第27話 柏家の因習 6

 花嫁姿の霊は上品に佇んで透子と対峙している。

 ふと透子が腕を見ると、すでに冷気に包まれて霜が張っていた。

 指を動かしてパキリと軽い音を立てる。


 霜が畳の上に落ちて辺りは凍てついていた。

 並みの人間なら近づかれただけで凍り付いてしまう。

 肝試しに来た人間などひとたまりもないだろうと透子はある意味で感心した。


 花嫁姿の霊は生前、それほどの霊力を持っていないと透子が察したからだ。

 すべての恨みを持った人間が全員悪霊になるわけではない。

 簡単に言えば霊力×恨みや想いの強さで死後の存在感や強さが決まる。


 花嫁姿の霊の場合は恨みの力が半端ではなかった。

 それは家への恨みか。己の運命を呪ったか。はたまた想いの相手と引き離された無念か。

 愛など知らない透子にとっては理解の外だ。


(人を想う気持ちってこんなにすごいものなんだなぁ)


 再び体が凍てつかれつつある透子はぼんやりと呑気に事を構えていた。

 そう考えつつ、己の力について振り返る。

 この力はどんな想いで芽生えたのか。そもそも自分は悪霊なのか。


 目の前で白い息を吐く悪霊と自分の違い、などと考えたところで思考を取り消す。


「うぅぅ~~……透子ちゃん、私ね、腹立ってきたぁ……」

「え、まさか」


 サヨの黒髪がぶわりと総立ちして冷気を押し返す。

 更なる強風が吹いて冷気を巻き込み、さながら猛吹雪と成り果てる。

 花嫁姿の霊の身がかすかに引く。


「透子ちゃんが凍っちゃうでしょ!」

「そこ?」


 サヨの意外な怒りの原動力に透子は思わず苦笑する。

 花嫁姿の霊はサヨの力に弾き飛ばされて、中庭まで押し出された。

 雪が舞い散り、荒れ果てた雑草の中に身を沈めた花嫁姿の霊が手を使わず起き上がる。


 ゆらりと体を前後に揺らした後、生気のない瞳でサヨを捉えた。

 やられたことに対して怒る程度の自我はあったかと透子は観察する。

 悪霊の中には自我が完全になくなっているものも珍しくない。


(とうことはやっぱりこの霊は……)


 次の瞬間、花嫁姿の霊が迫った。

 今度はサヨが後方へ飛ばされてしまう。

 その勢いはさながら突風のようであり、霊自身が自然現象であるかのようだった。


「サヨちゃん!」


――さむかろ


 瞬時に透子の背後に立った花嫁姿の霊は首筋に冷たい息を吹きかけた。

 透子の首裏がパキパキと凍り付いて、頭や肩まで浸食を始める。

 が、その氷はまるで何事もなかったかのように割れ落ちた。


「調子に乗るな」


 透子が片手を向けると花嫁姿の霊の全身が何かに滅多打ちされた。

 空中で見えない何かにリンチされているかのような光景だ。

 花嫁姿の霊は間接があらぬ方向に曲がり、折れかかった首がだらりと垂れる。


 透子にかかれば霊体であろうと損傷を与えることができる。

 それは生身の人間がそうされたのと同じ痛みと損傷であり、花嫁姿の霊は浄霊されてもおかしくない。


――さむ、か、ろ……


「サヨちゃんに手を出したからには霊体の欠片も残さないよ」

「いったぁ……」


 そのサヨは頭をふるふると振りながら戻ってくる。

 透子が見たところ、大したダメージではない。

 そもそも先に攻撃したのはサヨだと言ってしまった後で気づいていた。

 ましてやここに踏み込んだのは自分達のほうだ。


(柄にもなく頭にきちゃったな)


 透子自身、こんな経験は初めてだ。

 誰かのために自分がここまで怒るなど想像もしてなかった。


「サヨちゃん。下がっていて」

「でも透子ちゃんが凍っちゃう!」

「私は平気だから」

「うー……」


 サヨは渋々後方に下がる。

 透子はサヨと花嫁姿の霊が激突すれば、おそらくサヨが勝つと踏んでいる。

 ただしサヨも無事では済まない。

 零同士の戦いで互いの生死など存在しないが、何が起こるかわからないのが怪異の世界だ。

 透子は万全を喫して花嫁姿の霊は自分で相手をすることにした。


「さて、花嫁さん。あなた、ここに来た人達をどうしたの? その人達さえ返してもらえれば見逃してあげるよ」


 このような場所に足を踏み入れるのは伊月マヤ達に限らない。

 本来であれば無視するのだが、以前の自分と同じ体質を持つ伊月マヤのことが放っておけなかった。

 これが誰かを想う気持ちであるかは透子自身、認めたわけではない。

 決して依頼主である山西留美の友人を想う気持ちに応えたわけではなかった。


――さむ、かろ


「そう、どうも対話はできないみたいだね。それじゃ仕方な……」

「待って!」


 透子が花嫁姿の霊に止めを刺そうとした時、背後から女性が叫んだ。

 思わず振り返るとそこにいたのは伊月マヤだ。

 服が霜に覆われていて、凍死体を彷彿とさせる風体だった。


「マヤさん? どこにいたの?」

「蔵、蔵に……閉じ込められてました……他の皆もそこに……」

「やっぱり……」


 花嫁姿の霊の相手に気を取られていたが、透子はすでにその場所に見当をつけていた。

 それよりも伊月マヤが自力で出てきたことに驚いている。

 透子の見立てではマヤにそこまでの力はない。


 部屋にいる霊の気配を感じられて霊媒体質、その程度だ。

 しかし伊月マヤは強力な悪霊の呪縛を破ってここまできた。


(まさか霊力が上がっている?)


 訝しむ透子にマヤが近づいてきた。

 透子はこの体でよくここまで、と褒めたい衝動に駆られたがそれどころではない。


「トーコ先生、待ってください……。あの人、ただ悲しいだけなんです……」

「そうは言ってもあれを止めないとあなたの同僚は救えないよ」

「あの人、想いの人にさえ会えれば……」

「想いの人ってまさか……」


 伊月マヤがどのようにしてそこまで察したのか、透子は気になって仕方なかった。

 しかし今は水を差している場合ではない。

 透子は伊月マヤを座らせてから、花嫁姿の霊から庇うようにして立つ。


「私が……私があの人の想いの人を呼びます……」

「そんなことできるの?」

「わかりません……。私、ずっと自分の霊媒体質が嫌いでした。子どもの頃からろくな目にあってなくて……。でも、もし何かの役に立てるなら……」

「男のほうはたぶんすごく霊力が弱い。だから霊として存在しているかわからないよ。それでも出来ると言うの?」


 透子が事実を告げても伊月マヤは表情を変えなかった。

 それは決意に満ちた目であり、同時にその体に秘められた霊力を透子は肌で感じ取る。

 一度心霊体験をすると霊が見えるようになるという話がある。


 透子はそれと同じことが起こっていると判断した。

 この異常な体験が伊月マヤを強くした可能性がある。


「……わかった。ただしダメだと判断したらすぐ私がなんとかするよ」

「はい……!」


 伊月マヤは透子という異質な存在を受け入れている。

 異常事態で感覚が麻痺しているというのもあるが、伊月マヤはどこか透子にただならぬものを感じていた。

 つまり今更というやつである。

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