第23話 山

 昼休み。


「酷い目にあった」


 なおも狂ったように襲撃してくる男子連中から命からがら逃げ出した俺は、ひと気のない体育館裏に隠れてやり過ごしていた。

 奴らは本気でアンネリーゼの下僕になるのを良しとする変態だった。女子の方も豪胆な連中で、下僕発言なぞ好奇心の前ではちり紙に等しくアンネリーゼを質問攻めにしていた。テンパったアンネリーゼがまた超上から目線の言葉を紡いでいたのは言うまでもない。


 結果、四時間目が始まる頃には好奇心も萎え、アンネリーゼはすっかり孤立していた。

 休み時間に周りが楽しく騒ぐ中、一人だけポツンと机に向かっている寂しさときたら尋常じゃない。経験があるからわかる。

 見てられなかったな。まあ、変態どもに追い回されて見ることもできなかったけど。


「タダオミはいつもお友達と鬼ごっこしてるの?」

「そんなわけないだろ――って、アンネリーゼ!? なんでここに?」


 どこか羨ましげな声に振り向くと、そこには件の編入生女子がいた。風に靡く真紅の髪を手で押さえるアンネリーゼは、少し無理してる風に微笑んだかと思うと、大きな胸を張って腰に手をあてた。


「タダオミの気配はなんとなくわかるのよ」

「その発言、なかなか怖いからな?」


 昨日も『俺の気配』とかいう謎電波を頼りに学校まで辿り着いていたな。どうなってるんだ暗黒魔界人の知覚力は?


「あたし、失敗しちゃったかな?」

「そうだな。だが、下僕はいっぱいできそうだぞ」

「いらないわよ」


 ぷいっとそっぽを向くアンネリーゼ。クラスメイトともこんな風に喋れたら今頃みんなで楽しくお昼ご飯とかできただろうに、なんというか残念なお嬢様だ。


「教室に戻ったらもうちょっと頑張って素直になってみるんだな」

「ううぅ、一人だと緊張して頭真っ白になっちゃうのよ。お願いだからタダオミも一緒にいてくれない?」

「それは無理だ。俺は逃亡中の身ゆえ」


 SYB隊をなんとかしない限り、俺はこうやってこっそりアドバイスするくらいしかできそうにないんだ。悪いが自分の手で勝利を掴み取ってくれ。


「だからこんなところで俺と話してないで、さっさと教室に戻って一人でも打ち解けてこいよ。それが無理ならもう暗黒魔界に帰るか?」

「……帰らない。そうね。失敗はしたけどまだ終わってないわ」


 意思は固いままのようだな。本当に頑固なお嬢様だよ。


「でもタダオミを捜してたのは用があるからよ」


 そう言ってアンネリーゼは胸の谷間から日焼け止め『アカクナラナーイ』を取り出した。だからなんでこの子はわざわざおっぱいポケットを使うんだよ。生暖かくなっちゃうだろ。


「日焼け止めを塗れと?」

「この後、外でボランティア活動? ってやつするんでしょ?」


 そうだった。昼休みが終わったら次はいよいよ学校行事の清掃ボランティアだ。


「クラスの女子に事情を話して塗ってもらうわけにもいかんし、俺がやるしかねえか」


 日焼け止めを受け取ると、アンネリーゼはさっそくバンザイの姿勢になる。このお嬢様、そろそろ暗黒魔術のドレス以外の着脱を覚えてほしい。


 しゅるしゅる。ばっ。ドキドキ。すすー。しゅばっ。ドキドキ。鎮まれ俺の心臓よ。


 ノーブラ……じゃない、だと?

 紗那が持って来た中に下着もあったのね。ふむ白か。意外だ。いや紗那の趣味だな。恨みつらみを吐き出しながら揉みしだいたおかげでサイズはピッタリのようです。


「じゃあ、塗るぞ」


 フハハ何度も塗ってもはや慣れたものよ! と俺は自分を偽りながら、日焼け止めクリームをその白くキメ細かい肌へと塗り始めた。



 突然だが、登山って素晴らしいよね。


 突然すぎるって? まあいいから聞いて。

 興味ない人からすればただ疲れるだけの苦行かもしれん。だが、山はいいぞ。まず大自然をその身で感じることができる。スケールが違うんだ。もう全然違う。バインバインに違う。


「ひゃん! タダオミ、いきなりそこは……」


 山と言っても、その道中にはいろいろな顔が見える。最初はなだらかだったり、いきなり急勾配になったり、ごつごつしている場所があったり、ツンツンしてたりぽよぽよしてたり……すまない、最後のは関係ないから忘れてくれ。


「んにゃあっ!?」


 山頂から見下ろす景色は、それはもう絶景と言っていいはずだ。我々が普段住んでいる地上などちっぽけだということを理解してもらえると思う。

 二つの連なった山。その間にある吸い込まれそうな渓谷。わかるだろう? 登らずにはいられないこの気持ち。


「ちょ、ちょっとまっ――ひゃうん!?」


 登山は確かに疲れるかもしれない。なにせ全身運動だからな。寧ろだからこそ健康になるぞ。その疲労だって段々とキモチヨクナッテイクハズダ。


「ダメ!? タダオミ!? それ激しい!?」


 山はその日によって風景が様々だ。四季の変化をその身で感じることができる。例えば秋になれば真っ赤な紅葉で彩られ……おかしいな、今は春なのに赤いぞ。


「だめっ、だめぇええええええええええええッッッ!?」


 この山、今大きく揺れたな。火山でも噴火するのかな?


「なにしてんですか、先輩?」

「人はなぜ山に登るのか? そこに山があるから……ハッ!?」


 気がついた時、そこには悩ましげに息を荒げたアンネリーゼがぐったりしていた。そしてそんな俺たちを、いつの間にかやってきていた紗那がゴミを見るような目で睨んでいる。


「山……山ですか? 先輩はどこのエベレストに登ってたんです?」

「ハハハ、紗那さんてばなにを馬鹿なことを。エベレストと言えばネパールと中国の国境上ぶるぁあああッ!?」


 言い終わる前に紗那からキレのいいライダーキックを貰ってしまった。数メートル転がった俺の眼前に、紗那は禍々しいオーラを纏いながら仁王立ちする。


「なんですか? アレですか? そいつがエベレストなら紗那は東ヨーロッパ平原って言いてえんですか?」

「そんなこと微塵も思ってませんが!?」

「誰の身長がミジンコですかぁあッ!?」

「今日は一段と被害妄想が酷いな!?」


 これ以上叩きのめされたくないので俺は正直に事の経緯を説明した。アンネリーゼにも手伝ってもらいたかったが、陶然とした様子で陸に打ち上げられた魚のようにビクンビクンと痙攣しているだけだった。

 いや、日焼け止め塗っただけだよね俺?

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