第36話 暗黒魔界

 暗黒魔界への穴を抜けると、そこは薄暗い豪邸の一室だった。

 見覚えがあるな。少し記憶と違うとこもあるが、アンネリーゼの部屋だ。

 変な場所に出ないか心配だったが、ここへは昔何度も行き来している。魔術的なことはよくわからんが、たぶん、繋げる先の座標的なものが俺の整頓術に組み込まれてるんだ。


「ここが、暗黒魔界ですか」


 紗那が近くの窓に近づいて空を見上げた。禍々しい雲とは違うなにかが覆っている。あれが〝混沌〟と呼ばれるものなんだろうね。

 視線を下げると、ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。植物らしきものも見えたが、どれもこれも灰色に近い暗い緑ばかりだな。

 どんよりとした暗い世界。太陽を知ってる身としては、こんなところで暮らしてたら鬱になりそうだ。


「やはり、追ってきましたか」


 視線を部屋の中へと戻す。

 そこにはドーム状の暗黒があった。明らかに魔術的な力の塊。俺の記憶通りならば、そこにはアンネリーゼの天蓋つきベッドがあったはずだ。

 そのドームから濃紺色の髪をしたメイドが静かに歩み出てきた。

 ロロット・フォンセ。やっぱり遭遇せずにはいられない、か。


「都合よく記憶を失っていたようなのであの程度の『処理』で済ませていましたが……思い出した、ということですか。そちらのおチビ様の仕業ですね?」

「おチビ様言うなです!?」


 光の剣を生成して威嚇する紗那。俺は俺でロロットの言葉に軽い衝撃を受けていた。


「俺の記憶のことまで……お前は、どこまで知ってるんだ?」

「十年ほど昔、あなたは毎日のようにアンネリーゼ様のお部屋に侵入していましたね。何度も何度も何度も。誰があなたをわざわざ気絶させて送り返していたと思いますか?」

「……そういうことだったのか」


 気づいたら元の世界に戻ってたり、暗黒魔界への穴が閉ざされていたのは全てロロットの仕業だったようだな。こいつにとって昔の俺はさぞかし悩みの種だったんだろうね。だから最初から嫌悪と敵意を向けられていたってわけか。


「記憶を消すか処刑してもよかったのですが、そこはアンネリーゼ様に感謝することです。まあ、記憶は私が手を下さずとも失っていたようですが」


 当たり前のように物騒なことを言いやがる。アンネリーゼが庇ってくれなければ処刑されていたのか。そう思うとゾッとするな。

 ロロットは無表情だが、漏れ出る殺意をひしひしと感じる。

 今は、アンネリーゼがいない。誰も俺たちを庇ってくれない。


「ロロット、アンネリーゼはその中か?」


 それでも、俺は退くわけにはいかなかった。


「アンネリーゼ様は現在治療中です。面会させるわけにはいきません」

「それなら終わるまで待つけど?」

「いえ、そこはお帰り願います。どうせアンネリーゼ様が目覚めた時には、あなたたちの記憶はないのですから」

「なに……?」


 ロロットは、今、なんて言った?

 アンネリーゼから、俺たちの記憶がなくなる?


「どういうことだ?」

「これ以上生ゴミに教えることはなにもありません。私はフィンスターニス公爵家親衛隊隊長――ロロット・フォンセ。これより侵入者の排除を行います」


 ロロットの周囲に無数の魔法陣が展開。それらから一斉に暗黒の矢が射出され、無防備に立つ俺を襲う。こいつ、ただのメイドじゃなかったのか!


