四章 曇りのちデート

第28話 平和な朝

 アンネリーゼの友達を作ろう計画には、なによりもまず誤解を解く必要がある。

 偉そうで近づきがたいってイメージだけなら放っておいてもポンコツ晒して払拭されそうだが、不良と喧嘩しちゃったのがなぁ。いや全面的にあっちが悪いし、紗那がなんとかしてくれたおかげで処分は免れたけど。

 せめて、クラスメイトだけでも本当のアンネリーゼをわかってもらわないとな。


「タダオミ! 大変よ!」


 朝、俺が優雅にコーヒーを飲みながらどうしたもんかと悩んでいると、意外にも今日は自分で起きられたらしいアンネリーゼが血相を変えてリビングに突撃してきた。

 一糸纏わぬ姿――つまり全裸で。


「ブフッ!?」


 俺は口に含んでいたコーヒーを盛大に噴霧した。


「おいこらスルメ裸族! 部屋から出る時は服を着ろとあれほど!」

「そ、それどころじゃなかったのよ!? あとスルメ裸族ってなに?」


 一応大事なところは手で隠しながらも、アンネリーゼの焦りは鎮まらない。


「なんだ? やっぱりあの部屋、なんか出たのか? 黒光りするG?」

「違うわよ!? 逆よ!?」

「逆? 白くすみするT?」

「しろくす……え? なにそれ?」


 俺にもわからん。


「とにかくそうじゃなくて! ほら見て! 太陽が消えちゃったのよ!」


 アンネリーゼは窓の外を指差す。そこにはどんよりとした灰色の雲が隙間なく空を覆い尽くしていた。

 曇り空だ。


「あー」


 そういや、アンネリーゼが来てから快晴ばっかり続いてたもんな。出たんじゃなくて消えたから逆ってことか。


「夜じゃないのに暗素も満ちてるわ。まさか、この世界も〝混沌〟に覆われた? そんな、せっかくの異世界が……」


 ぺたんと床にへたり込んで悲嘆するアンネリーゼ。暗黒魔界人の彼女にとって太陽は異世界の象徴みたいなもんらしいからな。それが消えたとなればショックだろう。


「ついにこの時が来てしまったか」

「なに? なんなの? なにが来たって言うの?」


 アンネリーゼがビクつきながら問いかけてくる。俺は殊更深刻そうな顔を作ってテーブルの上で手を組み――


「クラウドフォール。天を覆い尽くす灰色の大地が徐々に地上へ落下し、世界が滅ぶ」

「世界が!? 大変じゃない早くアレなんとかしないと!?」

「まあ、嘘だが」

「……」


 ネタバラしすると、窓の外を指差したままアンネリーゼは固まった。


「もうぉおおおおおおおおおおおッ!?」


 今度は悔しそうに床を叩き始めたぞ。牛みたいな咆哮。本当に楽しい奴だなぁ。


「いつも晴れてるわけじゃないんだよ。この世界には天気の変遷ってもんがあってだな」

「ぐすん……それは本当?」

「これは本当」


 涙目になっていたアンネリーゼに軽く説明すると――キッ! 親の仇だと言わんばかりに天を覆う暗雲を睨みつけた。


「紛らわしいのよ! 吹き飛ばしてやるわ!」


 などと啖呵を切って空に浮かぶ雲へと暗黒魔術を放とうと――


「待て待てそれはやめろ!?」

「止めないでタダオミ! あの雲散らせない!」

「せっかく紗那のおかげで教会と和睦しそうなのにそんなことしたらまた睨まれるぞ!? あといい加減まず服を着ろ!?」


 そうして喚くアンネリーゼを宥め、なんとか暗黒魔術で闇色のドレスを纏ってもらった。

 とそこに――


「おはようございます、アンネリーゼ様。お食事にしますか? 生ゴミを処分しますか? それとも、わた……いえ、なんでもありません。オススメは二つ目です」

「出たな変態毒舌メイド。今日という今日は……は?」


 背後から聞こえた腹の立つ言葉に青筋を浮かべん勢いで振り返ったが、そこに立っていた人物に俺は言葉を失った。

 燃えるような紅髪紅眼をした美少女だった。ミルク色の肌に抜群のプロポーション。胸元を大きく開いた闇色のドレスがそれらを強烈に引き立てているな。

 というかアンネリーゼだった。

 反対側を振り返ると、そちらにもアンネリーゼ。


「なるほど、分身の術か」

「違うわよ、タダオミ」


 アンネリーゼは否定すると、僅かに目を細めてもう一人のアンネリーゼを睨んだ。


「ロロット、こっちでその格好はどういうつもり?」

「は? ロロットだって?」


 言われてみると先程の口調や俺の処分を臭わせる言葉はロロットだ。だが、目の前にいる少女はどこからどう見てもアンネリーゼだぞ。


「アンネリーゼ様、すぐにバラしてしまっては面白くありませんよ」


 と、後から現れた方のアンネリーゼが闇の霧に包まれた。そしてそれが弾けるように晴れ、メイド服を纏った濃紺髪の少女が現れる。

 ロロット・フォンセだ。


