第5話 災いの木 2

 透子が掃除を言いつけられた日時は早朝5時だった。

 この時間である必要性が微塵も感じられない透子だが、田舎の朝の空気のおいしさを満喫している。

 早朝特有の静けさと一面に広がる田園、村を取り囲むように連なる山々の風景は気に入っていた。


「透子さん、こんなところ掃除する必要ないよ?」

「知ってる。ご神木だのご利益だの全部嘘だよ。本命はこの木を私に触らせることだからね」

「そ、そこまでわかるのぉ?」

「見ただけでわかるでしょ。この木、相当な悪霊がついてる」


 透子は農道を邪魔するようにして生えている木を見上げた。

 枝と葉の隙間から覗く無数の青白い顔。

 透子はそれを一瞥して落ち葉を掃き始める。


「サヨちゃん、たぶんこの木の根元にたくさんの死体が埋められたでしょ」

「なんでわかるのぉー!?」

「あの人達、ヘルメットをかぶっているから労働者か何か?」

「えぇっとねぇ、なんか偉い人がたくさんのおじさん達をいじめて埋めたの」


 サヨの語彙と説明でも透子は調べた結果と合致していることがわかった。

 戦前のこと、この場所の開拓に当たってたくさんの労働者が派遣されている。

 労働者は皆、遠方から出稼ぎに来た者達で過酷な労働を強いられていた。


 当時は逃げることもできず、逃げたとしてもすぐに捕まって激しい暴行を受けてしまう。

 その際に死んでしまった者達はこの木の根元に埋められて、まともに弔われなかった。

 また病気や怪我をしようが死ぬまで過酷な労働を強いられたため、倒れた者達も埋められている。


「……ということだね」

「あのおじいさん許せないよねぇ!」

「村長のことなら、あの人は開拓後に移住してきた倉石家の子孫だからね。その後に地主として栄えたみたいだから関係ない」

「ふえぇ~……透子さん、よく調べてるねぇ。あの薄い箱ってすごいんだねぇ」


 サヨが言う薄い箱とはノートパソコンのことだ。

 サヨが生きていた時代にはなかったものなので、動画視聴をさせてやれば喜ぶ。

 中でも動物系の癒し動画が気に入っているようでたまに透子は見せてやっている。


 朝の空気をたっぷり吸いこんだ透子は徹底して落ち葉を掃いた。

 落ち葉を集めている間にも、枝葉の間から虚無の瞳を向ける者達がいる。

 彼らは木に触れたり、切ろうとした者に災いをもたらす。


 いわゆる地縛霊なのだが、その力は大きい。

 一度でも目をつけられてしまえばどこにいようと無駄だ。

 ある者は車の運転中、何かに遮られて追突事故を起こしてしまう。

 ある者は工事現場の重機がなぜか倒れてきて下敷きになった。

 ある者は風邪をこじらせた際に様々な病を引き起こして、今も後遺症で苦しんでいる。


 木に触る、切ろうとする。

 こういった特定の条件下でのみ、活動範囲が無制限になるのが地縛霊の恐ろしさでもあった。

 彼らにはかつて自分達を苦しめた者達に対する憎しみなどない。


 その魂は魔に染まり、今や魔物化している。

 死んで帰るところがなく、木だけが居場所と思い込んでいる。

 あるとしたら生ある者への憎しみだけだ。


 歴代の倉石家はあまりの犠牲者の多さに退魔師に除霊を依頼したことがある。

 ただしまったく効果などなく、逆に退魔師が原因不明の死を遂げるほどだ。

 それ以来、災いの木として樫馬村では恐れられていた。


 掃除を終えた透子は木の前に立つ。

 悪霊達がうねりを上げて透子を監視する。

 が、しかし。


「あ、あれぇ? なんだか木が揺れている?」

「理性があるうちはよかったんだけどね。こうなったら害獣と変わらない」

「え?」


 透子が木に手の平を当てた。

 悪霊達が一斉に解き放たれるように透子にまとわりつこうとする。

 しかしどれ一つとして透子には近づけない。


「いや……害獣は生きるために他の生物を襲う。だけどこれには何の理由も大儀もない。ただの怪物」

「あ、あぁ、霊達が、渦みたいに……」


 木から解き放たれた悪霊達は透子を中心として回転している。

 まるで洗濯中の洗濯物のように高速で周り、悪霊の顔が一つずつ霧散していく。


――オオオォ、オォォ……ォォ……


「人を呪わば穴二つ、これはあなた達だって例外じゃない」


 次々と消えていく悪霊達を目の当たりにして、サヨは二の腕をさすった。

 サヨとしては二度目の寒気だが、こんなものは生前でしか感じたことがない。

 死んでからこのような感覚に陥ったことに対してサヨは自分さえも消されてしまうんじゃないかと錯覚する。

 透子は悪霊に呪い返しをしたのだ。


「あぅあぅ、と、透子さん、も、もう、いいんじゃ……」

「そうだね。少しくらい残しておかないとね」

「どういうこと?」


 ほぼすべての悪霊が消滅する中、たった一つだけ残された。

 透子の手の平の上で何かに捕らえられるようにしてくるくると回る。


「えいっ」

「あっ! 飛んでいった!?」


 透子の手の平から放たれた悪霊が向かった先は倉石家だ。

 悪霊がスゥっと村長の家の壁を通過して消えていく。


「さ、終わったから帰ろ」

「なになに!? 今のなに!」


 透子は何も答えず、掃除用具を持って村長の家を経由して古民家への帰路へ着いた。

 その際に倉石家から叫び声が聞こえる。

 後に村中を駆け巡ったのは村長の孝蔵が寝起きの際に足をくじいて盛大に転んで骨を折ったという情報だ。


 松葉杖を必要とするほどの怪我を負って間もなくして今度は食あたりを起こす。

 数日間の入院生活の間に今度は謎の出火で家が半焼してしまい、多額の修繕費用の捻出を余儀なくされる。

 妻の芳江も火傷を負い、美しかった庭園にも燃え移ったという。


 このような死なない程度の災難が降りかかった原因は透子以外誰にもわからない。

 村人の間では何らかの祟りではないかと噂された。

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