第38話 暗黒の突破口

 気を抜けば吹き飛ばされそうだ。

 俺は意思を強く持ち、灰色の光を追って、一歩一歩確実に前へと進んでいく。

 そうしてどのくらい歩いただろうか、やがて灰色の光に照らされた天蓋つきの豪奢なベッドを見つけた。


「アンネリーゼ!」


 ベッドに寝かされていた彼女に駆け寄り、名前を呼ぶ。全裸だったが関係なく、何度も何度も名前を呼んで揺り動かす。

 だが、目覚めない。

 もしかして手遅れだったんじゃ――


「うぅん……朝ならずっと寝てるぅ……むにゃむにゃ」

「……」


 あ、ちゃいますわ。これただ寝てるだけですわ。よく見たらヨダレ垂らしただらしない寝顔してやがるよ。


「そうか起きないか。起きないなら仕方ないな。この高級スルメは俺が食べてしまおう」

「スルメ!」


 ガバッ! とアンネリーゼは弾かれたように体を起こした。


「スルメは!? あたしのスルメはどこ!?」

「ねえよ」

「なんでよ!?」


 スルメと聞いて意識を覚醒させるとかどんだけ残念なお嬢様なんだ。俺の中で公爵家令嬢とかいうキラキラしたイメージが音を立てて崩れていくよ。


「えっと、一つ訊いてもいい?」

「ん? なんだ?」


 アンネリーゼは俺の顔を見ると、不思議そうに小首を傾げ――


「……あなた、誰だっけ?」


 そう、問いかけてきた。


「……」


 絶句する。

 まさか、遅かったのか? 既にロロットによる記憶消去が完了してしまったのか?

 俺がそう絶望しかけていると――バチン!

 思わず背中がビクッとなるいい音が聞こえた。見れば、アンネリーゼが自分の両頬をしばいていた。


「誰だっけ? ――じゃないでしょッ!」


 抗うように叫ぶ。暗素を宿した指先を、トン、と自分の額にあてる。するとアンネリーゼの体から追い出されるように黒い靄が抜けていった。

 ふう、とアンネリーゼは小さく息をつく。


「あ、危なかったわ。もうちょっとで記憶を消されちゃうところだった」


 間一髪。どうやら、記憶消去はされずに済んだようだな。


「アンネリーゼ、俺がわかるか?」

「わかるわ。タダオミよ。あなたはタダオミ。ありがとう。タダオミが来てくれなかったら、あたしは……」


 じわりとアンネリーゼの目尻に涙が浮かんだ。


「怖かった。タダオミのこと忘れちゃうって思ったら、太陽に燃やされるよりずっとずっと胸が痛くなった。タダオミはあたしのこと忘れちゃってたけど、でも、あたしはちゃんと覚えてるから今はそれでいいと思ってたのに……ううん、違う。本当はタダオミの口から『覚えてない』って言われるのが怖かっただけ」


 俺の胸に顔を埋め、アンネリーゼは堰を切ったように泣きじゃくる。彼女は昔のことを覚えていたはずなのに、俺に確認しなかったのはそういう理由だったんだな。


「だけど、ここであたしまで忘れちゃったらあの楽しかった日々がなかったことになってしまう。そんなの、絶対に嫌!」


 俺を見て安心したのか、抱えていた不安を一気に吐露するアンネリーゼ。止めどなく溢れ出る涙は、紛れもない彼女の本心だった。

 そんな彼女を、俺は優しく抱き締める。


「ああ、そうだ。俺も、嫌だ。アンネリーゼに忘れられたくない。実際にあの時のことを忘れちまってた俺がなに言ってんだって思うかもしれん。でも、だからこそ、その気持ちは痛いほどわかる」

「え? タダオミ……もしかして」


 アンネリーゼは赤く腫らした目をパチクリとさせる。俺は彼女を放すと、すっと手を差し伸べた。


「帰ろう、アンネリーゼ。『太陽のある世界』を見せてやる――『約束』したもんな。今度こそちゃんと果たす。もう一度俺の世界へ連れて行く。お前が望む〝普通〟をくれてやる。そのために俺はここまで来たんだ」

「思い出して、くれたんだ……」


 涙を拭い、アンネリーゼは嬉しそうに笑った。


「ああ、それにクラスの奴らが待ってるからな」

「え、でも、あたし燃えちゃって……」

「それなら大丈夫だ。ロロットがすぐに眠らせてくれてたおかげで上手いこと誤魔化せたっぽい」

「本当? 嘘じゃない?」

「心外だな。俺はそういう嘘はつかないぞ」


 嬉しそうに顔を輝かせるアンネリーゼに、なんとなく恥ずかしくなった俺はついそっぽを向いてしまう。


「言っとくけど連れ帰るのは強制だからな? あの時そういう風に術をかけたのはお前なんだから。というかそもそも保留にしてたお礼の案件があったな。丁度いいからそれを今使わせてもら――ッ!?」


 ぐわし、と。俺の顔がアンネリーゼに掴まれた。そのまま強制的に向き直され――ぷっくりとした柔らかな感触が唇に触れる。

 キス……された?

