最強の怪異さんは田舎暮らしを嗜む

ラチム

第1話 いわくつきの古民家

「思ったより素敵な家ですね」


 それが築百五十年になる古民家を見た岩古島 透子の感想だった。

 苔むした瓦屋根に黒ずんだ木材の壁板、おおよそ廃墟と見間違えてもおかしくはないほどの外観だ。

 透子の第一声を聞いた不動産の男は思わずニカァと口元を歪める。


(最近の田舎暮らしブームには大助かりだよ。こうやってバカな若者にクソ物件を売りつけられるんだからな。ケケケッ)


 男は心の中で舌を出していた。

 古民家の大きな問題点を知りながらも、客には都合のいいことしか語らない。

 たとえそこで多くの人間が恐ろしい目にあおうと、男の知ったことではなかった。


「そ、そうなんですよ! こういう風情がある古民家が最近とても人気なんです! お客様、お目が高い!」

「じゃあ、中を案内してください」

「はい! ただちに!」


 五十近い妻子持ちの男はとにかく契約を取るのに必死だった。

 家では妻と娘に冷遇される毎日の中、もはや残った生き甲斐は仕事のみだ。

 男は寂しくなった頭頂部をペタペタと触りながら、古民家の引き戸に手をかけた。


「あ、あれ? 開かな……おかしいな。この前はすんなり開いたのに……ブツブツ……」


 男は心臓が掴まれる感覚に陥る。

 さっそくきたか。だがここは何としてでもこの世間知らずそうな小娘に契約させねば。

 使命感にかられた男が引き戸に悪戦苦闘していると、透子が手をかけてあっさりと開けた。


「開きましたよ」

「おぉー! さすが! こういった風情ある古民家ではよくあることなんですよ! そこがまたいいとお客様には受けがいいんです!」


 男はそそくさと古民家の中に入り、執拗に見渡している。

 この古民家について、男は透子に知られたくないことがあった。

 知られてしまえば間違いなく契約は勝ち取れない。

 見渡した後、異変がないことに安心した男はまた透子に作り笑いを向ける。


「こちらは居間となっております! あちらにある囲炉裏なんかも風情があるでしょう? ほら、天井の梁も見てください! 立派なものです!」

「太くて立派ですね。欅ですか?」

「え? まぁそうです! ではこち……」


――パシン


――ギシ ギシ ギシギシギシギシ


 男の言葉を遮るように囲炉裏に吊るされた自在鉤が弾けるようにして揺れた。

 更に床板が異音を鳴らす。


「ハ、ハハ……古いから家鳴りがすごいですね。で、ではあちら、風呂場になります」


 男が案内した風呂場にはいわゆる五右衛門風呂があった。

 濁った水が溜まっていて底が見えず、黒く長い髪の毛が浮かんでいる。

 男は慌てて水に浮かんだ大量の黒い髪を手ですくった。


「まったく困ったもんですよ! たまに近所の子どもが入り込んで悪戯するんです! ホンット悪ガキどもが」


 男が手ごと水の中に引っ張られた。

 肩まで浸かった男はパニックになって五右衛門風呂を掴む。


「ああああーー! あ、ああぁ! なになになにぃーーーー!」


 男が頭まで水に浸かろうとした時、透子がそっと腕を掴む。

 すると何事もなかったかのように男の半身が水から解放された。


「あ、あ、あ……」

「大丈夫ですか? 次は二階を案内してもらえますか?」


 男が半ば呆然として濡れた体をハンカチで拭く。

 男の唇が震えて再び五右衛門風呂を見た時には髪の毛一つ浮いていなかった。


「に、二階には特別、何も、ありません。昔は、蚕なんかを、養殖してたみたい、です」


 男はなんとか言葉を絞り出して透子を先に歩かせた。

 軋む音を立てる階段を上がる足取りがおぼつかない。

 二階にはかつて蚕養殖をしていた棚があり、そこに大小の箱が置かれて埃まみれになっている。

 明かりはなく、奥は薄暗い。


「色々と物が置いてありますね。蚕養殖はずいぶん昔に辞めているように見えるかな」

「そうですね。前の住人の物とか色々ありますが、自由に使っていただいて構いません。中には値打ちものがあったりしてー……ははっ」

「わぁ、綺麗な着物の帯。ほら、見てください」

「ひぃっ!」


 男が身を縮めた。

 先程のこともあり、過敏になった男にとって透子のおもむろな行動にすら怯えてしまっている。

 透子が帯を撫でていると、階下から一段ずつ上がる音が鳴った。


――ギィ ギィ ギィ


「ひっ! だ、誰かがき、来た……!」


 男が固唾を飲み、この村の人間が来たと思い込もうとした。

 この樫馬村の住民は閉鎖的でよそ者には厳しい。

 男と透子がここに来るまでの間、畑仕事をしていた者達からの視線を浴びて道端ではヒソヒソと声を潜めて女達が話していた。

 大方、村の人間の誰かが様子を見にきただけだ。

 そんな男の希望は叶わず、いつまで経っても姿を現さない。


「はっ、はっ……!」

「体調が悪そうですね。外に出ましょうか?」

「そ、そうさせてもらいます」


 男は透子の背後から離れず階段を下りた。

 考えてみればこんな古民家一つが売れたところで何の足しになるのか、すぐに帰りたいと男はすでに帰路への思いを馳せていた。

 土地や建物における価格は捨て値で設定してあり、これまで何人も住民が入れ替わっている。


 どの住民も一ヵ月と経たずして引っ越しており、中には精神を病んだ者もいる。

 時には行方不明者すら出しており、この古民家は曰く付きの物件だった。

 物見遊山で田舎暮らしに憧れた若者の夢を挫くにしてはあまりに手厳しい。

 

 誰かが除霊を試みたこともあったが効果はなく、やはり都会が一番と早々に引っ越していく。

 世の中には人が踏み入れてはいけない場所があるという教訓を得るのがこのような場所だ。

 男はよろよろと歩いて古民家の出入り口に向かう。


「あ、あれ? 俺の靴は?」


 土間で自分の靴を履こうとした時、どこにも見当たらないことに気づく。

 辺りを探しても見つからず、遥か後ろから水を含んだ落下音が鳴った。

 居間に落ちているのは男の濡れた靴だ。


「お、お、俺の靴!? なんであんなところに!」


 男が転がるようにして駆けて居間に走ると何かに足を掴まれてしまう。

 勢いよく転んで起き上がろうとした時、男の視界に何かが映る。


 着物から伸びた足首が男の目の前にあった。


「うわぁーーーー!」


 男が叫び声を上げて目を閉じる。


「大丈夫ですか?」

「え、え……」


 透子に声をかけられて男が目を開けるとそこには何もいなかった。

 男は脂汗を流して透子を見上げる。


「ここ、買います」

「へ……?」

「気に入りました。買います」

「え、い、いいの? ホントに?」


 目をパチパチとさせる男に透子はほほ笑んだ。

 買わせることができたなどという喜びは男の中にない。

 男はカバンを抱きしめるようにして立ち上がり、今度こそ土間から外に出る。

 その際に濡れた靴がぶしゅりという音を立てた。

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