第21話 張り詰めた食卓

 そうして一旦場が落ち着くと、般若様もとい紗那がアンネリーゼとロロットを強制的に着替えさせ、全員で朝食をいただくことになった。


「タダオミ、このアジノヒモノもスルメに負けずとも劣らない美味しさね!」

「やっぱり干物がドストライクだったか。この干物嬢様め」

「そ、そんなに褒められても困るわ」

「お前の中で干物ってどんだけ高尚なもんになってんの?」


 なんか顔を赤らめて指をつんつんするアンネリーゼは、闇色のドレス……ではなく、紗那が持ってきた学校の制服を着ている。制服自体は見慣れているはずなのに、アンネリーゼが着ると新鮮に見えるな。悔しいけど見惚れそうになったよ。


「お前は要観察対象なんですから、妙なことをすると滅するですよ」


 幸せそうにアジの干物を咀嚼するアンネリーゼを、紗那がジト目で睨みながら強めに脅しつけた。


「アンネリーゼ様を滅する? 聞き捨てなりませんね」


 当然、その言葉を平然と流せない者がこの場にはいる。ロロットだ。紗那はロロットもキッと睥睨し、苛立ちを込めに込めた声を放つ。


「お前もですよ! この世界を害すると判断した瞬間ぶっ飛ばしてやんです!」

「ほう、なかなか無礼なおチビ様ですね。小さな獣ほどよく吠えるものです」

「あぁ!? 誰が小人族ですか今すぐ塵に変えてやってもいいんですよ!?」


 一触即発。やめてほしいなぁ、俺の家でそんな物騒なことすんなよ。

 しかしロロットはともかく、紗那ってこんな他人に嚙みつくような子だったっけ?

 やっぱり相手が暗黒魔界人だから? 一人増えたから気が立ってるのかね。まるで自分の縄張りを守ってる猫みたいだな。


「ロロット、喧嘩するなら出禁にするわよ」

「はっ、申し訳ございません。それだけはご勘弁を」

「紗那も落ち着け。仲良くしろとは言わんが、自分でトラブル誘発させちゃ意味ないだろ」

「ぐむぅ」


 アンネリーゼに言われ素直に引き下がるロロット。紗那もここでドンパチやらかす気はないようで、悔しそうに頬を膨らませて唸った。


「まあ、普通に暮らしている分には紗那だってなんもしねえです」

「というか、なにをそんなにピリピリしてるんだ? 誤解なら解けてるだろ?」

「そんなすぐ気持ちは切り替えらんねえです。それに――」


 紗那は味噌汁の入ったお椀を見る。


「朝ごはん、紗那が作るはずだったですのに……」


 不貞腐れたようにそう呟く紗那は、そんなにショックだったのか? まさかここまで落ち込むほど料理好きだったとは。きっと引っ越したボロアパートの台所が狭いか汚いかで使い物にならなかったんだな。


「……先輩がなにか勘違いしてる気配がすんです」


 紗那がチラリと真っ白な視線を向けてきた。残念ながら他の理由を思いつくほど俺は料理に詳しくないぞ。


「ロロット、明日は朝ごはん作らなくていいわ」


 そんな紗那を見てなにか考えていたアンネリーゼが、ロロットにそう命じた。


「この子に作ってもらうから」

「なっ」


 紗那が顔を上げて絶句する。敵視しているアンネリーゼからそんなことを言われたのだから、混乱もするだろうね。


「しかし、アンネリーゼ様のメイドは私で」

「いいから」

「……承知いたしました。新しいメイドとして雇い入れるわけですね。ではこの私がビシバシとメイドのなんたるかをお教えして」

「そんなんじゃないわよ! もう、ロロットはこれ以上余計なことしないで!」

「むむむ……」


 アンネリーゼに『余計なこと』と言われたロロットは渋々といった様子で大人しく引き下がった。無表情だが、「余計なこと。嫌われる。それはいけません」と呟いてるのが聞こえるぞ。


