#8 「よませて」

「梨香に突き放された──やっぱり、か」


梨香の部屋から出た後、戻ってきた二階。

俺達の報告を聞いてから開口一番、マリーさんが口にしたのはそんな言葉だった。


「やっぱり……って、わかってたんですか?」

「まあ、おおよそは。何せ梨香はアタシのアシスタントからな」


それを聞いた瞬間に瑠璃はフリーズした。


「えーっと……あたしがここに来たのが二年前だから……」


一体、何に達してしまったのか。

指折り何かを数え始め、次第に青ざめていく。


「……中三の時にはここで働いていたってこと……ですか……?」

「ああ。アタシのところで働き始めたのは中二の時だが。辞めたのは働き始めてから一年。ちょうど瑠璃がここに入ってきたのと同じぐらい、だな」

「……中学生で即戦力……」


ブツブツとぼやきつつ、瑠璃は勝手にダメージを受けているようだった。

まあ、自分が今やっていることを遥か年下が過去にやってしまっていたとなればショックを受ける気持ちもわからなくはない。


「ただ、梨香はコミュニケーションに難ありだった。アタシの時も一筋縄じゃ行かなかったよ。そういった意味じゃ、瑠璃もハマも、二人には相当助けられてるよ」


こちらに振り向き、親指を立てながらマリーさんはそんなことを言う。

相変わらずの茶目っ気が、素っ気なさに散々当てられた体に沁みる──というのは、さておき。


「あの、マリーさん」

「どうした、ハマ」


一つ、聞いておきたいことがあったのも確かだった。


「……どうして、そこまでして梨香──さんを、引っ張り出さないといけないんですか? 本人は相当満足してるみたいでしたけど……」


ふぅ、とばかりに深呼吸。

そののち、真っ直ぐにマリーさんは俺を見据えた。


「確かにな。梨香にはある程度の才能がある。圧倒的なインプット、それを昇華させた独創的な作風。SNSの運用方法だって見事なもんだ。だけど、な──」


フォロワー五万人。ここが私の居場所、と言い切ってしまうほどだ。

確かに彼女の能力が高いことには違いないのだろう。

だったら尚更一人でもやっていけそうなものを、マリーさんは語尾を濁した。


「──アイツはきっと、忘れている。本来創作には付随していて、それでも、今のやり方じゃ手に入らない、根源的な喜びを」


今のやり方──つまり、一人でいること。

ただ、何故手に入らないのか。そこまでは教えてくれなかった。

経験して、そして覚えろ。マリーさんの基本スタイルはそんなものだから。


「だから、思い出させてやろうと思ってな。答えにはなっていないかもしれないが、アタシは梨香を引っ張り出すことには相応の価値があると思ってる」


つまるところ、マリーさんが言う通り梨香を引っ張り出さなきゃ、どうして梨香を引っ張り出そうとしているのか──その意味はわからない、ということなのだろう。

それなら、仕方がないように思えた。普段は大分パンクだけれど、それでも、マリーさんはだ。


「……わかりました。ところで、何かいい手とかってあったりしますか?」

「ある。むしろ、こっちから提案してやろうかと思っていたところだ」


そこで不敵な笑みを浮かべると、マリーさんは言い放った。


「──作品を読ませてください、と。ドア越しにそう言ってやれ」


* * *


「なあ、梨香」


ノックを数回。中から物音が聞こえてきたところで、俺はドアに向かって口にした。


「君の作品に興味があって。良かったら、読ませてくれないか?」

「……私の作品なら全部インターネットに上がってるけど」


ドアの向こうから聞こえてくる気だるげな声。

そこまで考えが回っていなかった──と、思わず言葉に詰まってしまって。

その時、瑠璃が俺を押しのけて前に出た。


「あたし、紙の本派だから!」

「……絶対に?」

「うん! 電子だと蕁麻疹が出ちゃうし!」


嘘だ。誰が聞いても分かる明らかな嘘を瑠璃は大声で言い放つ。

流石にこんなもので梨香が引っかかるわけもない──そう思った矢先。


「……じゃあ、仕方ない」


ガチャリ、と。ドアが開いた。


「部屋に紙媒体で全部保管してあるから、読んでいったら?」


顔を覗かせた梨香は何食わぬ様子でそんなことを言う。

思いもよらぬ形で扉は開かれた。

瑠璃はしてやったり顔だ。感心よりも先行して、俺はこんな見るからにわかる嘘でドアを開けさせた彼女に恐ろしさを感じざるを得なかった。


* * *


「私のは全部そこの棚。好きに読んでくれていいから」


部屋に入ってすぐに梨香が指したのは、一番机に近い棚だった。


「……これ、隣で読めってこと……?」

「そう。あなたは読みに来たんでしょう? だったら、つべこべ言わずに読んで」


抵抗むなしく一冊の絵本を押し付けられた瑠璃。


「……あと、一応。読み終わったら感想、言って」


彼女が梨香を引き付けている間に、部屋を見て回る。

背表紙の色は不揃い、大きさも然り、タイトルに目をやってみても五十音順で並んでいるようには見えない。どんな絵本だろうとジャンルもラベリングも関係なく、ただ集めること。それだけに注視したような、無秩序な配置だった。


