第31話 諦めない心

 当たり前だが、試着した服を全部買うことはとてもじゃないが不可能だった。一人暮らしで親から結構な額の仕送りがあるとはいえ、高校生のお財布事情だぞ? クソ高い服を何着も買うほど余裕なんてないんだよ。

 結局、生活に困らない程度で、アンネリーゼが気に入ったものだけ買って店を出た。


「ねえねえ、次はどこに行くの?」


 隣を歩くアンネリーゼは、尻尾があったらぶん回していそうなほどワクワクを隠し切れていなかった。服装は制服じゃなく、例のロリータ系シャツを着ている。どうやらそれが一番気に入ったらしいな。


「聞いて驚け。実はなにも考えていない」

「なんで威張って言ったのよ!?」


 服を買うという目的が達成されてしまった以上、他の予定なんかあるわけがない。


「デートと言えば食事したりゲーセンで遊んだり映画を見たり」

「うんうん、食事以外よくわかんないけどそれでいいんじゃない?」

「ありきたりすぎてつまらん。基本のレシピ通りに作る料理と同じだ。ここはもっと俺にしかできないようなオリジナリティを追及すべきじゃないか?」

「タダオミ、今、あたしに天啓が降りたわ。それは絶対やったら失敗するやつよ!」


 確かに俺たちはデート初心者だ。初心者のアレンジは危険。となると時間的にもそろそろ帰るのがベターな選択か。


「お?」


 小さな薬局の看板が目に入った。俺がいつもお世話になっているディスカウントストアとは違って、完全に薬の専門店って感じだな。

 この店自体は利用したことはないが、前から知ってはいた。俺が気になったのは店の前に建てられた宣伝用の黒板だ。

 そこにはこう書かれていた。


『新作日焼け止めクリーム『メチャアカクナラナーイ』発売! 試し塗りOK!』


 アンネリーゼに塗ってる日焼け止めの進化系みたいな名前だった。たぶん、メーカーが同じなんだろうね。


「今まで一種類しか日焼け止め使ってなかったけど、他のだったら効果時間とか変わったりするかもしれんな」


 試してみる価値はありそうだな。進化系ならなおのこと。今日の天気はアレだが、試し塗りをやってみても損はないだろう。


「日焼け止めの試し塗りやってるみたいだから、ちょっとそこの薬局に寄るぞ」

「ヒヤケドメの? わかったわ。それは重要よね」


 思い立ったら吉日。俺はさっそく店に入って店員さんを呼んだ。


「すみません、ちょっとそれの試し塗りをしたいのですが」

「いらっしゃいませ~。試し塗りですね。ありがとうございます。ではこちらをお試しください!」


 対応してくれた若い女性の店員さんは大変元気がよく笑顔も眩しかった。

 俺は手渡された開封済みのチューブの説明文を読む。効果時間は三~四時間と『アカクナラナーイ』よりもグレードアップしてるな。

 これなら期待できそうだ。


「覚悟はいいか、アンネリーゼ?」

「大丈夫よ。いつでも来なさい!」

「あのう、日焼け止め塗るだけですよね?」


 これから決戦にでも行くのかってくらい真剣な俺たちに店員さんは戸惑っていた。しょうがないだろ。日焼け止めはアンネリーゼの死活問題。そして、それを塗る時の覚悟は俺にとっての死活問題だ。


「じゃあ、服、脱がすぞ」

「うん、お願い」

「脱がないでいいですから!? 腕とかに塗っていただければそれでいいですから!?」


 なにを言ってるんだこの店員は? 全身に塗らなきゃ日焼け止めの意味が――ハッ! そうか、試し塗りだから全身に塗らなくていいんだった。こんなところでいつものように塗ってたら通報されちまう。俺ってばうっかりさん。


