第2話 怪異は平伏する

「……はい。原稿の中身としては村にまつわる怪異というテーマで書きます」


 透子は編集者と電話で打ち合わせをしていた。

 彼女は高校へ進学せずに怪談作家として生計を立てている。

 元々は小説で生計を立てる予定はあまりなかったものの、デビュー作が大ヒットしてからはトントン拍子だった。


 彼女が書く実話怪談集はフィクションとリアリティが絶妙と評判だ。

 読者の間では実話か作り話かで度々議論になり、話に出てくる現場を特定しようとする者達までいる。

 しかし透子が書く怪談はすべて実話だ。


 彼女は昔のとある出来事に思いを馳せながら、怪異への敬意と恐れを綴って世に送り出している。

 決して忘れられてはならない、それでいて犯してはならない。

 人々にこの世のあらざる者の存在を伝え、二度と過ちを繰り返さないように。

 

 彼女の情念が込められた怪談は多くの人々を魅了した。

 そんな透子の書籍の累計発行部数は三百万部を超えている。

 透子は下火になっていた怪談ブームへの火付け役となり、今やホラーは多数の作家が参入しつつあるジャンルだ。


「……それでトーコ先生は樫馬村に引っ越してきたんですね」

「というより、引っ越しのことであれこれ考えるのが嫌なのでここに決めただけです」

「なるほど。しかしその村はあまりいい噂を聞かないというか……。村の方々はかなり排他的な人達と聞いていますが……」

「なんとかうまくやってみます」


 電話で話しながらトーコは古民家の庭にある石垣から覗く顔を視界に入れた。

 トーコと目が合うと、中年女性はサッと頭を引っ込めて走り去っていく。


「それなら……すが……たことあります?」

「はい?」

「樫馬村には多くの……があって……」

「もしもし?」


 電話にノイズが入り、編集者の声が途切れてしまった。


「……ぼ……そぼ……遊ぼ……?」


 少女の声がスマホから聞こえる。

 透子はふぅと一息ついてから電話を切った。

 気を取り直してから今度はノートパソコンを立ち上げる。


 読者から寄せられた恐怖体験を吟味して本に載せることもある。

 しかし作り話も多いので透子としては少々辟易することもあった。

 透子は見ただけでそれが事実か否か判断できる。


(これはウソ、これもウソ、これはウソとは言わないけど脚色しすぎ……次)


 編集部を通して送られてきた体験談を次々と読み進める。

 ほとんどが創作ばかりで透子としても大して期待していない。

 すべて読み終えた透子は数少ない本物と思われる体験談を文章に起こしていく。


――ドン ドン ドン ドン ドン


 書き始めて間もなくして二階の天井を走り回る音が響く。

 透子は気にせず執筆を続けて、時々コーヒー牛乳を飲む。

 彼女の執筆のお供はこれだ。


 特に好きというわけでもなく、かといって何も手元にないのは寂しいということで買い込んでいる。

 コーヒー牛乳のパックをまた手に取ろうとしたが、空を掴んでしまう。

 パックがテーブルの下に置かれていた。


(……下らな)


 透子は気にせずパックを床から手に取って飲む。

 心の中では冷めて反応したものの、透子は苛立ちを覚えていた。

 彼女は執筆にしても何にしても自分のペースを乱されるのを好まない。


 小説家の道を選んだ理由の一つに、比較的自分のペースで稼げるからというのもあった。

 締め切りはあるものの、よほどのずぼらな人間でなければ破ることはない。

 上下関係もなく、ただ自分の世界を追求して打ち込む仕事は透子にとって天職だった。


――ガタッ ガシャン ズズズズ


 何かが動いた音、割れた音、引きずる音。

 常人であれば平常心を保てない状況だ。


(……うるさいな)


 透子の周囲で立て続けに騒音を発生させればどうなるか。

 この怪奇現象を引き起こしている主はまったく理解していなかった。

 それでも透子はカタカタと文章を打ち込み続ける。


――ダダダダダダダダ


 二階から大勢が駆け下りてくる音が鳴る。

 透子は騒音など意に介さずキーボードで文字を撃ち続けている。

 調子がいい透子だが、不意に画面が視界から消えた。


 ノートパソコンが動いたのではなく、透子の髪が後ろから引っ張られたのだ。

 顎をやや天井に向けた状態で透子は固まる。

 騒音だけなら何てことはなかったが、物理的に干渉してくるとなると話が変わった。


「警告。これ以上、邪魔をするなら消す」


 透子の声が古民家の壁にまで染みわたるほど響く。

 騒音がピタリと止んで透子は作業を再開した。

 が、その直後にパソコンの電源が勝手に落ちてしまう。


「……自動保存があるからまだよかったけど」


 透子は立ち上がった。

 透子は頭部の後ろで髪をまとめていたヘアゴムを外す。

 流れるような黒く長い髪が解放されて広がった時、古民家全体の気温が大きく下がる。


 否、実際に下がったわけではない。

 近くに霊がいる際に肌寒く感じる人間がいるように、それは人ならざるものが自己を主張している証拠だ。

 その体感は霊や霊感によって大きく異なるが、通常悪霊と呼ばれる存在でも『異様に肌寒いと感じる程度』だった。


 透子はその程度ではない。

 その感じる冷気だけで氷点下の世界と同質である。

 それもおおよそ日本に生まれた人間であればまず体感しないであろう寒気だ。


――あ、あぁ……


 たとえ同類の怪異にすら実感させてしまうほどの冷気、寒気、圧。

 まるで広大な大氷原に一切の食料や装備もない状態で立っているかのような絶望感。

 助からない。死ぬしかない。


 生きている人間なら辞世の句を思い浮かべるだろう。

 怪異であれば、初めて己が消滅する現実を理解するだろう。

 死という概念を超えた怪異が死を認識して、最後には――


――ご、めんな、さい……いや……いやだぁ……


 平伏する。

 室内に響くか細い声と共にそれは透子の前に姿を現した。

 透子の前で震えて土下座する和服姿の少女がいる。


「……悪い子にはおしおきしないとね?」

「や、やだ、あぁ、何でも、何でも、するから……」


 ここに怪異はいない。いるのは透子、いや。最強の怪異であるトーコさんだ。 

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