1章 繋がる世界
第2話 暗黒から現れた少女
友人知人親戚に至るまで、俺を知っている人間にとってそれは共通の認識らしい。
『暗黒魔界』ってなにかって? 当たり前だが言葉通りの意味じゃないぞ。ゴミ屋敷ではないにしろ、物がごちゃごちゃしてカオスな部屋に対するただの皮肉だ。
まったくもって心外である!
俺は別に片づけが嫌いなわけでも苦手なわけでもない。寧ろパズルで遊ぶような楽しさを感じるくらい大好きだ。一見ごちゃごちゃしている部屋でも、ちゃんと全て計算し尽くして物を配置してるんだよ。いや、言い訳じゃなくて。マジで。
今日だって月に一回の模様替えの日。毎月第一日曜日に押入れの中身まで全部引っ張り出して部屋を再整頓するのが俺の細やかな楽しみだったりする。
「フッフッフ、今日も他に類を見ない芸術的なレイアウトにしてやろう」
自分でも怪しく笑ってるなと思いつつ、不要な物から押入れの中へと片づけていく。
「ここのバランス的にこっちのダンボールを三センチずらして、開いた隙間には赤い背表紙の雑誌を入れて彩りを……あ、このなんに使うか覚えてないコードをここに伸ばして嵌め込めばしっくりくるぞ。うん、いいねいいね。前より完璧になりそうだ」
とはいえ俺とて伊達に十七年も生きちゃあいない。自分が完璧だと思ったことは他人から見ればダメダメだということくらい百も承知さ。
「他人には理解されないこの才能。圧倒的個性。『整頓のピカソ』とは俺のこと」
こんなに堂々と胸を張っているのに、誰もが白い目を向けてくるから不思議。高校の後輩の紗那になんか「千年経っても理解されねえです!」とか言われた。つまり俺の美的感覚は千年以上先を行っている!
「ん? なんだこれ……?」
ノリノリで俺流の整頓を楽しんでいると、変なモノを見つけた。
いや、用途不明の変なモノはいろいろあるんだが、そういう意味じゃない。
押入れの床に、十センチほどの黒い影が出現していたんだ。まるで銀河系のように渦を巻く黒い影――というか『穴』は、次第にその直径を肥大化させていく。
「え? いや、マジでなんだこれ?」
暗黒の穴は人一人がすっぽり通れるほどになって肥大化が止まった。不気味すぎる。
目の錯覚……じゃないな。まさか夢? 頬を抓ってみる。痛い。
となると、俺ってば未解明な自然現象を発見しちゃった?
「さ、触っても大丈夫かな?」
穴はそれ以上変化もなく、ただそこにあるだけでなにも起らない。恐怖もあったが、結局俺は好奇心に負けてゆっくり暗黒の穴へと手を伸ばした。
「けっこう深い。あ、でもなにかあるな。柔らかくて生暖かい。なんだこれ?」
指でつついてみるとぷにぷにした感触が返ってくる。なんか癖になるな。嚙みついたりとかはしないっぽいし、生き物じゃない……よな? よし!
俺はもう片方の手も入れてそれを掴むと、「よっこらしょ!」と一気に引き上げてみた。
女の子だった。
全裸の。
「ふぁ!?」
俺は思わず変な声を出して腰を抜かしてしまった。
そのままズザザザーッと高速後ずさり。まだ片づけていないダンボールタワーに背中からぶつかり、一番上に積んでいたものが衝撃で頭に落ちてくる。アウチ!
女の子は、暗黒の穴から引き上げられたまま動かない。まさか死んでるんじゃ?
