第7話 太陽の下

「え? 全部?」

「そう、全部!」


 大事なところだけ手で隠し、恥ずかしそうに頬を染めながら頼んでくるアンネリーゼ。むっちりした太腿。きゅっとくびれた腰。綺麗なおへそ。手からはみ出るくらい大きな双胸に華奢な肩幅――

 ふむ、全部ってなんだっけ? 定義の説明を求めます! 全部はつまり全部だから全部であって全部なんだ。なるほど、これがゲシュタルト崩壊か。じゃなくて!


「いや、それは流石にまずいだろ」

「これは実験よ。ほら、タダオミが無意識に効果的な塗り方をしてる可能性もあるでしょ?」

「よし、もう諦めて帰りましょうそうしましょう」

「嫌よ! ここまで来たんだから退くわけにはいかないわ!」


 この子ってば意地になってらっしゃる。それをやらないと満足できず帰ってくれないってことなら……俺が折れるしかないのか。


「背中だけとか、手足だけとかなら」


「ダメよ。漏れがあったらそこから燃えちゃうでしょ。全部よ」

「なんでそんなに頑ななの!?」

「いいから塗りなさいよ! あ、あたしだって恥ずかしいんだからね!」


 真っ赤になった顔をぷいっと背けるアンネリーゼ。だったらやらなきゃいいのに……本気な上にヤケクソとかタチが悪い。

 だが、俺も男だ。ここまで言われて逃げるなんてカッコワルイ。

 覚悟を決めよう。


「わかったやるよ。変なとこ触っても殴ったりすんなよ?」

「全部って言ったのはあたしよ。だから、が、我慢する」


 本当に恥ずかしいらしく、アンネリーゼは顔から湯気が出そうなほど真っ赤っかだ。そんな顔されるとこっちまで余計に恥ずかしくなってくるな。


「ほら、まずは後ろ向いて座って」

「……ん」


 俺の指示に従い、背中を向けたアンネリーゼはぺたんと女の子座りした。いきなり前はちょっとハードル高すぎるんでね。

 さらさらの紅い髪を前方に持って行くと、綺麗な肩甲骨が浮かんだシミ一つない芸術品のような背中が露わになる。

 正直、触れるのが恐れ多いぞ。

 俺は手に日焼け止めのチューブを握るが、なかなか触る勇気が出ずに躊躇ってしまう。いいのかな、本当に。


「タダオミ、まだ? 早く、その白いのちょうだい」

「言い方には気をつけようね!?」


 俺はツッコミの勢いのままクリームを搾り出した両手をアンネリーゼの背中へとあてた。


「ひゃん!」


 ビクゥ! とアンネリーゼの肩が跳ねた。


「変な声出すなよ!?」


 白く滑らかな背中を俺のねちょりとした手がすーっと這い下りていく。なんだこれやわらけぇ。え? まだ背中なのに、女の子ってこんなやわらけぇの?

 すべすべってこういう肌を言うんだな。男と比べたら小さな背中なのに、ずっと触っていたくなるような魅惑がある。腰回りもぷにっとしてるな。

 背中を塗り終えて体の側面を脇にかけて上げていくと……で、でかい膨らみが! でかい膨らみが進路を阻んできたぞ!

 これがいわゆるおっ――ダメだそれ以上は考えるな! よし目を閉じよう。閉じれば今どこを塗っているのかわからないからな。うん、たぶん背中だ。この柔らかいのに弾力のある膨らみも背中だ。寧ろ全部背中だ! 背中だと思え俺!


「んんっ!」


 なんかコリッとした突起物に触れた途端、アンネリーゼが艶めかしい声を上げてビクリと跳ねた。お、おおお俺は今どこを触っちまったんだ? そうだ素数を数えよう。一って素数だっけ?


「あんっ、そこばっかり……だめぇ」


 なら元素記号だ。スイヘイリーベーボクノフネーナナマガルオッパイ違う!


「ひゃうっ」


 うん、上半身はたぶんもういいんじゃないかな? てことで次は下半身だ。


「横になって」

「わ、わかったわ」


 俯せに寝そべったアンネリーゼのぷっくりとしたお尻がでん! と目の前に現れる。

 こ、これはまたハードルが高いぞ。女の子のお尻ってプリン体かなにかでできてんの?


「ええいままよ! もうなるようになれ!」


 俺はもうヤケクソでお尻に太腿、脹脛、ちょっと名状しがたい股のような部分なんかを猛烈な勢いで塗りたくっていく。


「鳴くよウグイス平安京! 人世むなしく応仁の乱! 以後ナミダの室町ぬおぉおおおおおおおおおおおッ!?」

「――――ッ!? ――――ッ!? ――――ッッッ!?」


 アンネリーゼの声にならない悲鳴が聞こえた気がした。

 そして――


「も、もういいわよ……タダオミ」

「ハッ!」


 時間が飛んだ。俺は一体なにをしてしまったんだ? 途中から割と本気で記憶が曖昧だぞ。いや、大丈夫だ。日焼け止めを塗っただけだ。

 アンネリーゼの頬が上気して妙にツヤツヤしてるように見えるけど、それもアレだ。日焼け止めを塗っているからに違いない。


「ふ、ふふっ、これで今度こそ外に出ても大丈夫のはず!」


 妖しく笑ったアンネリーゼがステップを踏むように窓からその身を投げようとする。

 全裸で。


「ストォオオオオップッ!?」


 俺は全力でアンネリーゼの手を掴んで止めた。いくら我が家の庭とはいえ、女の子をマッパで外に出したら高確率で通報されてしまう!


