第17話 アンネリーゼの欲しいもの

 ドタバタだった昼の時間は終わりを告げ、西日が稜線の彼方へと沈んでいく。


「こっちの夜の空って、なんかキラキラしてて綺麗ね」


 アンネリーゼはリビングの窓際の床に大の字で寝転がって夜色に移り行く空を眺めていた。〝混沌〟とかいう謎の雲に年中覆われた暗黒魔界ではまず見ることのできない星空に感動しているようだ。


「メイドつきのお嬢様とは思えない格好だな」

「別にいいでしょ。こっちじゃあたしはお嬢様でもなんでもないんだから。ただのアンネリーゼよ」


 スルメもくちゃくちゃ音を立てて食べてるし、今までお嬢様然としてなきゃいけなかったストレスの反動でもあるんだろうか。


「そういえば、さっきまで紗那となにやってたんだ?」


 ふと気になって訊ねる。学校の授業が終わるや否や、俺は紗那と合流して真っ直ぐ帰宅した。するとだらしなくソファーで寝転んでいたアンネリーゼを見つけた紗那が、「野郎は入って来んなです!」と威嚇して彼女を別室へと連行したんだ。

 俺抜きで取り調べでもしてんのかと思ってたら、部屋から出てきた紗那はなぜか元気がなく、「教会に報告してくんです……」と残してトボトボ帰って行った。

 ちなみに家具やら調度品はだいたい元通りになっていた。アンネリーゼが約束通りちゃんとロロットのコンチクショウに言ってくれたようでなによりだ。


「なにって言われると、暗黒魔界や暗黒魔術についていろいろ訊かれたりしたわね」


 なるほど、やはり尋問されたようだ。


「あと、お、おっぱいを揉まれたわ」

「あー、なるほどおっぱ…………なんて?」


 妙な単語が聞こえたぞ。俺の聞き間違いだったかもしれん。


「だから揉まれたのよ! こうひたすらに、力強く、時々恨み節を囁かれながら」

「なにしてんの紗那……」


 寝転がったまま少し恥かしそうに自分の胸をポヨポヨしてみせるアンネリーゼ。大きなメロンがたゆんと揺れて目のやり場に困ります。


「そうか、だから自分のと比べちゃって落ち込んでたのか」


 思い返せば、帰り際の紗那は自分の胸をぺたぺた触っていたような気がする。しかしなにがしたかったのかさっぱりわからん。紗那が変態に目覚めた? そんな馬鹿な。違うよね? 違うはず。たぶん。きっと。そう思いたい。

 とりあえず、『野郎は入って来るな』って言われた理由だけはわかったな。


「んん、ふわ……あふん」


 アンネリーゼがぐっと伸びをする。やっと起きるのかと思ったら、ふにゃっと力を抜いてその場から動こうとしない。


「もっとしゃんとしろよ。ただのアンネリーゼさんよ」

「んー、なんか体がだるくて」 

「あ? 熱でもあるのか?」


 暗黒魔界との環境の違いで風邪でも引いたとか? ポンコツなのに。


「体の中の暗素が足りてないだけよ。大丈夫、ちょっと休んだら治るから」


 昼間の戦闘で使い過ぎたってことか。普通の暗黒魔術は暗素を外から集めて使ってるっぽいし、負担が大きいんだろうね。


「やっぱお前らにとってこっちの世界は住みにくいんじゃないのか? いい加減、帰ろうとか思わねえの?」

「思わないわね」


 即答。燃えて痛い思いまでしてんのに、微塵も挫けないその心はどこから来てるのか不思議だった。

 だから――


「なんでそこまでこの世界に拘るんだよ。なんかやりたいことでもあんの?」


 もう、直接聞いてみることにした。


「やりたいことはいっぱいあるわ。学校に行くこともそうだし、欲しいものもあるし」

「なるほど、世界か」

「なんでよ」


 ツッコミに覇気がない。冗談抜きで疲れてるみたいだな。


「で、欲しいものって?」

「……」


 アンネリーゼは言いづらそうに押し黙った。人に言えない望み。世界征服じゃないとしたら、一体それは――


「……………………友達」


 長々と溜めてから、ボソッとギリギリ聞こえるくらいの音量でアンネリーゼは呟いた。


「なにお前実はぼっちだったの?」

「う、うるさいわね! そうよずっと一人だったわよ悪い!」


 ちょっと覇気が戻ってきたな。夜になったから暗素の回復が早いのかもしれん。


「いや、俺も昔はいなかったから、気持ちはわからんでもない」


 当たり前だがエア子ちゃんはノーカウントだ。実在しないし覚えてないし本当だったかどうかもわからんからな。

 それにしても『友達』か。学校に行きたがるなんて物好きだと思ってたが、そういう意図があるんだったら確かに最高の場だろう。

 友達なんてできたら余計に帰ってくれなくなりそうだが……気持ちがわかる身としては、手伝ってやってもいいって思う自分もいる。


 困ったな。

 友達作りに協力でき、尚且つ後腐れなく暗黒魔界に帰ってもらえる方法は……そうだ!


「よし、ならばこの俺が友達になってやろう」


 これならなんの憂いもないな。アンネリーゼは満足するし、友達の家に居候するのはおかしいよね? って理論で帰ってもらえるかもしれん。まあ、押入れの穴は開いたままにする必要がありそうだけど。


「なに言ってんの? タダオミはとっくの昔に友達でしょう?」

「え?」


 ようやっと上半身だけ起こしてキョトンと小首を傾げるアンネリーゼ。

 不意打ちだった。アンネリーゼは俺のことそう思ってたのか。じゃあなんで友達が欲しいなんて……まさか、いっぱいってこと? 異世界で友達百人できるかな?


「あたしにできた初めての友達がタダオミよ。ふふん、誇りに思いなさい」

「ぼっちがなに偉そうに言ってんの?」

「ぼっちって言わないでよ!?」


 そうか、そうなのか。くそっ、なんでだ。ちょっと嬉しく思っちまったぞ。顔がちょっと火照ってきてるのが自分でもわかる。

 実は俺もアンネリーゼのことを本当は――


「さ、さて、そろそろ飯にするか」


 それ以上は考えないことにした。こいつは厄介な居候だ。そこは変わらん。


「なにかリクエストあるか?」

「スルメ!」


 シュバッと立ち上がる。アンネリーゼ、完全回復。


「おやつにさんざん食ったんだろ! どんだけ気に入ったんだよ!」


 俺が学校から帰った時には昨日買い置きしてた分が全部消えていた。リビングがイカ臭くなってて紗那にすごい勢いで睨まれたのは悪い思い出。


「そんなにスルメばっかり食ってるとイカになるぞ」

「ふふふ、もう騙されないわよ。あたしの部屋だって結局なにも出なかったし。タダオミが嘘つきだってことは知ってるんだから!」


 ドヤ顔のアンネリーゼに名探偵が犯人を指名する時みたく指を差された。


「……三日後だな」

「えっ?」

「三日後、お前はイカになる。ああ、もちろん信じられないならそれでもいいさ。……ふむ、万能干しカゴが通販で千三百八十円か」

「タダオミどうすればいいの!? あたしスルメにされて食べられちゃうの!?」

「嘘です」

「また騙された!?」


 どうせ学校に行くことになるんなら、友達作りを手助けしてやってもいいかな。

 このポンコツが変なことを言わないか監視する意味でも。

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