いや、大きく膨らんだ胸元は規則正しく上下している。すーすーとリズミカルな呼吸音も聞こえる。
「寝てる……だけ?」
生きていたことにほっと胸を撫で下ろす。
「なんなんだ、こいつ?」
少し警戒しつつ、改めて少女を観察する。歳は俺と変わらなそうだな。思わず見惚れるほど鮮やかな紅の髪は腰まで伸ばしている。肌はミルクのように白く綺麗だ。それにバストは豊満なのに腰はきゅっとくびれ、お尻の辺りもボンと――
「――って全裸でしかも寝てる女の子をまじまじ見るとか変態か俺は!?」
でもガン見じゃなかったら見てもいい? ちょっとだけなら? 目隠しした指の隙間からチラッとくらいならセーフ? セーフだよね? セーフにしよう。
「……んぅ」
「ごめんなさい見てません!?」
紅髪少女が呻いて寝返りを打った瞬間、俺は反射的に美しい土下座をしてしまった。
俺の方を向いたそのあどけない寝顔は……控え目に言っても、超かわえぇ。僅かに朱の差した頬は瑞々しく、桜色のぷっくりとした唇には俺じゃなくても目を奪われるだろうね。
「んぅ……ふあぁ。朝ぁ?」
むくりと起き上がった彼女は、眠い目を擦りながら大きく欠伸をした。それからルビーのような綺麗な瞳が、絶賛土下座中の俺を映し――
「……は、ハロー? コンニチワ?」
「――ッ!?」
とりあえずカタコトで挨拶してみると、紅髪少女はキッと警戒する目つきになった。
「だ、誰よあなた!? どうしてあたしの部屋にい――ッ!?」
ゴン! と。
勢いよく立ち上がろうとした紅髪少女は押入れの上下を仕切る板に頭をぶつけて逆に蹲ってしまった。
「うぅ~うぅ~……よ、よくもやったわね!?」
「待て待て落ち着け! そっちが勝手に自滅したんだろ? あとここは俺の部屋だからな? ユーのルームじゃないよ! オーケー?」
頭を押さえて涙目で睨んでくるから俺もテンパったまま状況説明。なにがなんだかさっぱりだからとりあえず落ち着かないと話もできない。
「確かにあたしの部屋じゃないわね……誘拐?」
「誤解だ!?」
いや、俺が部屋に連れ込んだのは純然たる事実なわけで、それを誘拐と呼ぶのなら……うん、そうかもしれん。そんな気がしてきた。こんにちはポリスメン。犯人は俺です。
「いいからまずは体を隠しなさい!」
脳内冗句はともかく、俺はベッドから毛布を引っ手繰って差し出す。すると彼女もようやく自分がすっぽんぽんだということに気づいたのか――かぁあああああっ。耳まで真っ赤にして毛布を奪い取った。
「この、変態!」
「全裸だったのは俺のせいじゃねえし!?」
「変態はみんなそう言うのよ!」
「言わないと思います!?」
「問答無用よ! 塵になりなさい!」
紅髪少女の右手が翳される。その掌の先に混じりけのない真っ黒い粒子が収斂したかと思えば、複雑な紋様を描いて空中に固定された。
「なっ」
魔法陣。
そうとしか思えないファンタジーな紋様から、影を凝縮したような暗黒の弾丸が射出。それは反応すらできなかった俺の脇を掠め、背後のダンボールの一つを中身ごと木っ端微塵に粉砕した。
「くっ、外した。今のは威嚇よ!」
「今『外した』って言ったよね!? めっちゃあてる気だったよね!?」
なにこの娘コワイ。いやそれより……魔法、使ったよな?
あんな暗黒から出てきたんだ。やっぱり普通の人間じゃない。もしかして、俺はとんでもないナニカを召喚しちまったのか?
「悪運が強い奴ね」
紅髪少女の足下に黒い魔法陣が出現。今度はなんぞ! と身構える俺の目の前で、魔法陣は彼女の足先から頭の先へ抜けるように上昇する。
すると、まるで魔法少女が変身するみたいに闇色のドレスがふさりと彼女を覆った。毛布は雑に捨てられる。
「次はあてるわ。死になさい」
冷酷に告げられ、もう一度手を翳される。あんなファンタジーな力をまともにくらったら俺の体なんて風船みたいに弾けちまうぞ。
謝るしかない。
「すんませんでした! そこに変な穴が開いたから興味本意で手を突っ込んで引き上げてしまいました! 悪意はないんです!」
「あ、ちょっと急に動かな――」
俺が華麗なるジャンピング土下座を決めると、照準のぶれた暗黒弾が残りのダンボールタワーを破壊して中身をぶち撒けた。その中にあったいたずらグッズのビックリ箱が彼女の手に収まり、蓋が開いてびよーんと伸びたグローブが顔面に直撃。「みゃ!?」と可愛い悲鳴が聞こえた。
「あぐぅ……一度ならず二度までも、このあたしに攻撃をあてるなんて」
「全部自滅だよね?」
「そんなわけないでしょ! あなたが仕組んだことくらいわかってるんだから!」
鼻を押さえた涙目で睨まれる。
おや? もしやこやつ……だったら、なんとかなるかもしれないな。
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