第37話 幼い記憶
暗黒ドームの内部は完全にロロットの支配領域だった。
真っ暗だ。十センチ先すらなにも見えないぞ。たぶん、アンネリーゼに供給するために高濃度の暗素で満たしてるんだ。
「ぐっ」
押し返される。まるで超大型の台風の中を歩いてるみたいだ。異物である俺を排除しようってことだろうな。
それでも、止まってやるわけにはいかねえな。
「どこだ、アンネリーゼ!」
もう一分ほど歩いた気がする。明らかに外から見た以上の広さがあるぞ。暗黒魔術で作り出された異空間だとすれば、アンネリーゼがどこにいるのか見当もつかなくなる。
それは困る。
どこにいてもいい。絶対に見つけ出してみせる。
『ねえ、タダオミ。それはなに?』
と、どこからともなく女の子の声が聞こえた。
「アンネリーゼ?」
それにしては幼い子供みたいな声だった。でも、聞き覚えはある。思い出したばかりの記憶と一致する。
ぽわっと。
いきなり目の前の暗闇に、小さな紅毛の女の子が出現した。周囲は真っ暗で明かりなんてないのに、まるで映像のようにそこだけハッキリと視認できる。
「子供の頃のアンネリーゼ?」
いや、それだけじゃない。
『スルメだよ。おじいちゃんがお酒のおつまみで食べてるのをもらってきたんだ』
女の子の隣にもう一人、小学校低学年くらいの男の子も暗闇に浮かび上がってきた。
「……俺、か?」
そうだ。アレは幼い頃の俺だ。間違いない。
『食べてみる?』
『おいしいの?』
『ぼくは好きだよ』
『かたい……あ、でも、ホントだおいしい!』
この遣り取りは、覚えてる。というか思い出した。アンネリーゼの部屋に遊びに行き始めて何日か経った後、おやつに持って行ったスルメを二人で食べたんだっけ。
あいつのスルメ好きはこの時からだったんだな。だからあの時、いろんなお菓子の中から真っ先にスルメを選択したのか。
『ねえ、なんでこっちはいつも曇ってるの?』
場面が変わる。
今度は幼い俺が幼いアンネリーゼに質問しているようだった。
『くもってるってなに?』
『え? ほら、ここから見える空、いつも恐い色の雲がかかってるでしょ?』
『アレはね。〝混沌〟っていうのよ』
『こんとん? 雲じゃないの?』
『んー、あたしもあんまり知らない。でもこの世界に最初からずっとあるんだって』
『じゃあ、晴れないの?』
『はれるって?』
『えっとね、空の雲がなくなって、太陽が出てくるんだ』
『たいよう?』
『本当になにも知らないんだね』
『わ、悪かったわね!』
馬鹿にされたと思ったのか、幼いアンネリーゼはちゅくんと唇を尖らせた。
確かこの後は……その日遊ぶために持って来ていたクレヨンとスケッチブックで太陽の絵を描いてみせたんだ。
『ほら、これが太陽だよ』
『……こんなのが空に浮いてるの? そっちの空は青いの?』
『うん、青いよ。それに太陽は空よりもっと高いところにあるんだ。天気のいい日はみんなお外で遊んだりするんだよ』
『お外で? みんなと? いいなぁ。他にはどんなことをするの?』
『他? えーと、朝はみんなでラジオ体操したり、買い物に行ったり、海やプールで泳いだりピクニックしたりとか、いろいろだよ』
偉そうに語っちゃいるが、どれもこれも幼い俺が羨ましく思っていたことだ。
『そういえばアンネリーゼちゃんはいっつもお部屋にいるけど、お外で遊ばないの?』
もういい加減にわかってきたぞ。これはアンネリーゼの記憶だ。どういう理屈かは知らないが、この暗黒空間がアンネリーゼの記憶を映してるんだ。
『遊べないわよ。だって、あたしはこのお部屋から出ちゃダメだもん』
『なんで?』
『お外は危ないんだって。悪い人に連れて行かれるかもしれないって』
『そんなに危ないの?』
幼いアンネリーゼは寂しげに天を仰ぐ。幼い俺はそんな彼女の曇った顔を見るのが、堪らなく嫌だった。
『あたしが〝特別〟だからよ。他の人よりずっと強い力を持ってるから狙われるんだって』
『ふぅん、よくわかんないけど、それじゃあ今度はぼくの世界に遊びに来る? こっちよりずっとずっと明るいし、誰もアンネリーゼちゃんのことは知らないから〝特別〟じゃなくなるよ』
