第26話 紗那の事情

 飛輪市の住宅街にポツリと佇むゴシック建築の白い建物――それが光十字教会だ。

 教会には禊場と呼ばれる浴室があり、複数人で入れるようにちょっとした銭湯ほどの広さがある。

 男女の区分けはされていない。

 この意味がわかるかねチミィ? 要するに、こ ん よ く。

 いやまあ、一般家庭の風呂と同じ仕様だと思ったら夢も希望もないんだけどな。


「こんなつもりじゃなかったです」


 夢も希望もなかったはずなのに、教会に戻った俺たちは、どういうわけか二人一緒に禊場に入れられていた。

 お互い裸――ではない。貸し出された禊用の湯着を纏っている。男物は腰に巻くタイプで、女物はノースリーブの白装束だ。


「先輩、なるべくこっちは見ねえでくださいです」

「絶対か?」

「絶対です」

「よし任せろ」

「フリじゃねえですよ!?」


 紗那は自分自身を抱き締めるようにして体を隠した。透けはしないのだが、水を吸うと肌に貼りつくため体のラインがハッキリと見えてしまうんだよなぁ。大変エロいです。

 紗那相手だからふざけていられるが、内心では心臓バックバク。意外と初心なんですよボクちゃん。

 そうだ。紗那は妹だ。妹だと思えば万事解決! あらやだ逆に背徳感がすごい!


「まったく、おばさんにも困ったもんです」


 幼児体型でも女の子の体つきをしている紗那は頬を紅潮させ、眉をハの字にして困った顔をしていた。

 教会でシャワーを借りようとしたところ、シスターのおばちゃんに「光熱費が勿体ない」と湯を張るわけでもないのにそう言われ、一緒に入ることを強制されたんだ。やたらとニヤニヤしていたから若い男女があたふたする姿を見て楽しんでいたに違いない。本当に聖職者なのかあの人?


「そういえば紗那に頑張れとか言ってたような」

「言われてねえです! 余計なお世話です! 背中洗ってやんですから先輩はあっち向きやがれです!」


 慌てた様子の紗那に強制的に背中を向けさせられた。すぐにシャワーで温水がかけられ、石鹸を泡立たせたタオルでゴシゴシと背中を擦られる。

 絶妙に痛い。紗那さんちょっと力強すぎませんか?


「……」

「……」


 気まずい。非常に気まずい。

 昼休みの時とは別種の気まずさに押し潰されそうだ。紗那と一緒にいてこれほど居心地の悪い沈黙になったことなど今までなかったぞ。混浴なんてしたことないのだから当然だが……なにかしら話題を見つけなければ俺の精神が持たない!


「あ、アンネリーゼは上手くやってるだろうか?」

「今のところ問題は起こしてねえようです。なにかあれば紗那に連絡が来るはずです」


 鏡に映る紗那がつけたままのヘアクリップに手で触れた。陽素を貯め込んで強烈な光を放出する対悪魔用の武器だと思っていたが、通信具も兼ねているようだね。


「先輩、昼休みのことですが、もしかして紗那は悪いこと聞いちゃったですか?」

「アンネリーゼが〝特別〟っていうやつか」


 あの時のアンネリーゼはかなり沈んでいた。たぶん、話すことで俺たちにも恐れられるんじゃないかとか思ってたんだろうな。

 だからこそ、あの言葉に嘘偽りがないことはわかる。


「……あの女、暗黒魔界で孤独だったんですね」

「そうらしいな」


 親にも恐れられて軟禁されていたとか、そりゃ家出もしたくなる。


「紗那も、ちょっとはわかるかもしんねえです」

「ん? 紗那は友達とか普通にいるだろ?」


 不思議に思って振り返りかけた俺の顔を、むっとした紗那が「こっち見んなです!」と手でふにっと押し戻す。


「先輩には言ったことなかったですね。紗那が教会でお世話になってる本当の理由を」


 無言で頷く。シスター見習いとは聞いていたが、それは『本当の理由』じゃないんだろう。陽光騎士団だから、というわけでもなさそうだ。


「紗那は、捨て子だったです」


 想定外のカミングアウトだった。つい振り返りそうになってまたふにっと戻される。


「教会の前に捨てられていたところを、当時この街の常駐騎士だった陽光騎士団の団長に拾ってもらったです。そのまま教会で暮らしつつ、陽光騎士団員となるべく育てられた感じですね」


