第35話 忘れていた思い出

 俺は、孤独だった。

 親が長期の海外出張で家を空け、爺ちゃんの家に預けられたその時から。

 爺ちゃんはよくしてくれたけど、いつまでも帰って来ない親父と母さんには捨てられたんじゃないかって疑問を抱くようになった。少し考えればそんなことはないってわかるけど、幼い俺にはそこまでの思考力はなかったんだ。

 思い込みは怖いもんで、当時の俺はそのせいでちょっとやさぐれていた。性格が人見知りってのもあって、小学校のクラスにも馴染めなかった。


 おかげで一人遊びばかりが上達しちまったよ。

 その日は爺ちゃん家の蔵の鍵が開いていて、探検気分で中に入ってみた。

 暗いのは平気だったし、懐中電灯やお菓子を持ち込んで秘密基地を作ることにした。物の位置をあれこれ変えていく内に、段々とパズル感覚で楽しくなってきた。


 すると突然、俺の足下に黒い穴が開いた。

 悲鳴を上げる間もなく呑み込まれ――気がつくと、見たこともない豪奢な部屋に転がっていたんだ。


「****、**?」


 声がした。

 振り向くと、そこには大きな天蓋つきのベッドがあって、綺麗な紅い髪の女の子が不思議そうな顔で俺を見ていた。


「えっと、だれ? ここはどこ?」

「******? *、*****」


 俺には女の子の言葉がわからなかった。それは向こうからしても同じみたいで、彼女は少し考えるような素振りをした後――そっと指で自分の唇に触れた。


「これでわかるはず……あなたは、だれ?」

「えっ!? そ、そっちこそだれなの? ここはどこなの?」


 いきなり言葉がわかるようになって驚いた俺は、パッシブスキル『HITOMISHIRI』が発動してオドオドしまくっていた。自分でも情けなさすぎて泣きそうだ。


「あたしはアンネリーゼ・フィンスターニス。ここはあたしのおうちよ。あなたは?」

「……まさき、ただおみ」


 これが、俺とアンネリーゼの初めての出会いだった。


        ☀


「やっぱり、俺は昔、アンネリーゼと会ってたんだな」


 記憶は取り戻した。ちょっと頭がくらくらするが、もう靄がかかったような感覚はない。それよりこんな大事なことを忘れていた自分自身を殴りたくなる。

 当時、俺は人見知りのもやしっ子だった。それが異世界で強気なお嬢様と出会い、彼女に引っ張られるような形で段々と明るく変わっていった。

 知らない場所で怯えていたのも最初だけで、アンネリーゼとは割とすぐに自然な会話ができるようになった。「ビクビクしてんじゃないわよ!」と叱咤されたこともある。


 その日は気がついたら元の蔵に戻っていた。

 だが、次の日も、また次の日も俺は蔵の穴を通って遊びに行っていたな。

 俺にとってもアンネリーゼにとっても、お互いが初めての『友達』だったんだ。だからあの時、アンネリーゼは俺のことはとっくに友達だと言っていたんだ。


「ああ、そういえばアンネリーゼのことを学校で話したこともあったっけ」

「例のエア子ちゃんですか……くっ、紗那の方が最初だと思ってたですのに」

「なにが?」

「なんでもねえです!」


 顔を赤くした紗那に犬歯を剥かれて怒鳴られた。


「それより毎日暗黒魔界に通ってたってことは、先輩のお爺さんの蔵にはずっと穴が開きっぱなしだったですか?」

「いや、なぜか戻る度に塞がってたんだよな。そもそもどうやって戻ってたのか思い出せん。まだ封印残ってるんじゃ?」

「いえ、もう全部解除してんです。でも、だったらどうやって先輩は暗黒魔界に?」

「それなら簡単だ。どうやら当時から俺は天才だったらしい」

「は?」


 呆れた声を出す紗那を尻目に、俺は押入れを開ける。そこに巣食っていたはずの暗黒魔界は、今は針の穴ほどの大きさも開いていないな。

 原因も犯人もわかっている。

 ロロットだ。あいつがアンネリーゼを連れ帰る際に『崩した』に違いない。

 これはまあ、想定内だ。ロロットは穴が開く条件に気づいていたみたいだしな。

 だから俺に『癖を直せ』と忠告したんだ。


「穴を閉ざしたくらいで俺たちの関係を断ち切れると思うなよ」


 俺は押入れの小物を、自分の美的感覚と当時の記憶に従って整頓を始める。


「なにいきなり散らかしてんですか? 探し物ですか?」

「整頓してんだけど!?」


 やはり理解してくれない紗那に歯痒さを覚えた時、押入れの床に、大人一人が通れるほどの暗黒の渦が出現したのだ。


「ま、まさか……」


 驚愕に目を見開く紗那。


「まあこんな感じで、幼い俺は物を一定の法則で整頓すると暗黒魔界に繋がることに気づいたんだよ。たぶん、魔術的な順序や配置になってるんじゃないか?」


 記憶を失っても、暗黒魔界への行き方は感覚的に残っていたんだ。でも記憶がないから上手く繋がるまでには至らなかった。


「こんなことが、こんなふざけたことで暗黒魔界が開くですか!?」

「ふざけたとか言うなよ。俺はいつだって真剣だ」

「先輩が真剣かどうかなんてどうだっていいです!? だって普通、暗黒魔界の穴は長年蓄積した暗素の吹き溜まりに発生するもんなんですよ?」


 わなわなと震える紗那。あれ? 俺ってばもしかして世紀の大発見レベルのことをやっちゃいました?