 え? なんで? どうして? どういうことだってばよ?


「アンネリーゼ……?」


 呆然とする俺に、アンネリーゼは「ごちそうさま」と自分の唇に指を添えてペロリと舌嘗めずりした。


「今のは、えっと、なんの約束?」

「内緒♪」


 悪戯っぽく笑うアンネリーゼはやっぱり自分も恥ずかしかったのか、少し頬に朱が差していた。

 よし、考えないことにしよう。我ながらなかなかヘタレだと思うが、今は状況的にそれどころじゃないからな。


「ところで、あの時流れ込んだ暗素がタダオミの中ですごいことになってるわね」

「これのことだよな? どうなってるんだ?」


 未だ俺から放たれて周囲を照らしている灰色の光を指し示す。


「暗素と陽素が混ざり合って全く新しい力に変質しているのよ。太陽の光で燃えたりしないし、あたしたち暗黒魔界人にとっても毒じゃない。寧ろ惹かれるわね。なんかこう、本能的に欲しいって思っちゃう」


 もしかすると魔物が俺を狙ったり妙に懐いたりするのは、この力に惹かれたから? マジか、なんて迷惑な。


「あっ、そっか。だからタダオミにアレをしてもらった時だけ……」

 やだコワイ。なんか知らんけどこの子ぶつぶつと呟き始めたぞ。

「お、俺のナニをどうするって?」

「そんなこと言ってないわよ!?」


 高速で赤面したアンネリーゼは独り言を中断。ナニを想像したんでしょうね?


「とにかく、まずはここから脱出するわよ。と言っても、これはロロットの強力な空間操作系の暗黒結界ね……あたしでも簡単には破れないわ」

「じゃあ、どうするんだ? 闇雲に歩き回るか?」


 来る時は灰色の光のおかげでなんとかなったが、帰りはぶっちゃけ自信がない。この異空間がどれだけ広いのか、たぶん術者のロロットにしかわからないんだろう。


「そういえば、タダオミはどうやってこっちに来たの?」

「ん? ああ、それはこの光を辿って」

「そうじゃなくて、薄っすら覚えてるんだけど、ロロットが押入れの穴を消してたはずよ」


 結界内以前に、俺が暗黒魔界にいること自体が不思議だってわけか。


「ククク、聞いてくれるか? 世界を繋げちまうほど天才的な俺の整頓術を!」


 ここまで来た経緯を話すと、アンネリーゼは顎に手をやってなにか考え始めた。


「……使えるわね」


 アンネリーゼはベッドから飛び降りて闇色のドレスを纏う。そして掌の先に魔法陣を展開。射出された暗黒の弾丸がめちゃくちゃ高そうな天蓋つきベッドを粉々に爆砕した。


「なにしてんの!?」

「タダオミ、この破片を片づけてくれる?」

「わーお、自分で壊しといてなんて理不尽な要求! 俺じゃなかったらブチ切れてたね!」

「いいからやりなさいよ! タダオミの整頓であたしの部屋と空間的に繋げられるのなら、ここから簡単に脱出できるでしょ!」


 なるほど、そういうことか。だったらベッド壊す前に一言言ってほしかったね。ビックリして心臓止まるかと思ったぜ。

 昔は爺ちゃんの蔵。今回は自宅の押し入れ。穴を開ける場所は関係なかった。ここから繋げてもアンネリーゼの部屋に出る可能性は高い。

 公園の時は違ってたっぽいけど、あの時は記憶も戻ってなかったしな。


「よし、やってやる」


 普通この俺でも割れた食器とかは捨てるだけだが、今回は『整頓』しなきゃならん。蔵や押入れにある小物なんかとは違う。ちゃんとできるかは正直賭けだ。


「この『く』の字型の破片は真ん中に、その横に天蓋の欠片を三つ重ねて布団の羽毛を散りばめる。オーケーオーケー、ノってきましたよっと」


 だが、こうして感覚に従っていけば失敗する気がしないね。


「あ、そうだ。タダオミの灰色の力も込めればもっと確実になるんじゃない?」

「え? いや、それは不確定要素というか」

「だってタダオミの整頓、見た感じ術式になってるもん。だから力を込めれば相応に発揮するはずよ。大丈夫、力の使い方ならあたしが教えるわ。暗素を操るのと大して変わんないはずよ」


 自信満々にドヤってるけど、激しく不安です。だってこの子、肝心なところでポンコツ発揮しそうだし。


「だから早くここから出て、こんなことをしでかしたロロットにお仕置きしないとね」

 それはそれで、あの変態は喜びそうだな。

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