 なかなかにハードな人生のスタートだぞ。陽光魔術を使って悪魔退治をしているくらいだから普通じゃないとは思っていたが、そういう暗い事情があったなんて普段の明るい紗那からは想像もできなかった。


「その団長って人が紗那の父親代わりってことか」


 こんな時にどんな言葉をかけたらいいかわからない。シリアスは苦手なんだ。だから適当に当たり障りのなさそうなことを口にするしかなかった。


「う~ん、どうなんですかね?」


 どこか懐かしむように紗那は天井を見上げた。


「紗那の面倒は主に神父様やシスターさんたちが交代で見てくれたようですし、団長は父親代わりと言うにはいろいろガサツな人です」

「いやガサツて」

「ガサツですよ。その上テキトーです。とりあえず言葉の端に『です』ってつけときゃあ丁寧に聞こえんだろって小さい子に教えるくらいです。おかげで紗那はすっかりこんな女の子らしくねえ口調になっちまったですよフフフ」


 自虐的に笑う紗那。どうも自分の口調を割と気にしてたらしいな。


「それでも恩人です。だから紗那は頑張って厳しい訓練に堪えて騎士団員になったです。どうやら才能はあったみてえで、今では団長の後釜としてこの街の常駐騎士になれたです」


 振り返ったら怒られるので鏡で見ると、紗那は小さな胸を張ってドヤっていた。言葉にも誇りが籠っていたから自分の人生を悪いようには思っていないようだな。


「そういうわけで、実は紗那も中学校まで友達なんていなかったんです。本当の両親もいねえですし、一人の寂しい気持ちは……少しはわかんです」

「まあ、それは俺もちょっとはな」


 俺も昔、両親が海外出張したせいで爺ちゃんちに預けられていた時期がある。覚えちゃいないが、当時はいろいろ拗らせてたみたいだしな。空想の友達を作っちまうくらいに。


「陽光騎士団としてはよくねえことですが」


 ザーっと背中の泡がシャワーで洗い流される。


「も、もうちょっとくらい、あいつに優しくしてやってもいいかもしんねえです」


 照れて横を向く紗那の声音は、負けを認めたような悔しさと気恥ずかしさが込められていた。


「喧嘩するよりは平和だな。よし、今度は俺が背中を洗ってやろう」

「ふぇ!? い、いえ紗那は自分で洗うですっていうか紗那の場合体洗うと湯着を脱がねえといけなくなんじゃねえですか!?」


 立ち上がった俺に紗那は自身を抱いて防御の構えを取った。


「遠慮すんなって。お兄ちゃんに任せなさい! アンネリーゼに日焼け止め塗るよか難易度低いし」

「誰がお兄ちゃんですか!? あとそれは紗那の体に魅力がねえってことですかッ!?」

「いやそうじゃなくて面積が少ないというか体積が小さいというか……あっ、俺、先に上りますね。だからその般若様みたいな顔で睨まないでって――」


 つるん。

 流れていた石鹸の泡を踏んづけて見事に滑ってしまった。


「あわぁあああああああッ!?」

「ちょ、せんぱっ!?」


 そして転んだ方向がまずかった。よりにもよって目の前の紗那に覆い被さるように倒れてしまったんだ。


「……」

「……」


 仰向けになった紗那の顔の横に両手をつく体勢。押し倒すような形になってしまい――かぁあああああっ。紗那の顔が火を噴きそうなほど赤面したぞ。

 ドキドキと聞こえる心臓の音。果たして俺のものか、それとも紗那のものか。


「……なんか、その、ホントごめんな」

「せ、先輩、紗那は――」


 どこかトロンとした目になった紗那が、俺になにか言おうとしたその時だった。

 紗那のヘアクリップが白い輝きで明滅を始めた。


「――ッ!? 先輩どきやがれです!?」

「げふっ!?」


 我に返った紗那が俺を蹴り除けて立ち上がり、鬼気迫る表情でヘアクリップに触れる。鳩尾にいいもん貰った。痛いというか苦しい……。


「こちら紗那です! どうかしやがったんですか! え? あの女が?」

「アンネリーゼになにかあったのか?」


 一気にやってきた嫌な予感にそんな苦痛など吹き飛んだ。

 紗那は通信を終えると、深刻な顔になって口を開く。


「大変です先輩! あの女が一般生徒を攻撃してるらしいです!」

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