三章 光と闇の融和
第18話 メイドの本性
少女はいつも一人だった。
そこは薄暗く静かな、広い広い部屋。人工の明かりだけが窓からぼんやりと差し込んでいる。
虚ろな瞳が寂しげに外を向く。天は蓋をされているかのように晴れることのない分厚い靄に覆われ、その先になにがあるのか知ることは叶わない。
それでも人々の営みは変わらない。彼らにとっては当たり前のこと。
活気に溢れる街の通りを、少女と同い年くらいの子供たちが楽しそうに駆けていく。
俯く。唇を引き結ぶ。両の拳を握り締め、小さな肩が微かに震える。
どうして、自分だけあの明るく幸せな輪に入っちゃダメなのか?
どうして、自分だけ閉じ籠らなければいけないのか?
どうして、自分だけ他の人と違うのか?
『あなた様は〝特別〟だからです』
周りの人たちは口を揃えてそう答える。
少女を讃え、顔色を窺い、ご機嫌を取る。
誰も、少女が本当に欲しているものに気づきもしない。心の内で泣いている彼女のことを想像もできない。
だったら、俺が変えてやる。
連れて行ってやる。
彼女がもう寂しくて泣くことのない、陽だまりの世界へ――。
☀
なん……だ……?
温かい。気持ちいい。なんかすっげぇいい匂いがする。
「……朝か」
瞼を開けると、芸術的に配置された天井のシミが目に入った。うん、いつ見ても素晴らしい黄金比だな。写真撮って切り取ってコンクールに出品しようかしら?
なんてこと思いながら上体を起こし、ぐっと伸びをする。
変な夢を見た……気がするな。もう記憶がすーっと遠退いてしまったが、どこか懐かしい気分になる夢だった。
なんというか、胸の奥の方がもやもやとする。気持ちが悪い感じじゃないが、チクリと刺すような引っかかりを覚える。
そう、なにかとても大切なものを忘れてしまってるみたいな――ふにっ。
「ふにっ?」
なんだ、今、めっちゃ気持ちいい感触が掌に伝わってきたぞ。
布団か? それとも枕? いや違う。そんなんじゃない。ずっと揉んでいたくなるほどプニプニした弾力の生温かなこれは…………気づかなかったことにしていいですか?
「ん……」
どこからか俺の声じゃない悩ましげな吐息が漏れた。よし、『せーの』で振り向こう。裏切るなよ? 『せーの』だぞ?
「ふう……せーのオラァアッ!」
アンネリーゼが添い寝していた。
全裸で。
「ですよね!」
そんで俺の手はというと、彼女の大きく膨らんだそれをがっしりと鷲掴みだった。
「おぱぁあッ!?」
思わず変な悲鳴が出た。感触の正体に気づいていても出るもんは出るんだ。さらに慌てて手を放しちまった勢いでベッドから転げ落ちる俺。
ガタガタドゴン! と大きな音を立ててしまったが……アンネリーゼは、目覚めない。うるさそうに少し身を捩っただけだった。
「お、落ち着け俺。こういう時こそ冷静になって考えるんだ。なんでアンネリーゼが俺のベッドに寝ているのか? まずはその議題について論理的に検証を始めよう」
検証その一、ここは本当に俺の部屋なのか?
結論その一、天井のシミで確認済み。間違いなく俺の部屋。
検証その二、俺がアンネリーゼを連れ込んだ可能性。
結論その二、記憶に存在しない。俺が二重人格じゃない限りあり得ない。
検証その三、夜中にトイレにでも起きたアンネリーゼが寝惚けて部屋を間違えた。
結論その三、そ れ だ!
