第7話 霊道参り

 古民家側の貯水槽に水が勢いよく流れて蓄えられていた。

 ホースから流れる水に手を当てると、透子は満足そうに頷く。

 この水が古民家の水回り事情の全般を担っている。


「やったよー! お水が出たねぇ!」

「一件落着だけど貯水槽の清掃は最低でも週に一回くらいはしないとダメかな」

「そんなに?」

「意外とすぐ詰まるからね。その代わり水道代が無料な上に山歩きもできて健康的だよ」


 透子はあくまでポジティブに捉えている。

 彼女は元々都会の喧騒よりも自然の中で静かに暮らすほうが好きだ。

 今回の古民家への移住も怪異収集だけではなく、都会から離れたかったという思いも強い。


 この五右衛門風呂など都会ではお目にかかれないので、透子は楽しみにしていた。

 まずはホースから水を出して汚れた五右衛門風呂を丁寧に洗う。

 長年汚れが蓄積していたせいでブラシでこすっても茶色い水が途絶えない。


「透子ちゃん、楽しそうだねぇ。前の人はすぐに嫌な顔をしていたよ」

「不便なことを楽しむくらいじゃないとこういう場所では暮らせないよ。といっても私は割とズルしてるけどさ」

「薪割りの時みたいに? 透子ちゃんって生きてる……よね?」

「よくわかんない」


 透子自身も自分が生きている人間なのかそうではないのか、理解していない。

 九年前に起こったとある事件で透子は変わった。

 人ではない何かになった自覚はあるが、特別衝撃を受けることもない。


 元々その頃から透子は心神喪失状態にあったので、自分にも他人にも興味がなかった。

 ただ一人の理解者を除いて。


――透子ちゃんはどんな時でも強く生きてね

――私のこと忘れないでね


 透子は今でもその言葉を心の中で反芻している。

 その時から今の生き方を決めたといっても過言ではない。

 怪異への蔑視、ないがしろにする者達への恨み。


 透子はこれをハッキリと復讐と認めている。

 それは九年前の惨劇を起こした時から何も変わっていない。

 ただ少しだけやり方が変わっただけだ。


「よし、かなり綺麗になった。後は水を入れて薪を燃やそう」

「底板も忘れずにね」

「そうそう、これがないと熱いからね」


 五右衛門風呂に水を入れ始めると透子は浴室から出て外の空気を吸った。

 貯水槽を清掃して薪を集めていると一日が終わりに近づいている。

 夕暮れを過ぎて虫の声に耳を傾けながら、透子はメモを取り出した。


「なにしてるの?」

「ヤマコのことをメモしておこうと思って。小説に記してあげようと思う」

「小説って字ばっかりの本だから好きじゃないなぁ」

「人を選ぶのは間違いないね」


 透子は動画配信も考えていた。

 しかし動画で鮮明に怪異を捉えたとしても面白おかしくコンテンツにされるだけだ。

 本物か偽物かの議論はまだいい。

 動画を切り抜かれることによるトラブルもまだいい。


 そうした中で透子が伝えたかったものの本質が失われてしまうのが嫌だった。

 更にフェイクだのいちゃもんをつけてくる輩を想定すると、透子は今のスタイルがちょうどいいと思っている。

 透子の本を買う人間は怪異に理解がある者達ばかりだ。


 まずは伝わりやすい人間の理解を深めていけばそれでいい。

 そんな思いを込めながら透子はメモを記した。


「薪を入れていくねー」


 水が溜まったところでサヨが薪をくべはじめた。

 彼女が生まれた時代では当たり前の日常だったため、苦ではない。

 昨今の給湯機能よりは時間がかかるものの、これもまた一つの楽しみと透子は薪が燃える様を楽しんだ。


 時々お湯に手を入れて確かめながら、透子は浴室の窓をちらりと見る。

 浴室は外と比べて高い位置にあり、五右衛門風呂に入るとちょうどいい景色を楽しめるようになっていた。


 すると遠くの農道にボゥっと明かりが灯る。

 一瞬だけ農家の人かと思った透子だが、すぐにそれの正体に気づく。


 明かりは一つ、二つと増えていってそれが長蛇の列になった。

 明かりの列は歩みは遅いものの、少しずつ山に向かっていく。

 サヨもそれに気づいた。


「あー、綺麗だねぇ」

「下手な夜景よりよっぽど癒される」


 ちょうどいい湯加減になった時に透子は服や下着を脱いでさっそく風呂に足を入れる。

 やや熱めの湯だが全身が痺れるような感覚もまた心地いい。

 そして体が湯の温度に慣れた時、ようやく至福の時が訪れる。


 透子がぼんやりと明かりの列を見ていると、近くの農道から悲鳴が聞こえる。


「ひっ! また出た!」

「家に入れ! 外に出るなよ!」

「ままー、あれなーにー?」

「見ちゃダメ! 連れていかれるよ!」


 外にいた村人達が大慌てて家に向かって走っていく。

 透子は思わず噴き出した。

 恐れとは無知からくるものであり、学びがなければ前進しない。


 村人達はあれが何なのかわからずに恐れている。

 透子は少しでも人々の学びになるようにと小説を綴っていた。

 明かりの列も知っていれば恐れるほどのものではないが、それを理解できるほど人々は知的ではない。


「ひどいね。ただ歩いているだけで怖がられるんだから、たまったものじゃないよ」

「ねー、あれって何なの?」

「知らないで綺麗とか言ってたの?」

「うん」


 サヨは霊だが、そっちの知識がないのだなと透子は苦笑した。


「あれは霊道参りだよ。死者達が通る霊道は色々なところにあるけど、洗練された場所はあんな風に美しいの」

「洗練された場所?」

「例えば都会にも霊道はあるけど、人が建物とか建てて邪魔してる。だからたまに変なことが起こるの」

「じゃあ、あれはちゃんとした霊道なんだねぇ」


 歪んだ霊道によって歪められた霊達は時として人々を脅かす。

 無暗に祓おうとしたり封じようとすれば手痛い目にあうことも少なくない。

 水の流れを無理にせき止めるようなもので、霊道を祓うなど透子にしてみれば愚策でしかなかった。


 しかし洗練された霊道であれば恐れる必要はない。

 よほどのことがなければ、村人がいう連れていかれるといったことはまずなかった。

 透子は湯につかりながら、無邪気に水遊びをするサヨを見た。


「……サヨちゃんはずっとここにいていいの?」

「え?」

「寂しくないのかなって」

「今は透子ちゃんがいるもん」


 サヨが屈託のない笑みを浮かべた。

 とんだ霊もいたものだと透子は湯に顔半分ほど沈める。

 それはある種の照れ隠しなのだが、サヨは真似をして湯に潜った。

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