「服を着ろ!」

「だって、暗黒魔術でドレスを生成しても消滅するし」


 流石に三度も燃えれば理解するよね。まさか服にまで日焼け止めを塗るわけにもいかないし……しょうがない。


「俺の服を貸してやるよ。ちょっと大きいかもしれんが全裸よりマシだ」


 と言っても俺が普段着てるものを女子に貸すのは嫌がられるかもな。となると……そういや中学の時に買ったまま一度も着てないやつがあったはず。

 あったあったこれだ。意味もなく『無秩序』と書かれただけの白いTシャツ。下は未使用がないから中学ん時のジャージで我慢してもらおう。


「これを着ればいいのね。――ん」

「ん?」


 アンネリーゼが抱っこを要求する子供みたいに両手を差し出してきた。なにしてんのこの子?


「着せて」

「……いや、自分で着ろよ流石に」

「あたし、暗素のドレス以外自分で着たことないのよ。いつもメイドにやってもらってるから。今だけタダオミをあたしのメイドと思うことにするわ。じゃないと……ううぅ」


 羞恥で俯くアンネリーゼ。薄々そうじゃないかと思ってたけど、こいつ、ポンコツのくせにやんごとない身分のお嬢様かよ。


「そこはせめて執事にしろよ。……まったく、しょうがねえな」


 てことで、俺が仕方なーく渋々頑張って着替えさせたアンネリーゼは、だぼだぼのダサTとジャージ姿となった。ノーブラノーパンなのはこの際だ、目を瞑ろう。俺が女性用下着を持ってたらそれこそ変態だぞ。

 しかしダイナミックに膨らんだ胸に『無秩序』って……犯罪の臭いがします。


「あとこのサングラスと日傘も装備するんだ。目や髪には日焼け止めを塗れないからな」

「わかったわ」


 日焼け止めと一緒に買ってきた安物のサングラスと日傘も渡す。黒地に白い花柄の日傘はアンネリーゼの可憐な容姿に似合うと思ったんだが……他がクソダセェ。

 ダサTジャージサングラスって……メイドがいるくらいのお嬢様っぽいのに、内面の残念さが際立ってる気がするコーディネートに全俺が泣いた。


「今度こそ……勝負よ! 太陽!」


 アンネリーゼは自分の格好の残念さなど気にも留めず、ビシッと天に浮かぶ輝きを指差して喧嘩を売った。それから走り幅跳びでもするように勢いよく庭に飛び出す。

 俺は消火器を構えて見守る。


「……」

「……」


 よし、燃えない。本当に俺が塗ったら大丈夫なのか?


「あはははは! すごいすごい! 太陽の光にあたっても痛くない! 熱くない! 眩しくなーい♪」


 仔犬のように庭を駆け回るアンネリーゼ。


「ほら、やっぱりタダオミの塗り方だと効果があるのよ!」


 楽しそうに、愉しそうに、あまり広いとは言えない庭でアンネリーゼはダンスを踊る。

 にしても俺の日焼け止めを塗る技術はそんなにテクニカルだったのか。いやそんな馬鹿な。アンネリーゼが塗るの下手すぎるだけなんじゃね?


 十分……二十分……三十分……。


「うん、やっぱり太陽の下だと暗黒魔術は全く使えないわね」


 しばらく日差しを堪能していたアンネリーゼは、いつの間にか別の実験を行っていた。掌を前方に翳して暗黒弾を撃とうとしてるっぽいけど、射出できないどころか魔法陣すら展開できていない。傍から見ると小学生かイタイ人のノリだった。

 部屋の中では使えた暗黒魔術が、どうやら外だと一切ダメらしい。


「暗素が存在できないから? そうか、だからあたしも燃えちゃうんだ」

「なあ、アンソってなんのことだ?」


 前にも出てきた謎単語だ。


「えーと、簡単に説明すると、自然界の闇を作り出す因子よ」

「なるほど、わからん」

「あたしたち暗黒魔界人はその暗素を繰って術式を発動させるエネルギーとして使っているの。それが暗黒魔術」


 つまり、ゲームや漫画でいうところの魔力みたいなものか。それならまあ、なんとなくわからないでもない。


「暗黒魔界の物質は人間や動物も含めて多かれ少なかれ暗素を宿しているの。さっきあたしが持ってきたバケツがあるでしょ? それをこっちに投げてみて」

「ん? おう、これか」


 言われるままに俺は水を捨てて空になったバケツをアンネリーゼにパスした。

 空中で発火した。


「ふぁ!?」

「こんな風に、太陽の下じゃ暗素が消滅しちゃって、その時に発生する熱量で他の部分が燃えてしまう。ヒヤケドメは暗素の消滅を防いでくれてるってわけ」


 実験してわかったことを語るアンネリーゼは、それはもうイラっとくるくらいドヤ顔だった。ポンコツのくせに。

「ふふん、まあ、あたしにかかればこのくらいのこと

簡単にわか――」

「無駄に胸張ってるとこ悪いんだけど、それ大丈夫か?」

「え?」


 俺はアンネリーゼの足下を指差す。さっきのバケツの炎が、アンネリーゼが穿いている俺のジャージの裾に引火していた。


「ひゃああああああッ!? タダオミ消して!? 早く消してぇえッ!?」

「何回も全身燃えてるのにそのくらいで泣くな!?」


 一応用意してたけど、この程度なら消火器はいらないか。いや、燃えてるバケツも放置できないし――ボッ!

 アンネリーゼが一瞬で炎上した。


「ふぁぁああああああッ!? なんであぼぼぼぼぼぼぼぼぼッ!?」

「消火器ブシャーッ!」


 四度目ともなれば俺の手際もかなりよくなった。もう今から町内の消防団からスカウトが来てもおかしくないレベル。まあ、自分で火事起こしてしかも人に向かって噴射してるから褒められる点なんて皆無だけどね。

 良い子も悪い子も真似しちゃダメだぞ!

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