「先輩!」


 声と共に光が前を横切った。紗那が陽光魔術で暗黒の矢を全て弾いてくれたんだ。


「おチビ様が邪魔ですね」


 ロロットが踵で床を小突く。すると今度は黒々とした光を放つ大きな魔法陣が広がった。そこから……やばいな。でかいなにかが這い上がってくるぞ。

 まず見えたのは、太く巨大な双角。

 次に牛の頭、そして西洋鎧を纏い大戦斧を握った巨体が現れる。そいつは血色の瞳を爛々と輝かせ、空気を振動させるほどの雄叫びを上げる。

 ミノタウロスって感じの魔物だ。


「とんでもなく強力な悪魔です! 先輩は下がっ――」


 巨体に似つかわしくない猛スピードで俺に迫ったミノタウロスが思いっ切り大戦斧を薙ぎ払う。紗那が咄嗟に庇って光の剣で受け止めてくれなかったら、確実にミンチになっていたぞ。

 だが、その圧倒的な膂力は紗那に競り合うことも許さなかった。


「うぐぅ!?」

「紗那!?」


 吹っ飛ばされた紗那をミノタウロスが追いかける。どうにか奴の気を逸らさねえと。紗那の攻撃さえ当たれば倒せるはずだ。


「余所見をしている場合ではないと思いますが?」


 だが、ロロットがそれをさせない。暗黒の砲撃が俺を狙う。咄嗟に転がった俺の頭上を致死の暗黒弾が掠める。

 学校で受けた威力の比じゃないぞ。あんなものをぶっぱしていたら邸まで壊れちまうんじゃ……激突音や衝撃はあるのに、部屋は全く傷ついてないだと?


「反撃したければ構いません。遠慮は無用です。この部屋には結界を張っていますので」


 邸を壊さないため? いや、違う。恐らく結界とやらは俺たちが来る前から張られている。この短時間でロロットがそんなことをする素振りなんてなかった。素人の俺が気づかなくとも紗那は見逃すはずがない。

 俺たちが来ることを予想していたようだから前もって準備していた可能性はあるが、それだけじゃなさそうだ。

 考えられることとしては……アンネリーゼの治療を隠すため、だろうな。

 治療していることが誰かにバレたら説明する必要が出てくる。ロロットは、アンネリーゼが異世界に行っていたこと自体をなかったことにしたいんだ。

 させるかよ。


「逃げてくださいです先輩! そいつは本気です!」


 吹っ飛ばされた紗那は無事のようだが、今もミノタウロスと死闘を繰り広げている。

 苦戦しているようだ。紗那が振るっている光の剣は二本だけ。暗黒魔界人が俺たちの世界では力を制限されてしまうように、こちらだと紗那の陽光魔術も著しく弱まっちまうのかもしれん。


「私も尻尾を巻いて逃げることをオススメしますよ、生ゴミ。もう二度とアンネリーゼ様に関わらないと誓っていただけるなら、命までは取らないでおきます」


 当然、ロロットからの提案は却下だ。ここで逃げてしまったら、たとえ命が助かったとしても後で絶対に死ぬほど後悔する。

 それに――


「もし俺がそうした場合、アンネリーゼはどうなる?」

「どうにもなりません。生ゴミやおチビ様、あちらの世界のことは綺麗に忘れていただき、元の生活に戻るだけです」

「元の生活、か。聞いたぞ。自由に外出することもできないんだってな? つまり、軟禁生活に逆戻りってわけか」

「人聞きの悪い。しっかり護衛をつければ外出くらいできます」

「いくら上流階級でもやり過ぎなんじゃないか?」

「高貴なご身分なだけではありません。アンネリーゼ様は〝特別〟なのです」

「それも聞いたよ」


 アンネリーゼは普通の暗黒魔界人より桁外れに強い力を持っている。そのせいで特別扱いされ、恐れられ、避けられ、孤独になってしまった。


「知っているのなら理解できるでしょう? 暗黒魔界全土から見ても、あの方は規格外。そのお体に宿した桁違いの暗素の量は、国が戦略的な価値を見出すほどです」


 戦略的な価値……そこまでは聞いてなかったな。字面だけで物騒だ。


「故に、他国や心無い者からお守りするためには必要な措置でしょう」


 悪意から守るため? 綺麗な言葉で飾っちゃいるが、結局は自分の国でアンネリーゼを使い潰したいだけだろう。人との関わりを最小限にしてまで。

 それが嫌だから、アンネリーゼは家出したんじゃないのか!


