第二章 「こんなの、認められるかもわからないのに」

#7 「ひとり」

「”つつかれたら、みんな『から』にこもってしまいます。それは、なぜでしょう?”」


その答えが、ずっとわからないままだった。

つついたら、カタツムリは頭を引っ込める、貝は殻を閉じてしまう、ダンゴムシは丸まる。

皆一様にそんな反応をとるのはきっと、ただ一つ。

外敵から身を守る──きっと、それだけのためだ。


──それならば。


「──じゃあ、浜音くんは?」


何だって俺は、こんなことをしているんだ。


* * *


「っ、はぁ……はぁ……」


思わず飛び起きた。

跳ねるように起こした体、騒がしい心音が全身を震わす。

目を覚ましたら広がる白い天井はここ一週間変わりなく、いい加減慣れてきた。


悪夢、と呼ぶべきだったろうか。

内容はおぼろげなもの──ただ一つ、言うなれば『殻』に直結したもの。

その答えを未だに俺は出せていない。


どうにも胸につかえたまま目覚めてしまった、朝だった。


* * *


「マリーさん、これ……」

「ああ、今は棚にしまってくれていい」


道中、今日も今日とて買ってきたドリンク。

雑用としての役目も、ここ最近は落ち着いている。

曰く、前回の人魚の絵本が完成したから、今はアイデアを練るタイミングでなるべく伸び伸びとこれはやるべきものだと言う。


ともすれば、ドリンクも棚に。

不要なら徹夜なんてしない方が良いに決まっているのだから。


「こんにちは、浜音くん。今日も早いね」

「こんにちは──瑠璃。そっちだって集合五分前じゃないか」


少し遅れて瑠璃が来る。

この流れももう慣れっこだ。何せ、俺はマリーさんの雑用としての役目を手に入れたのだから──なんて。ともあれ、転居よくない割には『クリザリッド』に来てから二週間。次第に外が厳しい暑さを帯びてくる中で、ようやく俺は山手での生活に慣れつつあった。


