#6 「いっしょに」

「……なるほど」


一枚一枚、パラパラと捲られていく。

目の前で才田さんが原稿をチェックしていく中、マリーさんが息を呑む。

つい先程経験したのだ。目の前で誰かが自分の書いたものを読んでいるということ。

それがどれだけ緊張感を駆り立てるのかは言うまでもない。


「千寿さん、4ページ目の表現、少し硬めです。地の文も過剰に思えます」

「わかりました、会話文メインにします」


そして、マリーさんの返しも早いものだ。

彼女自身、どこを指摘されているのかはすぐに分かるようで、才田さんの指摘、マリーさんの修正案、と。素早いキャッチボールが展開される。


「あとは……」


一枚捲って、不意に才田さんは黙り込んだ。

一瞬だけ、表情に浮かんだ険しさ。だけれど、すぐにそれを貼り付けたような笑みの裏側に隠してしまうと、口を開いた。


「……失礼。千寿さん、ここの表現は本当にあなたが?」


何について言及しようとしているのか、反射的にわかった。

おおよそのページ数、そして、その反応から鑑みるに──。


「……マリーさんの代わりに、そこは自分が書きました」


それは、俺が書いたページだったから。


「……君が?」


訝しむような視線が俺を捉える。

今度はさほど隠そうともしなかった。一度咳払いをすると、才田さんは俺の前でそのページを広げる。


「何点か指摘させてください。まず、ここ。”探してきて”、と。何度も繰り返しているのはどのような意図が?」

「……それは、この作品のテーマが『諦めないこと』だって、マリーさんが言っていたので、それを強調しようと……」

「少々しつこいように思えます。千寿さんの作品はメルヘン要素を強めたもので、メインターゲットは幼い子供たちです。であれば、簡潔な表現の方が好ましい」


──崩される。

綻ぶ表現、ここは自信のある箇所だった。

昨日、勢いのままに書き綴ってからどこか浮足立っていた節はあったけれど、一転、落ちていく。


「そうですね。簡単に言ってしまえば君の表現はストレートすぎる。あまりにも感情が剥き出しなのです。作品と作者は常に距離を取る必要がある。過剰な感情移入は異物をもたらしますから」


『正直で、自分の内面を描き出したもの──浜音くんらしい表現で、あたしは好き』


瑠璃にそう言ってもらえた時、胸が躍ったのを感じた。

人に褒めてもらうこと、それはこんなにも嬉しいことなのだと知った。

自分の書いたもの、それは半身も同然、それぐらいに感情を乗せたつもりだったから。

だからこそ、今こうして指摘される度に痛みが走る。まるで胸を突き刺すように。


「……でも、頑張ったんです」


口を衝いて出た言葉は、自分でも驚くぐらいには子供らしいものだった。

それでも、言わずにはいられなかったのだ。

自分の書いたものを守らなきゃいけない、と。そんな意識が先行したから。


「頑張って褒められる──それは、趣味の領域でしかない。しかし、これは商用作品です」


あっさりと、それは否定された。

こんな言い訳がましいものを、才田さんは正論で打ち砕いてくる。

だからこそ、沸々と込み上げてくるものがあろうとも、それを言葉にすることは叶わなかった。

きっと、どこかで納得してしまっていたのだ。


「君には見えていない。これを手に取る、相手の顔が」


才田さんは正しくて、俺が間違っているのだ、と。

俺がしたことに意味はなかったのだ、と。


「千寿さん、書き直しをお願いします」


そう言ってマリーさんに原稿を手渡す才田さんは、もう俺のことなんか見ていなかった。


* * *


「……なあ、ハマ。お前、大分落ち込んでるだろ」


才田さんが帰ってから二時間ほど。

日が暮れてもなお、修正作業は続いていた。

マリーさん曰く、原稿の執筆より多少は楽らしい。ゼロから何かを作るのと、できたもの直すのではわけが違う。

だから、俺にそう聞いてくるぐらいには余裕があったのだろう。


「……別に、落ち込んでなんか」

「そういうことばっか言ってると可愛げがないって思われんぞ。ここは大人しくお姉さんに相談してみろ」


ここ数日間お世話になった相手。

そして、最初の話通りで行くならば、今日でお別れする職場。

それなら、恥は掻き捨てだ。半ばやけ気味に口を開いた。


「……久々に文章書けて嬉しくて。才田さんにこき下ろされたところ、特に気に入っていたんです」


マリーさんから汲み取ったもの。

諦めるなと、彼女が表現したいというテーマのままに迸る熱に身を任せて書き綴った一節。

それは、書き上げた時に自分でも気に入っていただけに、否定されたのが辛かった。


「タイプの違いもあるんだよ。お前の表現は直情的だ。もっと簡潔で、ロジカルなもの──才田さんは、そういうのが欲しかったんだろうな。あの人にだって、多少なりとも好みはあるんだ」


