第29話 最悪の空気

 予想通り、曇り空ならアンネリーゼは日除けグッズなしで外を歩くことができた。

 俺の精神衛生的にも優しい天気。もうずっと曇りでいいのに――ってそれはそれで憂鬱になりそうだな。


「やあ皆の衆、おはよう。忠臣さんが登校しましたよっと」


 教室に入るや、ちょっと心がご機嫌になっていた勢いでテンション高い挨拶をすると、クラス中の視線が一斉に集まった。


「……」

「……」

「……」


 だが、誰も挨拶を返さない。俺の後ろに控えていたアンネリーゼを見てさっと目を逸らした奴までいるぞ。

 ああ、これは、思ってたより深刻かもしんね。


「……ッ」


 流石のアンネリーゼも空気を悟って怖気づいたように息を呑んだ。

 でもすぐに覚悟を決めた顔になり――


「タダオミはなにもしなくていいわ。あたしが、一人で頑張ってみる」


 そう言って、近くにいた女子グループに歩み寄っていく。


「あ、あの」

「……」

「……」

「……」


 話しかけるが、女子グループは気まずそうになってさっとその場を離れてしまった。アンネリーゼは少し固まったが、めげずに他のクラスメイトに声をかける。


「えっと」

「ごめん、ちょっとトイレに」

「お、おはよう」

「え? あ、ああ、おはよう?」

「今日は曇ってるわね」

「僕を下僕にしてくださいッ!」

「なんでよ!?」


 他の奴らもだいたい同じ反応だな。逃げなかったとしてもぎこちなく挨拶を返すだけか、ただの変態しかいなかった。

 これじゃあ、アンネリーゼがコミュニケーションの努力をする余地すらないぞ。


「なんかギスギスしてんなー。昨日あんなことがあったから無理もないけど」

「おい杉本、他人事みたいに言ってないであいつの話し相手になってやれよ」


 俺は後ろの席でぐだーっとしている寝癖頭に言う。


「んー、悪い。実は昨日徹夜でゲームしてたから今オレ超眠いの。後でいい?」

「……お前がそんな薄情者だったとは知らなかったな」


 俺に話しかけてくれた頃の杉本はもういないってことか。昨日はちゃんとアンネリーゼのことを見ていたように思えたのに、不良と喧嘩したことがそんなに悪いのかよ。


「でもちょっと雰囲気が柔らかくなった気がするなー、今日のアンネさん」


 杉本はそう言うと突っ伏して夢の世界へと旅立ってしまった。本気で寝不足だったみたいだな。でもそれがわかるのなら、他の連中もなにか一押しがあればアンネリーゼと話をしてくれるかもしれない。

 だがどうすればいいか悩んでいるうちに時間は経過し――

 放課後になっても、アンネリーゼが誰かと打ち解けるようなことはなかった。俺が野郎どもに追い回されることもなく平和ではあったが、見ていてかなり痛かったな。


「フィンスターニス、昨日の件でもう少し詳しい話が聞きたいから職員室まで来てくれ」

「わかっ……わかりました」


 最後の授業が終わると、アンネリーゼは担任の蓮見先生から呼び出しをくらって教室を出て行ってしまった。

 やばい。このままじゃ今日はもう誰とも話せないぞ。

 なにもしなくていいと言われたが、もうそんな場合じゃないな。


「なあ、ちょっと聞いてくれ」


 俺は教壇に立つと、クラス中に聞こえるように少し声を張って注目させた。


「アンネリーゼのことで、頼みがある」


        ☀


 それから数分後。

 いつまで経ってもアンネリーゼが教室に戻って来ないから捜してみると、昇降口で相変わらずの曇り空を見上げている姿を見つけた。

 表情は空模様を反映したみたいに曇っていて、その背中から悲しいオーラがこれでもかと放出されている。


「アンネリーゼ、先生はなんて?」

「本当に昨日のことを確認しただけよ。改めて処分はないけど、場合によってはハンセーブンってやつを書かないといけないらしいわ」


 それならいいが、口調がだいぶ沈んでいるな。クラスメイトに避けられたのが相当堪えてやがる。


「タダオミ……やっぱり、こっちの世界でもあたしは怖がられちゃうのね。ロロットの言った通りになっちゃいそう」

「いや、そうでもないぞ。みんな怖がってるわけじゃない。ただシャイだからお前と話すのに躊躇してるんだ」

「だといいんだけどね」


 俺がまた嘘をついていると思ったのだろう。アンネリーゼは寂しげに微笑んだ。泣いてはいないが、今にもその紅い瞳から雫が零れそうだ。

 その顔を、俺は見たくなかった。だから手は打ったものの、このままじゃダメだな。

 時間も必要だ。


「よし、デートでもするか」

「はい?」


 アンネリーゼは俺の言葉が理解できなかったのか、鳩が豆鉄砲でもくらったようにポカンとした。


「気分転換だ。お前がそんな顔してると誰だって近づき難くなっちまうからな。無理やりにでも元気を出してもらうぞ」

「えっ? えっ? ちょっ、タダオミ待って!?」


 俺はアンネリーゼの手を取ると、強引に引っ張って学校の外へと連れ出すのだった。

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