第17話 人が消える家 3

 タヌキは昔からこの辺りで人を驚かせてきた。

 時には化かして道に迷わせたりとやりたい放題だったがある日、猟師の罠によって大怪我を負ってしまう。


 その罠から解放したのは一人の男だった。

 男はこの民家があった場所に住んでいて、それ以来タヌキは男に木の実などを運ぶようになる。

 タヌキは男に可愛がられて、幸せな毎日を送っていた。

 しかし長い年月が経つと男は寿命で死んでしまう。


 タヌキは大層悲しんだと同時に人間の中には心優しい者もいると学んだ。

 それ以来、タヌキはこの場所を見守り続けることにした。

 いつか人が来ることを信じて。


 そして時は更に流れて現代、男が住んでいたこの場所に家が建つ。

 最初に民家を建てたのは若い夫婦だった。


 男は一流企業務めだったが風変わりなところがあり、僻地を好む癖があった。

 樫馬村の周囲の家々に見せつけるかのように立派な一軒家を立てて、男は妻と一緒に暮らす。

 一見してごく普通の夫婦だが、夫はことあるごとに妻に対して暴力をふるった。


 日々暴力を受け続けることによって妻は心身ともに疲弊する。

 タヌキはそんな夫婦を不思議そうに見守っていた。

 どうしてひどいことをするのだろう、と。

 この時、タヌキは人間の行動原理と業の深さを理解していなかったのだ。

 それ故に黙って見ていることしかできずにいた。


 やがて精神に支障をきたしてしまった妻は寝ている夫を包丁でめった刺しにしてしまった。

 何度刺したかわからない妻はハッと我に返り、自分がしたことの重大性を認識する。


 妻は夫の死体を庭に埋めた。

 夫が出勤してこないことを心配した同僚が家を訪ねてきたが、妻はあれこれと言い訳して隠蔽を図る。

 明らかに態度がおかしい妻に違和感をもった同僚は警察に通報した。

 それから間もなく妻の犯行が明らかになり、彼女は逮捕されてしまう。


 その土地に住む人間が好きだったタヌキは悲しんだ。

 それでもタヌキは人間を信じて、密かに見守り続けた。

 それから家は売りに出されて別の人間が引っ越してくる。


 次の住民は独身の男性だったが、間もなくして怪奇現象に悩まされてしまう。

 殺された夫が地縛霊となり、住民を苦しめるようになってしまったのだ。

 霊障によって男性は精神を疲弊させた後、自害してしまった。


 タヌキは人間を守りたかったが、悪霊となった夫の怨念は凄まじかった。

 霊力はタヌキのほうが高いが、人を化かすことしか知らないタヌキにはどうしようもない。

 せめてタヌキは次に引っ越してきた人間が殺されないように、住民を化かした。


 家から逃げるように遠くへ巧みに誘導した。

 しかし身一つで化かされた人間が知らない場所に逃がされたところでどうにもならない。

 住民の中には山中でそのまま死んでしまう者も出てしまった。


「あなたはずっとこの家を……人間を守ろうとしたんだね」

「うゆぅー……」


 透子はタヌキの頭を撫でた。

 タヌキは透子に救いを求めるかのようにすがる。


「透子ちゃん、タヌキさんでも勝てない悪霊なの?」

「わかりやすく言えば、この家の悪霊のほうが霊力を有効活用している。言ってしまえば人間の醜さ勝ちってところだね」

「でも何の気配もなかったのに……」

「それはこのタヌキさんが抑えてくれていたからだよ。私にも悪霊の存在を気づかせないほどにね。でも今は……」


 散乱している皿がパキリと割れた。

 床がギシギシと音を鳴らしている。


「うゆぅ! きゅーっ!」

「タヌキさん、抱きしめていてあげる」


 タヌキがぴょんと跳ぶと透子の片手で抱かれた。

 それなりの重量で、とても女子にできる芸当ではないが透子には造作もない。

 もふっとした感触を楽しみながら透子は天井全体を見渡す。


 ギシギシという音は次第に大きくなり、常人が毎日これをやられたら確実に病む。

 ふと透子の視界の端で何かが光った。

 キッチンにあった包丁が透子を目がけて勢いよく飛んでくる。


「よっと」


 透子が少しのけ反ると包丁はそのまま壁に突き刺さった。

 透子はその包丁を引き抜いて人差し指に垂直に乗せる。

 曲芸のようなバランスで包丁が立っているが、これは透子の挑発だ。


「ただ飛ばすだけが関の山?」


 透子は更に包丁を指の上で振り子のように揺らした。

 クスッと笑う透子にサヨはあわわと慌てる。


「そ、そんなに怒らせたら……」

「なに言ってんの。自分勝手な理由で女性を虐待して返り討ちにあったDV男だよ。それよりこんな男を殺して刑務所に収監された女性のほうがよっぽどかわいそう」


 透子が早口で言うとサヨはその怒りを察した。

 透子は害がない霊であればサヨのように優しく保護する。

 ただし災いの木の時のように、無差別に人を傷つけるようであればその限りではない。


「そうかもしれないけど……」

「こんな低級霊よりサヨちゃんのほうがよっぽどすごいんだからびびらないの」

「ていきゅーなのぉ?」

「だって本当に強い霊力があるなら自分を殺した奥さんをとっくに殺しているよ。それができずに地縛霊になって弱い者いじめをしているんだから、低級もいいところだよ」


 透子の挑発に反応したのか、キッチンにあった刃物がカタカタと動き始める。

 刃物がふわりふわりと浮いたところで、すべてが空中の一ヶ所を刺した。

 刺した箇所に現れたのは全身が刃物で刺されて血まみれになった男だ。


 目玉はだらりと垂れ下がり、髪が抜け落ちている。

 包丁が刺さった部分からは常に血を流し続けており、首をゴキリと前後左右に揺らしながら近づいてきた。


「……よ、こ……か、よ、こ……ゆ、る、さ……ん……」

「悪霊にありがちな魔物化までしてるなぁ。こうなると生前の記憶なんてほとんどないか」


 悪霊が喋るたびにごぼぼと口から血の泡を噴き出す。


「あなた、ここで何人殺してるんだっけ? タヌキさんがいなかったらもっと犠牲者が増えていたよね」

「れぇ、まれ、だ、ま、れぇ、かよ、こォ……」


 悪霊の口から泡と共にゴボリと刃物が出てきた。

 それから肩、手、足と全身から刃が飛び出す。

 その直後、四つん這いになって高速で透子に向かってきた。 

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