「アンネリーゼ様の姿で罵ることで生ゴミの心をバッキバキに圧し折――ちょっと驚かせてみようという私のお茶目な悪戯が台無しです」

「本音がこれっぽっちもお茶目じゃねえ!?」


 この変態メイド、なんて恐ろしいことを……。


「それはあたしがタダオミに嫌われるからやっちゃダメ!?」

「ああ、アンネリーゼ様にこの生ゴミを嫌っていただかないと意味がありませんね」

「そうじゃなくて――ていうかそんなことあり得ないから!?」


 殺心未遂された俺よりアンネリーゼの方が怒ってるみたいだった。まあ、俺は今さらだからなぁ。


「にしても、瓜二つだったな」

「えっと、ロロットには向こうであたしの影武者をやってもらっているの。完璧な変装だったでしょ? 未だに誰も見破ったことがないのよ。面倒な貴族のパーティなんかに代わりに出てもらったりしてすごく助かってるわ」


 分身の術じゃなくて変身の術だった。きっとロロットの得意技だな。変態だけに。


「本当に誰にもバレたことないのか? 口を開けば一瞬だろ?」

「このあたしがそんなヘマ、するわけないじゃない」

「えっ?」


 声がした方に顔を向けると、ロロットが再びアンネリーゼの姿に化けていた。口調どころか声音まで全く同じだったぞ。


「アンネリーゼ様のことはちょっとした仕草から毛先の揺れ具合までしっかりと観察させていただいております。アンネリーゼ様のモノマネにおいて、この私の右に出る者は存在しないでしょう」

「あー、うん、なんかわかった気がする」


 要するに変態の変態的行動に対するスペックが変態だということだ。


「もう、また勝手に変身し……あっ、そうだ。ふふふ、いいこと思いついたわ♪」


 アンネリーゼ(本物)が妖しく笑ったかと思うと、アンネリーゼ(偽物)の手を取って、その場でぐーるぐーると踊るように回り始めた。なにしてんの?

 何回転もしてどっちがどっちかわからなくなったタイミングで――


「「さあ、本物のあたしはどっちでしょう?」」


 二人揃って一字一句違わぬ台詞を口にしやがった。


「……また頭の悪そうなことを」


 思わず額を押さえる俺。


「ふふふ、いつもあたしをからかってくる仕返しよ!」

「外したらタダオミにはなんでも言うこと聞いてもらうわね!」


 片方が喋ったらもう片方がすぐに喋る。暗黒魔術で変装しているせいか、偽物は背丈や輪郭、胸の大きさまで本物と全く同じだ。真面目に声や見た目だけじゃわからんな。

 勘で選んでもいいが、アンネリーゼにせよロロットにせよ外れてなんでも言うこと聞くのは癪だな。ロロットの場合は命に関わりそうだし。

 かと言って、無視するのもなんか負けた気分だ。


「ふふっ、見事当てられたらイイコトしてあげるわ」

「ふふっ、その様子だと全然わからないみたいね」


 悪戯っぽく笑う仕草とタイミングまで完璧に同一だ。変態的観察眼でロロットに蓄積されたアンネリーゼデータは伊達じゃない。


「本物はあたしよ?」

「いいえ、あたしが本物よ」


 本物は……はっきり言ってわからない。

 わからないなら、わかるように手を打つまでだ。


「実はここに一昨日発売したばかりのスルメスティックがあります。新商品ですよ新商品」

「「!」」


 アンネリーゼは両者とも反応を示した。そこは想定内だ。


「欲しいか?」

「「欲しいわ!」」


 袋から取り出したスルメスティックをゆらゆらとチラつかせる。その動きに合わせて二人の瞳が行ったり来たり。完全に好物を前にしたわんこだな。


「そうか欲しいか。なら――」


 俺はスルメスティックをポイッと放り投げた。


「取って来いわんこ!」

「わんわん!」


 なんの抵抗も葛藤もなくアンネリーゼはわんわん言いながら駆けだし、空中でスルメスティックを見事キャッチ。もちろん口で。あいつもうプライドとかないだろ?


「で、残った方がロロットだな」

「……チッ、生ゴミが」


 悔しそうに舌打ちするロロットは、再び闇の霧を纏ってアンネリーゼの変装を解いた。こいつが俺に対してこれほどの屈辱を受け入れるはずがないと踏んだが、正解だったな。


「すごいタダオミ! 見破られたのは初めてよ!」

「いや、二人ともこの場にいたのなら普通に見抜けると思うぞ? 片方ポンコツだし」


 スルメスティックを咥えたままぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶポンコツさん。なぜそんなに嬉しそうなんだ? スルメが美味かったのかな?


「それじゃあ、約束は守らないとね」


 と、アンネリーゼが俺に向かって歩み寄って来る。

 目の前まで来ても止まらない。てか近い! 心なしか目が潤んで頬が紅潮している気がします!