「オーケー、俺は無罪。なにも悪いことはしていない。勝訴!」
このポンコツさんならそのくらい素でやらかしそうだもんな。夜這いしてきたとかそういうけしからん理由なんてないはずだ。たぶん。
「アンネリーゼ様、お部屋にいらっしゃらないと思えば、このようなゴミ捨て場でお眠り遊ばされているとは」
「誰の部屋がゴミ捨て場だコラ! 火曜日にお前も回収したろか!」
突然聞こえてきた無礼な声に俺は反射的にツッコミを返した。
だが、声の主が見当たらないぞ。一体どこから……俺の足下の影から濃紺髪の少女が首だけぬぬっと生えてきた。
「おばぁあッ!?」
「汚い悲鳴ですね。耳が腐りそうです。生ゴミだけに」
「なにも上手いこと言えてないからね!?」
この床から見上げてくる生首は、アンネリーゼの専属メイドのロロット・フォンセだ。
「お前、首だけ……?」
「影移動の暗黒魔術ですが? そんなことも知らないから無知無能の生ゴミなのです」
「なんだとっ……じゃあ、お前の首から下は暗黒魔界にあるのか?」
「はぁ? 移動可能なのは繋がった影から影のみです。世界間を自由に転移などできるはずないでしょう。伽藍洞の頭でも少しは働かせて考えればわかることです」
どうして暗黒魔術初心者ですらない俺がここまで言われねばならんのだ。泣くぞ? いい年した男子高校生がみっともなく泣き喚くぞ?
「話を戻しますが、せっかくこの私が嫌々ながら掃除してさしあげましたのに、このように散らかされては『ゴミ捨て場』と表現するほかありませんが?」
呆れた口調で部屋の状態にケチをつけられてしまった。
確かに俺は昨日、紗那がアンネリーゼを尋問してる間に自分の部屋を『整頓』したよ。こいつがまた勝手に掃除してくれやがったせいで塵一つ落ちていなかったが、レイアウトがどうにも落ち着かなかったんだ。
「まったく、この素晴らしく絶妙な物の配置がなぜわからない。見ろ、例えばこの本棚なんか手の届く距離にありながら移動の邪魔にならず少し斜めにして置くことでキュビズムのごとく多角的視点から見たような芸術性があってそれに」
「わかりたくもないのでその息臭い口を閉じて永久に呼吸しないでください」
「死ぬ!?」
自分の趣向を他人に理解させるって難しいよな。まあロロットの場合、そもそも俺の存在から理解してなさそうでムカつくんだけど。
「一応忠告しておきますが、その癖は早めに矯正した方がよろしいかと」
「はいはい、会う人みんなに一度はそう言われるよ」
まだ言われてないのはアンネリーゼくらいだ。もしかして、アンネリーゼにはこの芸術性がわかるのか? だとすると……いや、散らかってるって言われたことはあったな。
「汚らわしい目でアンネリーゼ様を見ないでいただけますか?」
「見てな……いや、ガッツリ見ちゃったな。悪い。流石に謝る。というか、なんでこいつ裸で寝てんだよ?」
「アンネリーゼ様の就寝時は全裸が基本です」
「裸族か!?」
そういえばこっちの世界に引っ張り上げた時も全裸で寝ていた。少しでも開放的になりたかったのかな?
「とにかくアンネリーゼ様をお起こししますので、即刻部屋から立ち去ってください。いつまで居座る気ですか処刑しますよ?」
「ここ俺の部屋!?」
あまりの理不尽に愕然とするが、ロロットはもはや俺なんて眼中にないと言わんばかりにくるりとアンネリーゼの方を向いた。
そして、首から下の体も押し出されるように浮上してくる。
形のいい白いお尻がぷるりんと姿を現した。
「ぶっ!?」
まさかの不意打ちに噴き出しちまった。
「なんですか汚らわしい」
「なんですかはこっちの台詞だ!? なんでお前も裸なんですか!?」
「どこに目をつけているのですか、生ゴミが。ちゃんと着ていますよ」
そう言って改めて俺に向き直ったロロットは――エプロンを着用していた。ピンクの生地にフリルがこれでもかと取りつけられている。控え目に言って、毒舌鉄仮面には激しく似合ってねえな。
だが、エロい。裸エプロン、エロい。
「なんでそんな格好してんだ!?」
「昨日はあなたが夕餉を準備したそうですね? アンネリーゼ様にご奉仕する精神は認めてあげなくもないですが、それは私の仕事です。朝食は私が作ります」
つまり朝飯の準備をしてたってことか。
「暗黒魔界は料理するとき裸エプロンが基本なの?」
「は?」
なに言ってんだこいつという蔑みの視線をいただいてしまった。
「これはこちらの世界の正装でしょう?」
「……ホワッツ?」
ロロットがなにを口走ったのか理解できなかった。コチラノセカイノセイソウ? それ暗黒魔界語でなんて意味なの?