「よし、アンネリーゼ、腕を出せ」

「わかったわ」


 俺は差し出されたアンネリーゼの右腕を取ると、袖を肘の辺りまで捲り――クリームを塗った指をその白く滑らかな肌へと這わせた。


「ひゃあんっ!」

「ちょ、お客様!? こんなところでそんな色っぽい声出さないでください!?」


 なんか店員さんが慌ててるな。腕に日焼け止めクリーム塗ってるだけなのに。


「んん、だってぇ、この日焼け止めがぁ。塗ってるとこが熱くなって気持ちいいのぉ」

「周りの人に媚薬クリームじゃないかって疑われてますから!? お連れ様からもなにか言ってください!?」

「――目を瞑ると雪国だった。白く美しく染め上げられた大地を無駄に踏み荒らすことなどせず、俺は滑らかにその先へと移動していく」

「この人は一体なにを語ってらっしゃるんですかぁあッ!?」


 追い出されてしまった。

 なぜだ。日焼け止めの試し塗りは合法だったはずだ。全身に塗ってたわけじゃないのに。


「ぷっ」


 思わずといった様子で小さく噴き出た音に視線をやると、アンネリーゼが可笑しそうに口元へと手をあてていた。


「アンネリーゼに笑われるとか一生の恥だわ。ちょっとそこの橋から飛び降りてくる」

「なんでよ!? 別にタダオミを笑ったわけじゃないわよ!?」


 ぷくーっとリスみたいに頬を膨らますアンネリーゼ。俺が笑われたわけじゃないのか。


「じゃあ、なにが可笑しいんだ? その辺に落ちてるもんは食べるなとあれほど」

「変な物とかも食べてないから!?」


 拾い食いもしてない。ますますわからんな。


「可笑しくて笑ったわけじゃないの。楽しくて、嬉しくて、つい抑えられなくなっただけ」


 アンネリーゼは少し駆け足になって俺の前に移動すると、後ろ向きに歩きながら両腕を大きく広げ――


「ありがとう、タダオミ。こんなに楽しい時間は生まれて初めてよ」


 思わず息を呑むほどの笑顔を浮かべて、お礼を言われた。


「大袈裟だな。服買って日焼け止めの試し塗りをしただけだぞ?」

「そういう普通なことが今までできなかったから、嬉しいのよ」


 デートで気持ちが明るくなったおかげか、アンネリーゼは嫌なことを語ってるはずなのにどこか吹っ切れたような清々しさを感じた。


「上流階級は大変だな」

「本当にそうね」


 互いに肩を竦める。


「思ったんだが、反抗はしなかったのか? お前の性格なら駄々捏ねまくって周りに大迷惑を撒き散らしても不思議じゃないはず」

「タダオミはあたしのことなんだと思ってるの?」


 スルメ大好きポンコツお嬢様。オプションで暗黒魔術も使えます。


「ものすごく失礼なこと思われた気がするわ」

「安心しろ。思ってる」

「そこは気のせいであってほしかったわね!?」

「正直者の俺は嘘が苦手なんだ」

「嘘つき!?」


 ぜーはーとツッコミで息を乱すアンネリーゼに俺の純粋な嗜虐心は大変満足です。これからもそのままの君でいてください。


「で、結局向こうじゃ言いなりだったわけか?」

「文句は毎日言ってたけど……我慢してたのよ。いつか、こういう日が来るって信じてたから」


 アンネリーゼは俺をまっすぐに見詰めると、ふわっと柔らかく微笑んだ。


「そして信じてた通りになったわ。タダオミがあたしを『太陽のある世界』に連れ出してくれた。最初はビックリして戸惑ったけど、すごく嬉しかった」

「それは、なんというか、よかったな」


 今の言葉で、ちょっと救われたな。実はアンネリーゼをこちらに引き込んでしまったことに罪悪感にも似た気持ちもあったんだ。

 余計なことをしてしまったんじゃないか、って。


「学校は上手くいかなかったけど、あたしは諦めないわ。もっともっとこの世界でいろんな思い出を作るつもりよ。タダオミにも手伝ってもらうから覚悟しなさい!」


 宣戦布告でもされるみたいに指を差されてしまった。


「思い出、か」


 そのくらいなら、俺にだって協力できる。


「頃合いだな。帰るぞ」

「え? 帰るって……えっと、あたし、なんか気に障ること言っちゃった?」

「違う違う。帰るのは帰るんだが――」


 不安そうに瞳を揺らすアンネリーゼに、俺は手を振って否定してから家とは別の方向に視線をやった。


「学校に、だ」

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