第6話 山の怪

 孝蔵の悪質な嫌がらせによって止まっていたが、本来透子としてはやらなければいけないことがある。

 一つは貯水槽と水源の清掃、もう一つは薪集めだ。

 古民家には電気は通っているものの水道が通っていない。


 五右衛門風呂は薪をくべて炊く必要があり、調理も同様だった。

 今時こんなものがあるのかという厨房は基本が釜焚きだ。

 ガスが通ってないのでガス会社と契約するという選択肢もある。


 しかし透子はあえて古民家暮らしを楽しみたかった。

 こんな経験は都会では不可能なのでいい経験になるとポジティブに捉えている。

 それに加えて単純にガス代や水道代の節約になる。


 透子の稼ぎならば東京のそこそこの住まいで暮らせるが彼女は元来節約家の気質がある。

 ドケチというには大袈裟だが、金はここぞという時にしか使わなかった。

 使っているノートパソコンも数年前のモデルで、バックアップを取りつつ動かなくなるまで使う気だ。


 透子は水源を辿りつつ山の中を歩いた。

 途中、小枝などを拾ってリュックサックに詰めている。

 すべて薪として使用するためだ。


「透子さん、それじゃ足りないよ?」

「塵も積もれば山となる、だよ。それに大きいのは帰りでいい」

「大きいのって、どうやって持って帰るの?」 

「普通に」


 引っ越してくる際、古民家の状況を理解して必要なものは持ってきてある。

 木を切るためのチェーンソー、ではなくノコギリ。

 山を知る者が見れば舐めているとしか思わないだろう。

 しかし透子ならばこれでいい。もちろん節約の意味だけではない。


「これが水源に通じているホースだね。あともう少しだけ歩けばいいのかな」

「遠いねぇ。井戸でもあればいいのに……」

「水源があるかどうかわからないからね。先人が山から水を引いてくれただけでも感謝しなきゃ」


 途中、ほぼ崖のような地帯に申し訳程度の木の板がかかっていた。

 先人が補強した部分だが、なんとも頼りない。

 透子は先人に感謝をしつつ木の板を渡り、やがて水源を見つけた。


 そこは小さな滝になっており、溜まった水が貯水槽に流れる。

 それが濾過槽のようになっており、段々と水を浄化される仕組みだ。

 しかし長年にわたって使い続けられた貯水槽にはコケが生えて年季が入っていた。

 重石をどけて蓋を開けると見事に泥と木の葉が溜まっている。


「これじゃ水が流れないわけだねぇ」

「とっとと掃除しちゃお」


 泥と小石を手でかき出して森の土に上に捨てる。

 作業自体はそれほど時間がかからず、ゴミを取り除くと水の流れが改善される。

 勢いよく濾過槽に水が入り込む様を見て透子は満足した。


「さて、これで向こうの貯水槽に水が流れているはず」

「これでお風呂に入れるんだね。楽しみー」


 霊であるサヨが風呂に入れるのかと透子はかすかに疑問を持った。

 しかしとある温泉旅館での実話怪談に出てきた髪の長い女幽霊は湯船に浸かって客を驚かせている。

 それを考えれば、と透子は深く考えるのをやめた。


 帰り道、木の板を越えた辺りで透子は異変を感じる。

 そこからの道のりがあまりに長いのだ。

 正確には同じ道を歩かされている。


「……なるほど。樫馬村にしてこの山あり、か。この辺りにはなかなかのものがいるんだね」

「まさか幽霊!?」

「それよりちょっと上質なものかな」


 幽霊が驚くんじゃない、というチープな突っ込みを透子は喉の奥に引っ込める。

 透子が歩いていると正面から白い何かが向かってくる。


「なんかきたよぉ。傘子を被ってる白装束……村の人達かな?」

「いくらあの村の人達でもあんな古いものは使ってないんじゃないかな」


 それをサヨは傘子を被った人と誤認としていたが、近づくにつれて全容が明らかになる。

 それは傘子ではなく顔だった。

 逆三角形の頭に目が二つ、白装束に見えるほど白い全身。


 その何かはブツブツと呟きながら歩いてくる。


「……メツ、ブツ、テン」


 サヨが透子の服をぎゅっと掴む。

 自身も怪異ではあるが、そこにいるそれは霊の類ですらなかった。

 白い傘子頭は透子を見るなり、口が裂けんばかりにニタァと笑う。


「ケタ、ミツ、ケタ、ミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタ」


 傘子頭が透子にものすごい勢いで吸い込まれていく。

 が、次の瞬間。


「アァァーーーーッ!」


 普段の物静かな透子からは考えられない奇声を放つ。

 奇声と同時に傘子頭は弾かれたように透子から出ていく。


「とととと、透子さん! ビックリしたよぉ! 今のって? あれはなんなの!?」

「あれはヤマコ。その昔は山に住む神様だったけど堕ちて今は女性にしか憑依しない色情神だよ。昔、美しい巫女と共に崇められていたから忘れられないんだろうね」

「ひょ、憑依されたら?」

「基本的にもう元に戻らない。ただし意外と情けない弱点があってね」


 ヤマコはもう一度、透子に吸い込まれるようにして向かう。

 結果は同じでまたもやはじき返されてしまった。


「ケタ、ミツ、ケタァ……」

「痛い? 飽きたらそろそろ消えてもらうよ」


 透子がヘアゴムを取るとまとめられていた黒髪が広がる。

 ヤマコに片手を向けると、その体が変形していく。


「アアァァ、アギギギガァァーーーーーーーー! アアアァァアァギャギャアアァァーーーーー!」

「痛いよね。あなた、女性に憑依しても出産時の痛みに耐えられなくて出ていっちゃうことがあるもんね」


 ヤマコの腕が折れて、体がサンドバッグのように折りたたまれる。

 目玉がぶしゅりと出て黒い血と共に原形を崩壊させていく。


「と、透子さん、ななな、何が……」

「何ってあなたがよくわかっているでしょ」


 透子がやっているそれは、サヨが引き起こしている怪奇現象と同質のものだ。

 怪異の強さは霊力に比例する。

 そこに特別な技などはなく、霊力が高ければ高いほど自由にことを成せる。


 透子はヤマコを圧倒して好きなようにしているだけだ。

 まったく抵抗できず、ヤマコはやがて全身が肉の塊のようになり消滅する。

 辺りがかすかに明るくなり、その後は数分も経たないうちに古民家が見えるところまで歩いてこられた。


「はぁぁーーー……私、すごい人に悪戯しちゃったんだなぁ」

「サヨちゃんはかわいいから見逃してあげたんだよ」

「か、かわいいって……」

「そうだ。サヨちゃん、今度から私のことは透子ちゃんって呼んでね。透子さんじゃちょっとよそよそしいからさ」


 そう言って透子は大木にノコギリを当てて切り始めた。

 それからすぐにチェーンソー顔負けの速度で木が切り倒されてしまう。

 とても少女の力とは思えず、サヨは何も言葉が思いつかない。


「ね、サヨちゃん?」

「うん、透子……ちゃん」


 サヨの返事に透子は満足して大木を手早くカットしていく。

 ものの数分もしないうちに大木は手頃なサイズの薪へと変わった。

 これも霊力が成せる所業であるが、サヨはあえて追及しない。

 いや、できなかった。

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