第8話 絵面
要するに、日焼け止めの効果が切れたんだな。
「まあ、俺も一時間程度で切れるとは思わなかったけど」
日焼け止めの注意事項には二~三時間程度と書かれてあるな。ただそれは俺たちこの世界の人間が使用した場合だから、暗黒魔界人のアンネリーゼでは効果が薄いのだろう。
「一時的に太陽の下を自由に動けるってだけでも大収穫ね。ありがとう、タダオミのおかげよ」
ニコッと可憐に笑って見せるアンネリーゼに俺は内心ドキリとした。黒焦げアフロになってなければ勢いで告白してた可能性も無きにしも非ず。ないな。
「その黒焦げアフロヘアーも様になってきたな」
「え? 本当? ふふん、なんでも似合ってしまうなんてあたしってば罪造りね」
「嘘ダヨー」
「騙されたぁあッ!?」
涙目になったアンネリーゼは慌てて暗黒魔術で回復する。中二病に刺さる闇色のドレスも健在だ。何度も作り直せるのは便利だな。
「ところで日傘とサングラスは無事だったけど、消し炭になっちまった俺の服はどうしてくれんの?」
「べ、弁償すればいいんでしょ? いくら?」
「締めて百万円になります」
「ぼったくられてる気がするわ!?」
本当は上下合わせて二千円もしません。
「いいよ弁償は。どうせ俺が着る予定なんてないし」
そもそも異世界の通貨で払われても困るのは俺だ。黒歴史のダサTを体よく処分できたと思えばなんの問題もないさ。
「それじゃあたしの気が済まないわ。あたしにできることならなんでもするわよ」
「ほう、なんでも?」
「あ、あたしにできることだからね!」
こういう時はエロいお願いをするのが王道なのかもしれんし並々ならぬ興味もあるんだが、さっきの日焼け止めでわかったことがある。俺にそっち方面の耐性はない!
「ならば俺のことは『お兄ちゃん』と呼んでもらおうか」
「え……お、おにいちゃん?」
ちょっと戸惑ったアンネリーゼだったが、恥ずかしそうに頬を染めた上目遣いと寄せて盛り上がったお胸様が抜群の破壊力を秘めていた。
しかし――
「ごめん今の忘れて。思いの外響かない」
「なんでよ!?」
同い年にしか見えないアンネリーゼにそう呼ばれても『なんか違う』感がすごい。いや可愛いけど。こういうのは紗那辺りに言ってもらった方がぐっとくると思います。
「ちょっと思いつかないから保留で」
「えー、なんかそのままなかったことにされそうなんだけど……あ、そうだ。この散らかってる部屋の片づけ、あたしが手伝ってあげてもいいわよ?」
「貴様! 俺から月に一度の楽しみを奪う気か!」
「どういうことよ!?」
俺の部屋だけは何人たりとも手入れさせてなるものか! 例え親でも!
「じゃあもう保留でいいわよ。ところで気になってたんだけど」
諦めたように大きく溜息をついたアンネリーゼは、ふと床に放置していたドラッグストアのレジ袋を見やる。
「他にもなにか買ってきてるの?」
「ん? ああ、日焼け止め作戦が失敗した時の残念会用のおやつを」
「もしかして失敗前提だったんじゃないでしょうね!?」
「成功したんだからいいだろ? 結果オーライだ。なんなら成功祝いに今から食べようぜ」
どっちにしろおやつならあっても困らないのだ。
「ポテチにチョコにクッキーにパイ、いろいろあるぞ」
一つずつ取り出して床に並べてみると、アンネリーゼは物珍しそうに紅玉の瞳をキラッキラと輝かせていた。
「こ、これは、まさか……」
と、気になったものがあったようで、焦げ茶色のちょっとグロテスクな物体が入った袋を持ち上げて見せた。
「スルメだな。イカっていう生き物を天日干し……えーと、太陽の光で乾燥させた食べ物だ。酒のつまみにピッタリだろ?」
未成年だけどね。
「これを食べるわ! いいでしょ! ダメって言っても食べるわよ!」
ものすごい勢いで食いついてきたな。太陽が出ないらしい暗黒魔界じゃ干物なんて存在しないから珍しいのかね?
さっそく袋から出してゲソの部分から齧るアンネリーゼ。美少女がスルメ齧ってるとかなんていう残念な絵面だ。
「やっぱりけっこう硬いけど……この癖になる味。堪らないわね」
「ほほう、わかってるじゃないかチミィ」
噛み応えがあって噛めば噛むほど旨味が口に広がる。俺はガムを噛むならスルメを噛む。爺ちゃんが酒のつまみでよく食べてるのを頻繁に貰ってたくらいには好きだ。
「どうしよう、タダオミ。スルメ食べるの止まんない」
「相当気に入ったみたいでなによりだ」
アンネリーゼはもうスルメに夢中だった。いつしか無言になり、あむあむくちゃくちゃとスルメの咀嚼音だけが部屋に響く。だんだんイカ臭くなってきたな。他意はない。
「……ふう」
やがて四枚あったスルメを全部一人で平らげてしまったアンネリーゼは、幸せそうにお腹を摩っていた。
「満足したか?」
「すっごく」
「そうか。じゃあ、そろそろお開きにしますか」
「えっ……?」
すっくと立ち上がった俺に、アンネリーゼは不安そうに瞳を揺らした。
「いや、だってもう目的は果たしただろ? そろそろ帰らないと、家の人も心配するんじゃないか? 俺も困るし」
窓の外を見る。さっきまでギラギラに照りつけていた太陽はまさに稜線の彼方へと沈もうとしていた。
「太陽が……真っ赤になってる」
「夜が来るんだ。良い子はお家に帰る時間だぞ」
これだけはしゃぎ倒したのだ。もう充分だろう。だから早く帰ってくれないかな? 俺は明日から普通に学校なんだよ。月曜日ちゃんお願いします来ないでください!
「あたし、帰りたくない」
「ホワッツ?」
なのに、アンネリーゼはその場を動こうとしなかった。
「聞こえなかった? 帰りたくないって言ったのよ」
「そうかそうか、帰りたくないか。じゃあ、しょうがないな」
「でしょ? ふふっ、意外と物わかりがいいわねタダオ――ん? どうしていきなりあたしの手を握るの?」
なぜかポッと僅かに頬を染めるアンネリーゼの手を引いて、俺は押入れの前に立たせる。それから彼女の背中側へと回り込み――
「えっと、タダオミ? なにするの?」
「はいドーン!」
「わひゃあッ!?」
少し力を入れ、アンネリーゼが暗黒魔界の穴に入るようその背中をぐいっと押し出した。
が――
「ちょ!? なにするのよ穴に落ちちゃうとこだったでしょ!?」
「チッ、落ちなかったか。しぶとい奴め」
「あ、あたしを追い返すつもり!?」
ギリギリで押入れの中段に手をついて防がれてしまった。なおも背中を押し続ける俺に、アンネリーゼも必死に抵抗してきやがる。なんて力だ。
「嫌よ絶対帰らないあたしはここに住むんだから!」
「なに勝手なことを!? いいから帰りなさい!」
「いぃぃやぁぁだぁあッ! あたしはもっとこの世界にいたいのよぉおおおおッ!」
「それは認められません、アンネリーゼ様」
どこからともなく淡々とした女性の声が聞こえた。
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