「当時から先輩の中に膨大な暗素があったんだとしたらあるいは……いえ、だとすればなぜ先輩にそれほどの暗素がという疑問が……」

「そういえば、封印解いたけどその力はどうなってんだ?」

「あっ……」


 思い出したように紗那はハッとすると、俺の胸元に手をあてて静かに瞑目する。


「今は、落ち着いてんです。暴走することはなさそうですね。ですが、これは……」


 複雑そうな顔をする紗那は気になるところだが、それを確かめる前に――ポケットに入っていたスマホが音を立てて振動した。

 着信だ。画面には『杉本』と表示されている。


『忠臣、アンネさんは大丈夫か?』


 電話に出ると俺がなにか言うよりも先に杉本から心配そうな声が飛んできた。杉本たちは見ちまったからな、アンネリーゼが日光を浴びて燃えるところを。なんて説明すればいいのやら。


「杉本、えっとだな……」

『オレたち全員、熱中症かなんかで倒れたって聞いたぞ。特にアンネさんが酷くてお前が付き添いで病院に運ばれたって』

「あ……」


 そういうことになってるのか。紗那の言った通り、教会の人が上手く誤魔化してくれたんだな。ロロットがすぐに眠らせたおかげもあるだろうね。

 でもちょっと無理がある気もするけど、杉本の様子からして疑ってはなさそうだ。


『ちょっと杉本くん貸して! ごめんね間咲くん、誰かが間違えて教室の暖房をMAXにしてたせいみたいなの』

『倒れる前に気づけよって話だよな』

『なんかアンネリーゼさんが燃える夢か幻覚まで見ちゃうくらいヤバかったらしい』

『それでアンネちゃんはどんな具合なの?』

『無事に退院できるんでしょ? 今度、改めて歓迎会をしましょう』


 クラスの連中が代わりばんこに電話に出てアンネリーゼを心配してくれている。

 なんだよ。なにも壊れてなんかいないじゃないか。

 それなら、もう俺は一切躊躇う必要はないってことだ。


「ああ、大丈夫だ。待っててくれ。絶対に、俺が連れて帰るから」


 通話を切る。記憶が戻ったことに合わせて、改めて決心がついたな。


「というわけだ。ちょっと行ってくる」

「ふぇ?」


 ちょっとそこのコンビニまでみたいな軽いノリで、俺は暗黒魔界の穴へと片足を突っ込もうとし――慌てた紗那に腰にしがみつかれた。


「待ってくださいです先輩!? 行くって、暗黒魔界にですか!?」

「当り前だ。アンネリーゼを連れ戻してくる」

「危険です!」

「わかってるよ。でも、俺が行かなきゃいけないんだ」


 そうだ。

 思い出したのは、出会いと当時の日常の記憶だけじゃない。


「あいつと、『約束』したからな」

「……」


 紗那はじっと俺の目を見詰めてくる。可愛らしい顔が真剣になにかを見定めようとしている。ならば、ここで俺が目を逸らしてなるものか。逆に見詰め返してやろう。ぽっ、と紗那の頬が少し赤くなった気がした。

 そのまま数十秒。


「……わかったです」


 俺の意思が固いと悟ったらしい紗那は、諦めたように大きく溜息をついた。


「先輩がどうしても行くってんなら、条件があんです。紗那も同行させてくださいです」

「いや、危ないんだろ? だから俺一人で」

「先輩一人で行く方がやべえんです! それに、あいつは紗那のともだ……ライバルです! このまま黙っていなくなられても寝覚めが悪ぃんです!」

「そうかそうか、友達か」

「ラ イ バ ル です!? ニヨニヨしてんじゃねえです!?」

「紗那にもそこまでしてやれる友達ができて、お兄ちゃん嬉しい」

「誰がお兄ちゃんですか!? 調子が戻ってきたらこれですよまったく……守ってやんねえですよ?」

「それは困るな」


 俺としては正直、紗那がいてくれた方がずっと心強い。同行させろと言われて、少し安心したくらいだ。


「もしもの時は頼りにしてるぞ」

「豪華客船に乗ったつもりで安心するといいです」


 自信満々に小さな胸を張ってみせる紗那。氷山にぶつかって沈まないことを祈る。


「……今、小舟の間違いじゃとか思ったです?」

「さあ、行くぞ! 待ってろよアンネリーゼ!」

「思ったですね!? 先輩絶対思ったですよねチクショーメ!?」


 多少ぐだぐだしてしまったが、俺は今度こそ暗黒魔界の穴へと飛び込んだ。


 その先にいるはずのアンネリーゼと再び出会うために。

 あの日交わした『約束』を、本当の意味で果たすために。

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