「ところで、二人とも。その──悪いんだが、今日は仕事を振れないと思う。ただ、雑用みたいなものではあるが一つ、仕事を預かってきていてね」

「仕事……って、誰から……?」

「大家──赤城さんからだ。ここは一つ、アタシの頼みを聞くと思って、受けてくれないか。どうにも、他人事では済ませられないものなんだ」


真剣な表情で頼み込んでくるマリーさん──というのは、珍しかった。

というか、そもそもそこまでの重みを持った雑用なんてそうそうないから、当然ではあったが。


「……それで、具体的には何をすれば良いんですか?」

「簡単に言うなら──連れ出してほしいんだよ」


ふと、マリーさんは窓の外へと目を向ける。

その視線は下へ、階下の部屋へ向けられていた。


「絵本の塔から、お姫様をね」


* * *


谷口たにぐち 梨香りか、17才。好きなものは絵本──って。それは、ここにいるんだから当然でしょ」


部屋を出て早々、唇をつんと尖らせると、瑠璃は真っ先にぼやいた。


「とにかく……このプロフィールだけでどうしろって言うの!?」

「……まあ、その気持ちは、わからないでもないけど……少し、取り乱し過ぎじゃ……」

「それはそう、だけど……でもさ、いくらなんでも投げっぱなし過ぎるなって……」


赤城さんの部屋で貰った簡単なプロフィール。

確かにそれには氏名と年齢、それから好きなものは絵本──と。

ターゲット──谷口さんに関することが、ごく簡潔に記されていた。

とはいえども、瑠璃がどうにも立腹なのはそのプロフィールがあまりにも淡白なことに起因しているのだが。


「大体、浜音くんが冷静すぎるんだよ。なんか、思うところとかないの……?」

「……まあ、厄介だとは思うけどさ、でも──そもそも、俺はあんまり乗り気じゃないから」


正直言って、俺は乗り気じゃなかった。

部屋に籠っている、ということはきっと、それなりの理由があるからそうしているわけで。

それを無理やり引っ張り出す、というのが──どうにも俺だったら、そうはされたくないなと思ってしまったから。


「もう、しっかりしてよね。あたしたち、これでも仕事仲間なんだから」


瑠璃の言う通りだ。

俺の意思はどうあれ、これはマリーさんから頼まれたこと。

彼女に頼まれたことであれば、雑用という役職に就いている以上は俺も断るのは憚られた。


だからこそ、やるしかないのだろう。


「……それで、何か手は考えたりしてるのか?」

「まだだけど……結局、谷口さんの部屋に行くしかないんじゃないかな」


ケロリとした様子で瑠璃は言う。

だけれど、そのやり方はリスキーだ。谷口さんだって、もしかしたら外に出ることにトラウマがあるのかもしれない。

それなのに、無理やり部屋に押しかけるのは如何なるものか。


「……なあ、それって本当に勝算は……」

「あるよ、もちろん。まあ、ここはあたしに任せといてよ。現場百遍、鉄則でしょ?」

「……それは事件が起きたときだけどな」


そんな返事に、余計不安が募る。

とはいえ、他に手がないのも事実。ここは瑠璃を信じよう。

そう心に決め、彼女について俺は階段を下った。


* * *


「谷口さーん、外はいかが?」


結果から言ってしまうと、考えなし。

ドアの前に辿り着いて真っ先に瑠璃がしたのは、ノックと呼びかけのみだった。


あまりにも強引。かつ、真っ直ぐ過ぎる手段。

思いの外、というよりかは明らかに行動に出る前から想像がついていたけれど、瑠璃は考えなしなようだった。


「……あの、瑠璃……? それで本当に谷口さんは……」

「ふふん、こんなこともあろうかと……っ!」


だけれど、瑠璃のドヤ顔はそのままで。


「じゃん! 絵本作家を釣るならやっぱり絵本だよっ!」


どこから取り出してきたのやら、大判、カラフルな表紙。

そうして瑠璃が掲げたのは、何を隠そう、マリーさんが上げたばかりの原稿が形になったものだった。


「世界に一つ! 見本が届いたばかりのやつを無理言って貸してもらったんだ。谷口さんが絵本マニアならすぐに食いつくはずでしょ?」


そんな餌で釣ろうとする方法で本当に食いつくものなのだろうか。

募る疑念の中、瑠璃は早速ノックを再開した。


「谷口さーん! 見て見て! これ、絵本!」


果たして、今回は確かなリアクションがあった。

ドアの上部に取り付けられたのぞき窓に黒い瞳が映り込む。


「……見たこと、ない」


直後、聞こえてきたくぐもった声。

やっと谷口さんが反応を示してくれた。これはあながち瑠璃のやり方は間違っていなかったのかもしれない、なんて。そんな風に、呑気に考えていた時だった。


──バン!