「お前、なんで……?」

「別に、ただの気紛れよ。それとあたしは『お前』じゃなくて『アンネリーゼ』って名前があるんだからね」


 ぷいっとアンネリーゼは気まずそうにそっぽを向いてスルメを齧った。仲良くするのは難しそうだと思っていたが、アンネリーゼなりに歩み寄ろうとはしてるらしいな。


「てかスルメは朝飯に出してないぞコラ!?」

「手が勝手に」

「このスルメジャンキーめ!」

「なにそのカッコイイ響き!」


 ダメだこいつ、早くなんとかしないと。ただでさえ『暗黒魔界』と呼ばれてる俺の家が『イカ屋敷』とかにクラスチェンジしたら嫌すぎる。


「先輩、紗那はどうすればいいですか?」


 紗那が困った顔で俺を見てきた。後輩に頼られちゃ答えないわけにはいかないな。


「好きなようにすればいいんじゃないか? 料理がしたければ俺んちの厨房は存分に使ってくれて構わない。あ、その代わりこの家で物騒なことはなしだぞ?」

「やっぱり先輩なんか勘違いしてねえですか?」

「ん? アパートじゃ満足に料理できないから俺んちを使わせてくれって話じゃ?」

「……はぁ、もういいです」


 紗那は疲れたように大きく溜息を吐いた。


「この話はここまでです。それより先輩、今日の五~六時間目はいつものアレですけど、ちゃんと準備はしてんですか?」

「アレ?」


 変えられた話題が一瞬なんのことかわからなかったが、すぐにハッとして思い出す。


「あー、アレか。そうか今日だったな」

「アレってなによ? 二人だけわかってないであたしにも教えなさいよ!」


 仲間外れにされたと思ったらしいアンネリーゼが身を乗り出して問い詰めてくる。今日からこいつも学校に通うんだったら教えないわけにはいかないか。


「月に一度、教会主催でゴミ拾いのボランティアがあるんだ。俺たちが通う高校も午後の時間を使って全校生徒強制参加の行事みたいになっててな。まあ、街の美化に並々ならぬ関心のある俺としては、行事とか関係なくずっと前から参加してるわけだが」


 紗那とは中学の頃にそのボランティアを通じて知り合ったんだ。ちなみに学校でも美化委員に……なりたかったのだが、なぜかクラス全員から即却下されてしまった。なぜだ。

 そういや、理事長が教会関係者だってさっき紗那が言ってたな。だから学校行事に組み込まれたとか?


「生ゴミがゴミ拾い……ぷっ」

「そこ! 無表情で笑うな!」


 杉本や他のクラスメイトにも『街を暗黒魔界に変えるなよ?』と茶化されたことがある。お前らと違って俺は本当に善意で参加してるってのに酷い奴らだ。


「先輩の美化意識はともかく、準備は怠らないようにしてくださいです。特に日射病対策ですね。今日も日差しが強ぇですから」

「それは毎度のことだからいいんだが、こいつも参加しないとダメか?」


 俺はアンネリーゼを指差す。短時間では終わらないボランティアに参加させてしまうと、下手すりゃその場でゴミごと焼却してしまう事態になりかねない。


「当然です――と言いてえとこですが、紗那も余計な騒動は起こしたくねえです。要は長時間外に出なきゃいいんですよね? ならテントの中で給水係でもすりゃいいだけです」

「ああ、その手があるか」


 他にも体が弱かったり体調が優れなかったりする生徒は必ずいる。そういう生徒は休憩所も兼ねた仮設テントの中で補助的な役割を与えられるんだ。といってもだいたい担当の先生がやるから実質見学してるようなもんだけどな。


「じゃあ、あたしも参加していいのね? やった!」

「あくまでお前を監視するためだってこと忘れんじゃねえですよ!」


 飛び跳ねそうな勢いで喜ぶアンネリーゼに、紗那はシャーッと威嚇するように犬歯を剥いた。


「そろそろ出るか。これ以上のんびりしてたら遅刻しちまうぞ」


 朝からなんやかんや騒がしくて疲れたけど、だからなんだと言わんばかりに学校は休みになっちゃくれない。

 それに今日はアンネリーゼの初登校日だ。いきなり遅刻じゃ流石にあんまりだろ。


「タダオミ、例のやつお願い」

「ああ、日焼け止めね。また忠臣探検隊の戦いが……あ、そうだ」


 なにも身構えなくていいじゃないか。この場には俺以外にも事情を知る奴がいる!