ロロットはおもむろにエプロンの胸元に手をやる。と、アンネリーゼほどではないが形よく刻まれたその谷間から一冊の雑誌が取り出された。いかがわしいエプロン姿のいかがわしいお姉さんがいかがわしいポーズを取っている表紙だった。
「な、なぜ、それをお前が……?」
蒼白する。俺だって男の子。アレは杉本から分けてもらった秘蔵コレクションの一つだ。ベッドの裏に張りつけていたはずなのに、なぜバレた。
てか、A4サイズの雑誌がどうやってそこに収納されてたんだ? アレも暗黒魔術か?
「掃除中に発見いたしました。書物はこの世界を知るよい教材です」
「初っ端から間違ったもん手に取ってんじゃねえよ!? あと俺の部屋勝手に掃除すんなクソがッ!?」
本なら他にも見えるところにいろいろあるのに、よりにもよってそれとは悪意しか感じない。いや、ロロットの様子からして素だろうね。俺を扱き下ろすつもりならもっと辛辣な言葉の刃で心を抉ってくるはずだ。
「なんでもいいからそれは返しなさい!」
バッ! 俺にしては驚異的な瞬発力でロロットから雑誌を奪おうと手を伸ばす。だが、顔色一つ変えないロロットの蹴りが鳩尾に直撃してしまった。
「ごぶぅ!?」
「生ゴミが、気安く私に近づかないでください」
蹴り飛ばされて床に転がる俺にロロットは唾を吐きかけん勢いで罵倒すると、何事もなかったかのように未だ夢の中のアンネリーゼに向き直った。
これだけ騒いでも全く起きる気がしないアンネリーゼは……朝に弱すぎるでしょ。昨日は俺より早起きしてたけど、めっちゃ眠そうにしてたし。
「アンネリーゼ様、朝です。起きてください」
「んんー……朝ならまだ寝てるぅ」
「これからは朝早く起こせと私に申しつけたのはアンネリーゼ様ですよ?」
「すぴー」
優しく揺り動かすロロットだったが、馬鹿だな。その程度で起きるならさっきまでの騒ぎでとっくに目を覚ましてるぞ。アンネリーゼの侍女ならそのくらい知ってろよ。
「まったく仕方がありません。本当に、仕方がありませんね。まったく、アンネリーゼ様はまったく」
「んん?」
ロロットはわざとらしく溜息をついたかと思えば、その無表情だった顔を次第に緩ませて――アンネリーゼの隣にそっと寝転んだ。
「待て、どうして添い寝する?」
「ああ、アンネリーゼ様ぁ。向こうだと他のメイドの目もあるため我慢していましたが、こちらでは私一人! そう! 私一人なのです! アンネリーゼ様が悪いのですよ? 私が起こしても起きないのですから! ふへへ、モチモチのお肌ぷにぷに♪ 髪の毛もサラサラでいい匂いです♪ くんかくんか」
「……」
俺など存在していないかのようにロロットは頬を上気させ、息を荒げ、アンネリーゼに触ったり匂いを嗅いだりとやりたい放題だった。
これは、アレだな。うん、アレだ。
「変態だぁああああああああああああああああああッ!?」
あかんわこいつ、これ以上関わっちゃいけない。
よし、なにも見なかったことにして静かに回れ右。俺はそそくさと部屋から退散することにします。
悪いなアンネリーゼ、お前の犠牲は無駄になるよ。
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