突如として開いたドア。

弾丸の如く飛び出してきた影。


「きゃっ!?」


瑠璃が悲鳴を上げ──直後、その体制は崩れた。

あまりのことに止まっていた思考が、ようやく回り始めた時。


「大丈夫か、瑠璃!? ……って」


正直、状況が把握しきれなかった。

瑠璃の上に、少女がのしかかっていたから。


ただでさえ小柄な瑠璃よりも幾分か低い背丈。

身につけているのは薄手の部屋着、うっすらと浮き出た鎖骨に、露出した白い肌はどこか病的だ。

そして、腰辺りまで伸びた黒髪。長い前髪の奥でこちらを捉える瞳。


「……誰だ?」


思わず漏らした声は、少女に対してのものだったけれど。

はっきり言ってしまえば、聞くまでもなかった。


「……ふふ、世界に一冊」


というか、相手も名乗りすらしなかった。


「……谷口、梨香さん?」


こちらから名前を聞いて、ようやく面倒臭そうに頷くのみ。

瑠璃も割と自分のペースで動くタイプだけれど、それ以上にマイペース。

まともに言葉を交わす前からも、そんな雰囲気はひしひしと感じ取れた。


「絵本、ありがと。それじゃ」


短く、それだけ言ってしまうと、谷口さんは部屋に戻っていこうとする。

その瞬間だった。


「させない──っ!」


脱兎の如く飛び出していった瑠璃が、その行く手を阻んだ。


「……邪魔」

「こっちだって体張ってるんだから、収穫が欲しいの!」


有り体に言ってしまえば、というよりも、オブラートに包み隠さず、ズバリ言ってしまった。

とはいえども、こんなことで谷口さんは折れてくれるだろうか。

これは長くなりそうだ──と、思った矢先だった。


「ああ、そう。じゃあ、入ってくれば?」

「……え?」


思いの外あっさりと、彼女は折れた。

それを聞いた途端、呆気に取られて、直後に瑠璃はガッツポーズをした。

無理もない。こんなにもあっさりと、事が運べそうなのだから。


「やったね、浜音くん」


そうやって、こそっと耳打ちしてくる。

……本当だろうか。本当に、そんなにうまい話があるのだろうか。

そこはかとない不安が胸中わだかまっていく中で。


一時、込み上げてくる不安から目を逸らしつつ、俺は谷口さんについて行くことにした。


* * *


「……すごい……」


部屋に入ってすぐに感嘆の声を漏らす瑠璃。

彼女ですらそう漏らすほどに、谷口さんの部屋には数え切れないほどの絵本があった。

棚はぎっしり、残りは床に、塔のように積み上げられ、机も然り。

本当に居住空間があるのか疑いたくなるほどには。瑠璃の部屋にあるものよりも多いように見える。


「……それでね、谷口さん」

「……梨香。長いの、面倒臭いから二文字で済ませて」

「……えーっと、梨香ちゃ──梨香。聞いてほしいんだけど……」


瑠璃にしては精一杯、相手のペースに合わせた話し方だったのだろう。

だけれど、谷口さん──梨香の態度は全然聞く耳持たずと言った様子。

むふー、とばかりに鼻息荒く、勝手に受け取った絵本を読み始めた。


「話、聞いてくれないと読ませないからっ」


そんな様子が癪に障ったのだろう。梨香の元に近づくと、瑠璃は絵本を奪ってしまった。

彼女にしては珍しく怒っているらしかった。


「……むぅ」


むくれた顔をして、梨香は瑠璃の方へ向き直った。

その間、物言わず。どうやらこれが、彼女なりの話を聞く時の態度らしい。


「えーっとね。今度、ここ──『クリザリッド』で、交流会があって……ほら、ここって結構住人が少ないじゃない? 梨香も出てくれたら楽しくなるな……って」

「……うそつき」

「うっ……」


効いてしまったのか、瑠璃が短く悲鳴を上げる。

実際、交流会は八月末に行う予定があると赤城さんは言っていた。

梨香が嘘だと指摘したのは後半の部分だろう。


「正直に言って。どうして、私を外に連れ出そうとするの?」

「それは……大家さんたちが、梨香のことを心配して……ずっと引きこもってて、寂しくないかって……」


赤城さんに、それからマリーさん。

俺達がここに来たのは、彼女たちの好意があってこそだ。

引きこもって、人との交流を絶って──寂しくないか。きっと、救いの手でも差し伸べるような感覚だったのだろう。


「……お人好し。私はそういうの、いらないから」


それを、梨香は一蹴した。

いらないからと、バッサリと。


「私の居場所、ここにあるから」


呆気にとられたような瑠璃を他所に、梨香はスマホを突きつけた。

その画面を凝視して、瑠璃は何やらブツブツと言い始める。


「『クチナシ』って……インターネットで活動する有名絵本作家の……」


そして、ある一つの事実に行き当たったのか、瑠璃は目を見開いた。


「……まさか、これがあなたなの……?」

「そう。五万人のフォロワーが私にはついてる。だから、いらない」


そこまで言い切ってしまうと、梨香はそっぽを向いた。


フォロワー五万人の有名絵本作家『クチナシ』として、梨香はSNS上で成功している。

この自分勝手な態度を取る引きこもり少女とそのイメージは結びつかなかったけれど、今の話を整理するならそういうことになるだろう。


「……それでもさ、現実で皆と仲良くなるのは違うよ? ほら、生身の良さとか──」


それでもなお、瑠璃は必死に説得しようとしていたけれど。

はっきりと、梨香は首を振った。


「……好きなものを好きだって。そう言うことすら許されないのに」


殻にこもる理由。それは人それぞれだ。

ただ、煩わしさ。人が交わることによって起こる、軋轢。



「──それなのに、いっしょ。どうして、そうなるの?」



それはきっと、皆が共通して持っていて。

俺自身も、妙に納得してしまったから。


一緒にいるだけ、苛まれるのだとして。


それでもなお、一緒にいなきゃいけない理由──それが、俺にはわからなかったから。


「……行こう、瑠璃」

「でも、梨香は──」

「……俺たちじゃ、納得させられないよ」


まだ抵抗を続けようとする瑠璃を連れて、部屋から出ていく。


きっと、梨香はつつかれて、だから、殻にこもった身だ。


だというのに、外敵の目の前に引っ張り出す──そんなことが、どうしてできただろうか。

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