人間だからな、と。マリーさんはそう呟いた。

その表情は、先程から何度か悩ましく歪められている。直しを命じられたものにだって、自分が気に入っていたものがある──。


「難儀な仕事だよ。どれだけ頭を捻ったところで、あっさりと白紙に戻されることだってある」


マリーさんはそんな目に遭っていないだなんて、どうして断言できただろう。

ずっと真顔で対応していたけれど、心中何を感じていたかは伺えなかったけれど。


「だけどな、アタシたちだって絵本作家である以前に人間だ。だから、辛い」


それでも、マリーさんだって──辛かったのだ。


「アタシはハマの表現が好きだ。ぶっ倒れたアタシのために書いてくれたものだし、何より──」


俺の頭に手を乗せると、マリーさんはその表情をくしゃりと緩めて、笑ってみせた。


「真っ直ぐで、必死──他人事には思えない。アタシが伝えたかったものに、確かに沿ってたよ。ありがとうな」


もしかしたら、社交辞令的なものだったかもしれない。

それに、マリーさんがどれだけ好きだと言ってくれたところで、才田さんには書き直しを命じられている。俺は一切役に立てていない──だと、いうのに。


「……っ、ありがとう、ございます」


その言葉が、堪らなく嬉しかった。

才田さんには認められなかったけれど、それでも、誰か一人、ここに自分の紡いだものを認めてくれる人がいる。その事実が胸を満たした。


「ちなみに、あたしもさっき言った通り、浜音くんの表現が好きだから」


唇を尖らせた瑠璃が割り込んでくる。彼女にもまた、認められた。

指摘は消えない、ボツを食らったという事実は眼前にある。

だとしても、誰かには届いた。俺の表現を手に取ってくれた相手が、ここに二人いる。


それならば、意味があったのだ、と。

きっと、そう捉えても良いのだ。


「それじゃあ、完成まであともう少しだ。ボツ食らっても、書き続ければ良い。そうしたらまた、ピタリとはまる表現──良い巡り合わせは待ってるもんだ」


絵本が完成するまで。

それまで俺が雑用として働くのだとしたら、まだ仕事は残っている。


「『諦めること』──それができないから。アタシたちは、せめて書き続けるんだよ。早速だハマ、ペンを頼む!」

「──はい」


だからこそ今は、俺にできることをやろう。

ここにいられるのは、今日で最後なのだから。


* * *


「それじゃあ、一旦の完成を祝して──乾杯っ!」


一様にぶつかり音を立てる缶。

修正が全部終わった夜食、机に並んでいるのは相変わらずのカップ麺とルートビアだったけれど。

普段よりもずっと美味しく感じる。俺にだって解放感はあった。何せ、ここ数日間、マリーさんの原稿進捗にはやきもきさせられっぱなしだったから。

そんなのも今となっては良いスパイスになってくれていたのだ。


「にしてもなあ、本当に間に合って良かった」

「……そういえば、マリーさんはどうして絵本にここまで入れ込んでるんですか?」


なぜ、事故で陸上ができなくなってから絵本作家を志したのか。

最後の夜食の席だ。聞けることは聞いておきたかった。


「ん、ああ。足を怪我して入院していた時、当時の担任が絵本を持ってきてくれたんだ。課題図書だって、そう言って」


ルートビアを一気飲みしてけぷっとゲップを一つ。マリーさんは口にする。


「それも、『諦めるな』って。そういうテーマの作品だった。当時、陸上を失い、病室で退屈にしていたアタシに取っちゃ、それが眩しすぎてね。誰かの心に残るもの、それをアタシが作る。ある意味永遠だ。ピークを過ぎたら終わるスポーツとはまた違う、そっちも良いと思えた」


心に残る作品、それはいつまで経っても消えることがない。

俺にだって、それぐらいの経験はある。忘れられない作品があるのだ。

一つ、書いたものを他者に認められて嬉しかった。だからこそ、そんな、もしかしたら誰かの人生のあり様すら左右してくれるかもしれない作品を生み出せたらどうか。

きっと、嬉しいなんて言葉じゃ済ませられないのだろう。


「ただ、それよりも。人間、何かに打ち込まずして生きてはいけない。なあ、ハマ。お前がどういう風にここに引っ越すことになって、どうして学校に行ってないのか、それは聞かない」


確かに、話したくないことだ。

マリーさんの優しさに、ただ感謝するほかなかった。

ロクに昔何があったのかもわからない、どこの馬の骨ともわからない俺を雇ってくれたわけだから。

俺の方からも『今日までありがとうございました』と。お礼をしようとした時だった。


「ただ、打ち込めるものはあって良い。昨日、文を書くって言った時のハマは頼もしかったよ。だから、そんな巡り合わせを待つ間、引き続きウチで働いてみないか?」


不意なマリーさんの提案。それは、願ってもみないことだった。

母からの否定、才田さんからの否定、そんな二度の否定を経てもなお、言葉を紡ぎ、それが誰かに認められる瞬間。それが堪らなく嬉しいことだというのを知ってしまった。

そうしたらきっと、もう元には戻れない。


「それだったら、あたしも嬉しいな。浜音くんと一緒に仕事するの、結構楽しいし。起こしてくれるし……なんて」


そして、何よりも。瑠璃とマリーさん──二人と過ごす時間が心地良いから。


「──もちろんです。こちらこそ、是非よろしくお願いします……っ!」


声を張り上げて、頭を下げる。


『──よろしくね。浜音くんっ!』


ここで出会った日、瑠璃が口にした言葉に返事を。


この日──俺は『クリザリッド山手』の一員となった。

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