『〝特別〟じゃなくなる……? 本当? あたしも〝普通〟になれる? お友達もいっぱいできるかな』
期待の籠った眼差し。この時の俺は、彼女のためならなんでもしてやれると思ったね。
『えっと……うん、アンネリーゼちゃんならきっといっぱいお友達ができるよ』
『行きたい! あ、でも、勝手に行ったら怒られるし……』
『あ、そうだよね。お父さんかお母さんにちゃんと話してからじゃないとダメだよね。ぼくんちも……お父さんとお母さんはお仕事でいないけど、お爺ちゃんにアンネリーゼちゃんが遊びに来てもいいか聞いてみるよ』
許可なんてもらえるわけがなかった。幼い俺はなんにもわかってなかったんだ。
それでも、幼い俺はひたすらに大真面目だった。
『絶対、こことは違う世界を――『太陽のある世界』を見せてあげるから』
『約束、してくれる?』
『もちろん!』
力強く頷いた幼い俺は、アンネリーゼに小指だけ立てた手を差し出す。
『それは?』
『ゆびきりっていって、約束をするときにやるんだ。破ったらハリセンボンを飲まないといけないんだって』
『う~ん、『契約』みたいなもの? よくわかんないから、あたしのやり方でやっていい?』
『いいけど?』
幼いアンネリーゼは怪訝そうにする幼い俺の顔を両手で支えるようにし――
『――ッ!?』
そっと、唇を重ねた。
『え!? な、なんでチュウしたの!?』
『や、約束を守るオマジナイよ! こ、ここここれでタダオミは絶対にあ、あたしとの約束を破れなくなったわ! 絶対よ!』
耳まで真っ赤になった幼いアンネリーゼは噛み噛みに説明した。
『恥ずかしいならしなきゃいいのに』
『べ、別に恥ずかしくなんかないわよ! こ、このくらい普通よ普通! そう普通なのよ!』
『いやぼくの世界でもチュウは特べ……あ、あれ?』
幼い俺は頭を押さえてよろめいた。
ここから先の記憶は、俺にはない。
『タダオミ?』
『なんかくらくらして……う、うわぁああぁああぁあああっ!?』
いきなり絶叫して倒れたかと思えば、幼い俺の体から黒い靄のようなものが溢れ出てきたぞ。
幼い俺の体に、一体なにが起こってるんだ?
『タダオミ!? どうしたの!? あ、まさか、あたしの中の暗素がさっきの『契約』で流れて……このままじゃタダオミが壊れちゃう!? 抑え込まないと!』
幼いアンネリーゼはもがき苦しむ幼い俺の体に両手で触れ、暴れる暗黒の力を必死に制御していく。
そこでフッと二人の姿が消えた。
「……一体、なんだったんだ?」
俺の中に大量の暗素が存在していた理由は、今のでわかった気がする。アンネリーゼのキス……たぶん、契約に強制力を持たせる暗黒魔術だろうな。それの制御に失敗したかなんかで流れ込んできたんだ。
その後で俺が無事だったのも、アンネリーゼが頑張って抑えてくれたから。
でも、俺はその日からアンネリーゼと遊ばなくなった。その大量の暗素が陽光騎士団に見つかって記憶ごと封印されたからだ。
「待てよ……記憶? 封印? まさか!」
さっきから見せられていた過去の映像は、この暗黒空間がアンネリーゼの記憶を吸い取っていてそこから漏れたものだったりするんじゃ?
だとしたら、急がないとやばい。
アンネリーゼの記憶が完全に消されちまう前に、見つけないと!
「くそっ、俺にもアンネリーゼの気配を受信できる力があれば……」
ないものをねだって奥歯を噛んだその時――ポゥ、と。
「え?」
再び俺の体から、灰色の輝きが生じた。それは俺の額に収斂すると、釣り竿でルアーを投げるように弧を描き、尾を引いて、遠くへと飛んでいく。
「この先にアンネリーゼがいるんだな?」
なんとなく、確信した。
アンネリーゼが施した『約束』を絶対に守らせる暗黒魔術。これはきっと、その力だ。
であれば、俺がアンネリーゼの下に辿り着けない道理はないな。
「待ってろよ! 今、そっちに行くからな!」
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