚咽が屋敷の至る所から響く。
駄々をこねたいけど騒げばまた怒られる。
それを理解した子どものぐずりともいうべき光景だろう。
「ね、ねー? 皆、透子ちゃんは優しいから。ね?」
「うぅーー」
「ひぃぃ」
歳が近い霊に同情したサヨが黒い影達を慰めた。
それでも黒い影達は泣き止まない。
サヨがあわあわとしている横で透子がスタスタと歩き始めたものだから、頬を膨らませる。
「ちょっと! 透子ちゃん!」
「なに?」
「さすがにかわいそうだよ!」
「なに言ってるの。その子達、私じゃなかったら余裕で人間を壊せるくらいの悪霊なんだよ?」
彼ら彼女らにかかれば心霊スポット探索に来た人間の精神崩壊など容易い。
まともに復帰できたとしても数年後、あるいは数十年後にその人間の家族に災厄がふりかかる。
呪いの犠牲になった子ども達の怨念はそれほどまでに凄まじい。
「これで少しは痛い目を見てくれたでしょ」
口ではそう答える透子だが、手心を加えている。
それは自身の幼少時代と重ねてしまうが故の手心だ。
――あんたは本当に気味が悪いね!
――まったく愛想のないガキだ!
「さ、母親のところにいくよ」
親の愛情を受けられなかった子どもがどう育つか。
自身を人外と認識しつつも、透子は人の心をもって黒い影達に接した。
それは彼女自身も自覚していない心だ。
「透子ちゃん。そのお母さんはどこにいるの?」
「私の予想が正しければたぶん……」
その時、透子の首筋に冷たい風がかすった。
すぐ様振り向いた透子だったが、そこには何の姿もない。
しかし辺りの空気はすでに冷えてまるで雪でも降るのかと思えるほどだ。
「透子ちゃん、き、きちゃった?」
「来たね。そっちから来てくれるならありがたいかな」
冷気をはらんだ風が意地悪く透子に吹き付ける。
長い黒髪が風に流されるようにしてなびいて透子は目を細めた。
(これはなかなかだなぁ)
この時点で透子は霊の実力をすでに図り終えた。
数百年にわたって続けられていた柏家の因習、それが生んだ悪霊。
人は呪いに遭遇した時、あらゆる方法で払いのけようとする。
現地に赴いて供養する。高名な退魔師に頼む。
しかしそんなことで収まるものなど、たかが知れている。
大抵はどうにもならずに呪いや悪霊の餌食となって終わりだ。
そもそも高名な退魔師であれば、このレベルの呪いとは関わろうともしない。
――さむかろ
「それはあなたの子どもに言ってあげてよ」
透子はごく正論を述べた。
この悪霊が何を求めているか、それを理解している。
そして廊下の一点に猛吹雪が舞い散り、竜巻を成した後にそれは現れた。
白い花嫁衣装に身を包み、艶めかしい白い肌を見せる女。
唇はすでに渇いていて萎びたミカンのようになっている。
女は透子に対して何の感情を見せることもなく、ただ口元を真横に結んでいた。
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