「もっとも、異世界で匿うのもいいかもしれないとは思っていました。ですが、今回の件でよくわかりました。あちらの世界は我々に対し非常に残酷です。人が、ではなく、世界そのものが」


 太陽に焼き殺される可能性があったとしても、アンネリーゼは帰ろうとしなかった。あいつにとって俺たちの世界は、〝特別〟だからと割れ物みたいに扱われるこのとのない陽だまりの世界だったんだ。


「どちらの世界がアンネリーゼ様にとって安全か、あなたはそれすらわからない生ゴミなのでしょうか?」


 冷酷に告げ、ロロットは暗黒弾を放つ。

 俺は、避けない。さも自分はアンネリーゼのことを考えていますよと言いたげなその台詞に――ブチ切れた。


「ふざけてんじゃねえぞ!」


 体が灰色に発光する。ロロットの暗黒弾はその光に触れた途端、衝撃もなにもなく静かに霧散した。

 ……また、出た?

 どうやったのかはよくわからんが、使えるもんは使ってやる!


「また、その力ですか」


 瞠目するロロットに俺は一歩ずつ距離を詰める。


「安全か危険かは論点が違うだろ。アンネリーゼがどうしたいかだろ! お前の言葉にはアンネリーゼの意思が一ミリたりとも尊重されてねえんだよ!」


 怒りを声に乗せて吐き出す。弱い人間だったはずの俺に、ロロットは僅かに表情を引き攣らせてたじろいだ。


「危険なことはアンネリーゼだって百も承知だ! だからってお前みたいに逃げようとせず、危険と向き合って、努力して、自分のやりたいことを、欲しい物を勝ち取ろうとしている!」


 実際、もうちょっとだったんだ。あとほんの一言二言で叶っていたはずだったんだ。チャンスはまだ潰えていないのに、ここで摘み取られたら全部無駄に終わっちまう。


「あいつがこっちの生活にどれだけ不満があって、どれだけ悲しく寂しい思いをしていたのか、傍にいたお前が一番わかってるはずだろ!」


 俺が一歩近づくと、ロロットは一歩下がる。

 友達なんていないと言った時のアンネリーゼの暗い顔が頭を過る。


「本当にアンネリーゼのことを想ってんなら応援してやるべきだろうが!」


 俺は別に、アンネリーゼの希望通り異世界に住まわせればいいと言っているわけじゃない。もちろん今の俺はそうしてくれた方が嬉しいけどな。クラスの連中とも約束した。でも、ロロットのような身内的な立場だったら不安があることもわかる。

 異世界生活が認められなくても、元の世界での生活を改善することだってできたはずだ。それを全く考えもせずに縛りつけたりなんかしたら、俺だって家出したくなる。


「……そんなこと」


 両拳を握って俯いたロロットが小さく呟いた。


「そんなこと生ゴミに言われなくてもわかっています! 私なりにかなり譲歩していましたよ! ですが、実際に倒れてしまわれた。それも大勢の前で。アンネリーゼ様をこれ以上傷つけないためには、こうすること以外の選択肢はありません! 私だって、本当はアンネリーゼ様のしたいように生きてほしいのです!」


 鉄仮面が崩れ、今まで積もりに積もった感情が爆発するようにロロットは叫んだ。


「やっと本音が出たな」


 俺は口の端を吊り上げて笑うと、ロロットの一瞬の隙を突いて横を駆け抜けた。


「あっ!? 待ちなさい生ゴミ!?」


 ロロットの声を背中に浴びるが、待て言われて待つほど俺のお行儀はよろしくないんでね。このままさらに加速して、暗黒のドームへと飛び込んでやったぜ。

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