「イイコト、してあげる」

「え? いや、ちょ……」


 俺に触れたアンネリーゼがそっと体を預けてくる。

 え? やだ顔が近い。

 唇が、もうちょっとで触れ――パクッ。

 スルメスティックが俺の口に押し込められた。


「あ、あたしのスルメ、あげるわ」

「……もぐもぐくちゃくちゃ」


 恥かしそうに赤くした顔でそっぽを向くアンネリーゼだったが……すごいな。色気が一瞬で吹き飛んだぞ。

 というか、これ今さっき俺が投げたスルメスティックじゃねえか。アンネリーゼが咥えてたものであって、つまり関節キ――


「そこまでです!」


 ドバン! とリビングの扉が勢いよく開け放たれた。


「ハレンチ警察です! それ以上の行為はこの紗那が来たからには許さねえですよ!」


 どこかの風紀委員みたいなことを言い出して俺たちの間に割って入ったのは、俺んちの正面にある安アパートにお住いの後輩――晴ヶ峰紗那だった。ハレンチ警察ってなんぞ?


「いや紗那、家入る前にインターホンくらい鳴らせよ」

「ハレンチの気配を感じたです。致し方なかったです」


 紗那には事情も事情だから合鍵を渡してあるとはいえ、勝手に入ってくるのはどうかと思うぞ。というかまた変な電波拾ってないこの子?


「サナちゃん、朝からなにか用なの?」


 紗那とは友達になったからか、アンネリーゼの口調はかなり柔らかくなってるな。


「お前が言ったんじゃねえですか。今日は紗那に朝ごはん作ってもらうって」

「あ、そういえば言ったわね」


 昨日の朝のことを紗那はしっかり覚えていたらしい。俺はすっかり忘れててもうトースト一枚食べちまったことは黙っておこう。


「一応訊いといてやんですが、嫌いなもんとかはねえです?」

「まだこっちの食べ物はよくわからないけど、今のところ全部好きよ。特にスルメ!」

「それは知ってんです。じゃあ先輩、キッチン借りるですよ」


 そう言って紗那は悠々とキッチンの方へと歩いて行った。心なし歩みが弾んでいる気がする。俺んちの台所はそこそこ広いからかな?


「てか、他の奴らにもそのくらい素で話せばすぐ打ち解けると思うぞ?」

「そ、それができれば苦労はしないわよ……」


 親しくない他人には舐められないようについ態度が大きくなってしまうらしい。その癖もなんとかしないとだが、こればっかりは本人の問題だな。


「アンネリーゼ様、この世界の人間があなた様を受け入れるとは限りません。あのおチビ様は問題ないようですが、他の一般的な人間は果たしてどう考えるでしょうか」


 と、ロロットがキッチンの紗那を一瞥して神妙な口調でそう言ってきた。


「なにが言いたいの?」

「傷ついてしまわれる前に、暗黒魔界にお戻りになられませんか?」


 ロロットの奴、ハッキリ言いやがった。

 当然、アンネリーゼは不機嫌な顔になる。


「嫌よ。あたしは明るくて楽しいこっちにいたいの。傷つくのが怖くて逃げたらあたしは一生後悔するわ」

「いい加減、諦めていただけませんか? 交友関係の問題以前に、こちらの世界は我々にとって毒です。特にあの太陽という光。アンネリーゼ様も酷い目にあったのでしょう?」

「最初だけよ。今はヒヤケドメもあるし」

「一日に何度も塗り直す必要のある非効率的な応急処置に頼っていては、危険です」

「うっ」


 正論を突かれてアンネリーゼは怯んだ。まあ、日焼け止めの消費量も馬鹿にならないしな。なにより俺の精神力がきつい。ロロットや紗那が塗っても効果ないんだから俺が塗るしかないんだよ。毎日何度も塗ってたら慣れるって? 慣れません。


「とにかくなにを言われてもあたしは帰らないわ。わかったら仕事に戻りなさい」

「……承知いたしました」


 納得はしていないようだが、これ以上なにか言って癇癪を起こされても困ると判断したんだろうね。ロロットは静かに頷き、足下の影へと沈んでいった。


「あいつはお前が心配なんだよ。そんなにきつくあたらなくてもいいんじゃないか?」


 ロロットの肩を持つ気はないが、言わんとしていることは俺にもわかる。誰かの、それも知り合いの傷ついた顔ほど見たくないもんはないからな。


「わかってるわよ。こうなったら二度とロロットにあんなこと言われないように友達いっぱい作ってやるんだから!」


 アンネリーゼはやる気を滾らせてぐっと握り拳を作ってみせた。空回りしそうで不安だが、その意気だ。


「というわけで、サナちゃんのごはんができるまでにヒヤケドメを塗っちゃうわよ!」

「はいはい、やっぱり俺が塗るん……あっ、待てよ。今日は曇りなんだし、日焼け止めも日傘もサングラスもなしに外を歩けるんじゃないか?」

「へ?」


 天啓が降りた俺に、アンネリーゼはきょとんと呆けた顔をした。

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