第16話 人が消える家 2

「あら、お客さん?」


 透子を迎えたのは女性だ。

 エプロンをかけて、タオルで手を拭いながらほほ笑む。

 室内は築年数の割に綺麗で、壁は白く真新しい。


「透子ちゃん、これって!?」

「すみません。清掃の件でお伺いしたのですがご主人はいらっしゃいますか?」

「透子ちゃん!?」


 さらっと嘘を対応した透子にサヨは仰天した。

 サヨからしてもこの状況はおかしいとわかるが、透子のように真相はわからない。

 主婦と見比べつつも、最終的に透子の後ろに隠れた。


「清掃? いえ、聞いていませんが……主人はあいにく仕事に出ておりまして……」

「そうですか。それは残念です」

「あ、でもせっかく来たのですからどうぞお茶でも召し上がっていってください」

「いえいえ、さすがに仕事中なので遠慮します」


 ごく普通の日常的なやり取りを見たサヨはムムムとばかりに透子を見上げる。

 透子も透子で手慣れたような営業スマイルだ。

 サヨは透子が悪霊か何かに取り込まれているのではと邪推する。


 透子に限ってそれはないが、この世には透子以上の存在がいないとも限らない。

 そう考えた途端、サヨは透子を引っ張った。


「透子ちゃん、ダメェーーー!」

「わぁおっ!」


 透子がサヨに引っ張られて体を傾ける。

 ドアを開けようとしたサヨだが、ドアノブが接着剤で固定されたように動かなかった。

 サヨの霊力をもってしてもビクともせず、ガチャガチャとドアノブを動かすうちに涙目になる。


「透子ちゃあん、開かないよぉ」

「大丈夫だから」


 透子がサヨの頭をふわりと撫でる。

 その途端にサヨは体が浮いたような心地いい感触に包まれた。

 透子の絶大な霊力による抱擁を感じたサヨは目を閉じて寄り添う。


 この透子なら何がいても負けるはずがない。

 先ほどまでの不安がウソのようにサヨは安らいでいた。


「せっかく来たのですからどうぞ」


 主婦は今のやり取りが視界に入っていないかのように振る舞った。

 張り付いたような笑顔を崩さず、透子の反応を待っている。

 透子は頭を下げてから遠慮なく靴を脱ぐ。


「では遠慮なく」

「えぇ、こちらへどうぞ」


 透子が家に上がってリビングへ行くと、主婦がショートケーキと紅茶を持ってきた。

 柔らかいソファーと厚手の絨毯、振り子時計。棚に飾ってある家族写真など、すべてがごく普通の一般家庭だ。

 透子は表情を変えない主婦の前でショートケーキや紅茶には一切手をつけなかった。

 サヨはショートケーキを凝視しては涎を垂らしてすするを繰り返しているが、透子に頭を掴まれている。


「お気に召しませんでしたか?」

「すみません。甘いものは食べられなくて……」

「そうですか。では別のものを用意しますね」


 主婦が立ち上がってキッチンに向かう。

 そしてものの一分としないうちに持ってきたのはステーキだ。

 ジュウジュウと焼けて油の跳ねる音がサヨの食欲を高める。


「透子ちゃあん……」


 透子によってこれは食べてはいけないものだとわかっている。

 しかしあまりにリアルなそれを見せつけられては、堪えきれずに頭をブンブンと振るしかない。

 透子は主婦を見据えた上で顔を近づけた。


「よくできてるけど、少しリアリティーが足りないんじゃない?」

「え?」


 透子がヘアゴムを取って髪を解く。

 同時に突風が吹いて室内のものがすべて音を立てて弾かれた。

 かけられていた古時計が床に落ちて、家族写真のケースも割れてしまう。


「と、透子ちゃん! 何するのぉ! ヘアゴム取ったってことはやるの!?」

「ひとまず正体を現してほしい」


 風が吹き荒れると共に室内の様子が変化していく。

 新築のように綺麗だった白い壁は黄ばんで変色して、染みなどが目立つ様相へと変わる。

 絨毯も所々が破けて染みが目立ち、テーブルの上には割れた皿が二つ置かれていた。


 ケーキとステーキの代わりにあるのは泥と動物の腐った死骸。

 室内は長い間、誰も片づけていない荒れ果てたものと化した。

 主婦の姿はどこにもなく、あるのは廃墟の風景だけだ。


 床に落ちた家族写真に移っている人物の表情がすべて歪んでいる。

 口を大きく開けて目鼻からも血を流して苦悶の表情を浮かべていた。


「と、透子ちゃん、これどういうこと?」

「隠れてないで出てきなさい。力の差はわかったでしょ」


 透子が呼びかけるとキッチンの棚から一匹のタヌキがひょっこりと出てきた。

 ずんぐりむっくりといったタヌキで、やたらと太い尻尾を揺らしながらひょこひょこと歩いてくる。


「タヌキさん?」

「いわゆる化け狸だね。昔から人を化かしてきたんだよ」


 タヌキは透子の前で立ち止まると、ダッと逆方向へ駆け出す。

 逃げの姿勢を見せたタヌキより早く透子が回り込む。


「うゆぅー!?」

「あなた、相当霊力が高いね。いつの時代から生きてるの?」

「きゅうぅ……」

「そう、江戸時代からか。それでずっとここにいるの?」


 透子は当然のように物の怪の類と意思疎通が図れる。

 サヨはまじまじとそれを見届けていた。

 サヨの中で透子という存在に対する疑問がより膨れ上がっている。


 透子は人間のようでいて人間ではない。

 かといって霊ではない。

 では何なのか?


 化けタヌキに逃げる隙も与えない上に大人しくなるなど、サヨからは考えられない。

 サヨを祓いにきた退魔師でもここまでの存在はいなかった。


「なるほど、大体わかったよ。この子は悪くない」


 サヨには何がなんだかわからない。

 自身もまた怪異であることすら忘れるほどだ。


「うゆぅぅ……」


 その時、タヌキが透子に頭を垂れた。

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