第3話 先住民は和服の女の子
「サヨちゃん、割れた瓶を片付けたら次は床掃除ね」
透子はノートパソコンで作業をしながら和服の少女に指示を出している。
和服の少女の名前はサヨ、いつからかこの古民家に住み着いた霊だ。
生前の記憶はほとんどないが、少なくとも昭和以前の人間というのは透子が聞き出した情報だ。
古民家との縁は不明だが透子は二階にあった帯とサヨは無関係ではないと考えている。
なぜなら帯の柄である百合の花がサヨの帯と同じだからだ。
黒色を背景に大小の百合が点々と描かれている。
古民家はサヨの一族が脈々と守ってきたものかもしれないと思いながら、透子は雑巾で床掃除をしているサヨを眺めた。
サヨは人間の視点で見れば悪霊だ。
住む者を脅かして、時には精神が病むまで追いつめたこともある。
ただし必ずしもサヨに害意があったわけではない。
強い力を持つ霊は何の霊力もないごく普通の人間を蝕むことがある。
強い霊はそこに存在するだけで無意識に場を掌握して支配下とした。
自分に気づいてほしくて、構ってほしくて怪奇現象を引き起こしたこともある。
サヨの姿を見た人間もいるが、ほぼ全員が絶叫した。
そうされるたびにサヨは傷つき、時には害意が芽生えてしまうことあった。
なぜ自分がそこまで拒絶されるのか。
ただお近づきになりたいだけなのに。
挙句の果てに退魔師を呼ばれて除霊されそうになった時には返り討ちにした。
そんなこんなで、いつしかこの古民家は呪いの古民家と呼ばれるようになってしまう。
高名な退魔師ですら匙を投げたサヨは、その姿を見た者達によって『和服の少女を見た者は死ぬ』とさえ語られてしまった。
透子にしてみればサヨはそれほど大袈裟な存在でもない。しかし――
(私相手に姿を一時的にでも消していたのはすごいかも)
少なくともかつて透子が撃退した退魔協会の退魔師の中で何人がサヨを祓えるかどうか。
それだけに透子はサヨのことが気になっている。
この世に強い恨みを残して死んだ生物がすべて悪霊になるわけではない。
プロのスポーツ選手になれるかどうかは努力の他に才能が必要といったように、その生物の資質が関わっていた。
生前から持つ潜在霊力、魂への意識、死後の世界との適合度など様々な観点で決定される。
このような理屈から、生前強い霊力を持った人間が霊となると凄まじい力を持つことがあった。
それが俗に
サヨがその類であることを透子は理解していた。
「と、透子さん、掃除終わった……」
「ご苦労。じゃああなたが汚した五右衛門風呂の掃除もお願いね」
「あ、あれは私じゃないし」
「不動産屋のおじさんにやったように、あそこで何度か生きている人に悪戯したでしょ? 清めの意味もこめてちゃんと掃除してね」
「霊に清めさせるんだ……」
サヨは空中を漂いながら風呂場へ向かった。
サヨを横目で見送った後、透子は古民家の状況を改めて考える。
築150年というだけあって所々痛んでいる箇所があった。
雨が降れば雨漏りがして、床が抜けそうなところもある。
電気は通っていてネット回線も問題ない。
しかし水道は山の湧き水から引いてきているので貯水槽のメンテナンスが必要だ。
湧き水は古民家から2㎞近く離れた山の中にある。
並みの人間であれば手間を考えればデメリットだが、水道代が一切かからないメリットは大きい。
都会で便利な生活を満喫した分、たまにはこういう田舎暮らしも悪くないと透子は背中を伸ばした。
「透子さん、お水がないよー!」
風呂場から聞こえるサヨの声を聞いて透子はうっかりしていたことに気づく。
先日、貯水槽を見た時には枯れ葉や泥が詰まっていたが放置していた。
原稿の締め切りを優先して作業していたせいだ。
風呂場に透子が行くと蛇口から水がほとんど注がれていなかった。
ポチャン、と水滴が一定間隔でこぼれるのみだ。
「貯水槽の掃除が先かな」
「まさかそれもサヨが?」
「これは私もやるよ。水源の状況を知っておかないといけないからね」
透子が庭にある貯水槽に向かうと案の定、大量の落ち葉や泥が詰まっていた。
長らく誰も掃除していないせいで上流からの水がほとんど止まっている。
「きったなーい……」
「ここまでだなんてね。このままじゃお風呂にも入れないし、先に……」
透子の視界の端に中年女性が写る。
不動産屋の男が来ていた時に覗いていた中年女性と同一人物だ。
年齢は50代前後で、ややふくよかな顔立ちに吊り目を取り付けられたような見た目をしている。
霊感や霊力がない中年女性からすれば、透子が一人で喋っているように見える。
中年女性は透子をそれこそ幽霊でも見るかのように、怯えを含んだ目で監視していた。
引っ越してきた余所者がそこまで気になるのかと透子は思ったが、近所の挨拶周りをしていないと気づく。
透子が石垣に近づくと中年女性はものすごい勢いで逃げ出した。
「挨拶しようと思ったんだけど……」
「ねー、この村の人達はみーんな意地悪するの!」
「意地悪? この古民家に住んでいた人達に?」
「そー! 話しかけても無視したり、ものを売ってくれなかったり! ひどい時は玄関にゴミを置いたんだよ!」
いわゆる典型的な村八分かと透子は呆れる。
この現代社会において未だにそんな風習があるとはさすがの透子も思わなかった。
この樫馬村はいわゆる限界集落寸前であり、他所から来た人間は本来歓迎すべきだろうと透子は頭をかく。
古民家に住人が定着しない理由は怪異だけではなかった。
本当に怖いのは生きている人間という言説を裏付けるかのような事象がここにある。
そんな排他的な村人を見て、透子は頭の奥底がズキリと痛む。
迫害する人間は迫害された人間の気持ちなどわからない。
人の痛みがわからないからそういうことをする。
透子の頭の中に自分に石を投げる子ども達の姿がフラッシュバックした。
「敵意がないことくらいは伝えないとね」
「え?」
透子はゆらりと歩き出した。
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