「……これは……」


ただ、そんな中でも一冊。

本棚の真ん中、わざわざそのためだけにぽっかりと空けられたかのような隙間。

立てかけられるようにして、は、置かれていた。


『から、から、から』


忘れられなかったもの。

いつまでも頭の片隅で存在を主張し続けていたもの。


「……なあ、梨香……」


ただ、どうしてここにあるのか。

質問しようとして、口を開いた瞬間だった。


「──すごい!」


梨香が書いたという絵本、それを前に瑠璃が歓声を上げた。


「……そ、そう……?」


そして、書いた当の本人である梨香も満更ではない──むしろ、嬉しそうだ。


「ここ、豊かな海の色彩表現、グラデーション的に敷き詰められた魚──本当にすごいよ、妬けちゃうぐらい!」


褒められれば褒められるほど、その表情は緩んでいく。

その様子を見て、俺はマリーさんが口にしていたことに行き当たった。


『梨香はな、頻繁に確認を取ってくるやつだった。自分が書いたものが他者にどう評価されるか──それが気になって仕方がなかったんだよ。言うなれば、褒めて伸びるタイプだな』


人の評価を気にするから、俺達を部屋に招き入れた。

だから今、瑠璃に褒められて嬉しい──。


「……まあ、それほどでもある……けど……」


『アタシはハマの表現が好きだ』


この間書いた文章は結局ボツになってしまったけれど、それを読んでマリーさんが言ったことは強く覚えている。

自分の紡いだ世界が相手の中に受け入れられる感覚──承認は、この上なく嬉しいものだった。


「……あの、気に入ったならここに来てくれていいよ。まだまだ、読めるものはあるし……」


尊大な口調で、それでも、遠慮がちに梨香は机の上に絵本を広げて見せる。

簡易的な留め方を見るに、どれも彼女自身が書いて、彼女自身が製本したものなのだろう。


「もちろんっ! 梨香の絵本、すごく良かったから楽しみっ!」


瑠璃の屈託のない笑顔を前にしてか、梨香は頬を掻く。

そんな風に善意100%で褒められてしまっては無理もない。

何だかんだ言いつつもきっと、梨香自身だって嬉しかったのだろう。


他者に認められることが。

それこそがきっと、マリーさんが口にしていた『根源的な喜び』なのだろうから。


* * *


「こんにちは、梨香。今日はね、手土産を持ってきたの! 一緒に一杯やらない? ルートビア!」

「……遠慮しとく。私、湿布はキライ」


げんなりとした表情で答える梨香。どうやら、彼女は側の人間らしい。

それはともかくとして、こうして手土産を持ってきつつ、絵本を読み、その感想を言う。もっぱらそれは瑠璃の役目だったけれど、俺もついてきてはここに置かれている絵本を読み漁っていた。


「今日のは空の描写がメインなんだ……同じ青でも海の時とはまた違う……梨香って引き出しが広いんだね?」

「こっちは霞んで、白んだ青を意識したから。大分、観察した──わざわざ、カーテンを開けて」


作品のこととなると梨香は多くを語る。

描く時の工夫、それからちょっとした裏話、瑠璃にとっても参考になることなのか、最初の印象とは裏腹、二人の間は割と和気あいあいとしていた。褒め言葉が繋いだ関係性だ。


「それで、新作の進みはどうなの?」

「あともう少し。ちなみに、今日描いたページが一番の自信作。……見る?」

「見る!」


梨香が勿体ぶるのなんてお構いなしに、瑠璃は元気に返事をする。

それにしても、自信作というのがどれほどのものか気になるという気持ちは俺にもあった。

瑠璃について、覗き込んでみた先にあったもの──。


「……花火か」


赤、白、青。

淡く、夜空を照らす無数の火花。

色鮮やかな光彩が象った大輪の花──それが、梨香が見せてくれたものだった。


「おお……!」


隣では瑠璃もまた感嘆の声を上げている。

それほどまでに、胸を掴むもの。きっと、そんなものが梨香の絵にはあったのだ。


「……確かに、これはすごい……」


思わず漏らしてしまった感嘆の声。

「でしょ」と、梨香は得意げに胸を逸らす。


「ねぇねぇ、これ、完成したら見せてくれるよね?」

「……もちろん。もっと完璧にして見せてあげる」


殻に閉じこもって、頑なに外に出ようとしない変わり者。

梨香に対して最初に抱いていたのはそんな印象だったけれど、絵本という共通項を通して結んでみれば、そこにあったのは普通の女の子としての彼女の姿だった。


触れなければわからないこと、というのは実際にあったと見ていい。

だからこそ、だったのだ。


「……梨香、一つ聞いていいか?」

「……なに。手短にお願い」


一つだけ扱いが違ったそれを、梨香はどのように捉えたのか。


「『から、から、から』──それだけ、どうして別に置いてあるんだ?」


こちらにしてみれば、随分と大事だったようにも思えたけれど。


「ああ、それのこと? 私の、人生の指針だから」


随分とあっけらかんとした様子で、梨香は答えた。

確かに『から』は、強く印象に残る内容をしている。

ただ、とはいえども、人生の指針──というのは、予想していなかった。


「なに、あなたもひと?」


予想していなかったけれど、腑には落ちた。

多分、初めて読んだ15年前から──今まで。


「……ただ、忘れられないだけだ」


──つつかれたら、殻に籠る。


俺だって、その内容を忘れられなかったうちの一人なのだから。

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『はらぺこあなたと』 恒南茜(流星の民) @ryusei9341

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