「紗那、アンネリーゼに日焼け止めを塗ってやってくれ」

「ふぇ? なんで紗那がです? そのメイドにやってもらったらいいじゃねえですか?」

「お任せください! 次こそは隅々まで満遍なく塗りたくって差し上げますゲヘヘ」

「いや、紗那なら塗り慣れてるだろうし、俺よりも上手いはずだ」


 あとそこで鼻血を垂らして手をわきわきさせている変態にやらせると違う意味で大変なことになりそうだ。


「……わかったです。先輩にやらせるわけにもいかねえですし」


 ロロットの奇行を横目で見た紗那は、渋々な様子で俺から日焼け止めを受け取った。


「むぅ、あたしはタダオミに塗ってもらいたいんだけど」

「紗那だって不満です。こんな着替えも自分でできない奴になんで紗那が……」


 不貞腐れながらも紗那がアンネリーゼの制服をぬぎぬぎさせていく。


「わかってくれ。これは俺のメンタルを守るため仕方のないことなんだ」

「先輩は早く出てってくださいです!?」


 蹴り出されてしまった。

 なんにしてもこれで俺が塗らなくても済むわけで、健全なオトコノコとしてはちょっと残念な気もしないでもないが、心の平和は保たれ――


「あっぼぁあああああああああああああああッ!?」

「ふぇええええええせせせ先輩大変ですすすッ!?」


 なさそうだった。


「どうした!?」


 悲鳴を聞いてリビングに飛び込んでみると、背中の一部からメラメラと炎を上げるアンネリーゼの姿があった。

 なんで? 屋内だぞ?


「今お助けしますアンネリーゼ様!」


 すぐにロロットが暗黒魔術を発動させ、闇で炎を握り潰すようにして消火する。


「どういうことだ? 日光に当たらなけりゃ燃えないはずだろ」

「わかんねえです。紗那は普通に日焼け止めを塗っただけです。そしたら塗ったところからボッて……」

「アンネリーゼ様を排するつもりで力を使ったのではありませんか?」

「そんなことしてねえです!」


 ロロットと紗那が睨み合う。俺の時はもちろんだが、アンネリーゼが塗ってもそれだけで燃えるようなことはなかった。紗那だからそうなった原因があるはずだ。


「まさか、紗那の退魔師の力が無意識に流れ込んだとか?」

「制御は完璧にできてるつもりですが、否定はできねえですね……」

「このような未熟者に任せてはおけませんね。ここは私が」


 ロロットがそう言って紗那から日焼け止めを引っ手繰った。


「昨日は不覚を取りましたが、今日こそは私が全霊をかけてお塗りいたします!」


 やる気満々に握り拳を作るロロット。無表情だがな。

 こうなったらこのメイドに任せる他なく、俺と紗那は一旦リビングの外で待機。


「ぶはっ!?」

「ロロット!?」


「今度はどうした!?」


 さっきとは別な感じの悲鳴が聞こえたので突入してみると、鼻から溢れた血の海に沈むロロットを、服を肌蹴たアンネリーゼが慌てた様子で揺さ振っていた。

 ロロットはどこか満ち足りた顔で「無念」と呟いている。この変態駄メイド……。


「やっぱりタダオミじゃないとダメなのよ!」


 椅子に座らせたロロットの鼻にティッシュを詰めたアンネリーゼは、今度は日焼け止めを俺に差し出した。それから上目遣いで口を開く。


「ねえ、タダオミ、お願い」

「……わかったよ」


 くっそ、本当に俺が塗るしかないじゃないか。

 もってくれ、俺の理性!


「ひゃんっ」


 白いクリームをつけた俺の手がアンネリーゼの柔肌を優しく撫で回していく。今まで通りの順序で背中を擦るように塗ると、次は腰回りから脇にかけてをすりすり。


「んあ、タダオミ、そこ、いい」

「口閉じてくれませんかねぇ!?」

「だって、声、勝手に出ちゃうんだもの」


 俺の手が触れる度にアンネリーゼから悩ましい声が漏れる。俺はせっかく頑張って我慢してるってのに、そんなによがられたら目覚めちゃいかんもんがおっきしちゃうぞ。

 それから第一の鬼門たるおっぱいさん。谷の深淵までしっかりと。触ったところの形がむにって変わるからすごーい! たーのしー! もうIQを下げなきゃやってられません。


「せ、先輩の手があいつのあんなところやこんなところに……あわわわ」

「ぐぬぬ、うらやま――ではなく、変な気を起こすと圧殺しますよ」


 後ろで見守る紗那はポストみたいに赤面して口元を手で隠し、ロロットは悔しげに歯噛みしていた。


「いやお前ら出て行けよ! 見せもんじゃねえぞコラ!」


 結局、全部塗り終わるまで二人は観客をしていやがった。俺に見られながらだと興奮するような趣味はありません!

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