旧校舎の主-1

 僕は夏休みの前日に転校してきた。

 中途半端な時期であるが、二学期からは同じ学年のみんなといっしょのクラスに通うことになる。

 転校してきたというが、実際は移ってきたというより帰ってきたのだ。

 父さんと母さんの故郷ふるさと

 僕も小学校に上がる前まではこの街で暮らしていたらしい。

 らしいというのはその当時のことをぼんやりとしか覚えていないからだ。



「二学期からは5年3組の仲間だな。みんなと仲良くしろよ」


 上林かんばやしというおじさん先生は豪快に笑った。

 さっき、僕のクラス担任だと教えられた。

 学校にあいさつと見学に来て、父さんと妹は先に帰ると言ったので僕だけ残った。

 もう少し学校を探検してみたかったのだ。

 終業式の終わった午後、学校には僕以外の子どもはいないようで静まりかえっている。

 さみしい気もするけど静かなのはいい。

 落ち着く。



 なので、背後から声をかけられたときには驚いた。


「ねえ、新しく5年3組に入る子だよね」


 いきなり話しかけられてしまった。

 ドキッとする。

 後ろを振り返ると女の子が立っている。

 ショートカットの髪にかわいい肩出しの服、赤い色の短いズボンから細い足がすらりと伸びている。

 小さな顔に好奇心の強そうな大きな目がキラキラと輝いている。


「そうだけど……」

「やっぱりー」


 女の子はニコッと笑った。


「あたし夏見なつみてる。なんて名前なの?」


 元気よく自分の名前を言うと僕の目をまっすぐ見た。


「めぐむ。清橋きよはしめぐむ」

「へーっ、めぐむくんか。かわいい名前」

「あはは、よく言われる……」


 僕は力なく笑う。

 この名前で何度女子と間違われたことか。


「あたしねー、リコーダー忘れちゃって取りにきたの。夏休みの宿題に使うのに忘れててさ」


 こっちが聞いてもいないのにそう言って、テヘッと舌を出す。

 どうやらおしゃべりな子のようだ。


「めぐむくんはなにしてるの?」


 当然そう思われるだろう。

 まだクラスに顔出しもしていない転校生がなにをしているんだろうと。


「学校、どんなところがあるんだろうと思って見学してた」

「あ、じゃあ案内したげよっか。中に入ると怒られるから外からだけど」

「う、うん。じゃあよろしく」


 なかばおし切られるような形で僕はうなずいた。

 おまかせあれ、と夏見は軽い足取りで歩きはじめる。


「一階には一年と二年の教室があって、こっちをぐるっと回ると体育館。あ、図書室は二階にあるよー」


 説明を聞きながら歩き、気になるものが目に入ったので僕は足を止めた。


「あれって……」


 古ぼけた木造の建物が校舎に並ぶようにある。

 コンクリートの校舎しか見たことがない僕としては、それが異様な存在感を放っているように見えた。

 夏見は足を止める。


「あれは旧校舎。珍しいでしょ」


 夏見は校舎を見つめながら言う。


「古いから取りこわしの話が何回か出てるんだけどね。そのたびに延期になっているの。なんでだかわかる」


 急に夏見の声が低くなった。

 だらりと両手を下げる。


「出るの。コレが」

「コレって……?」

「んもー、わかるくせに!」


 バシッと背中を叩かれた。


「ぐふっ」


 けっこう痛い。

 そのとき、目の端に白いものが見えた気がした。

 窓のところに、布のようなものが走ったような。


「あれ」

「どうしたの?」


 立ち止まる僕に夏見が言う。


「あそこにだれかいたような……?」

「えっ、旧校舎?そんなわけないじゃん」


 夏見はおかしそうに片手で口をおさえる。


「みんな怖がりだからあそこには近づかないって」

「でも……」


 たしかに見た気がしたんだ。

 そう言おうとすると、鋭い声がかかった。


「だれだ」


 声がするほうを振り返ると険しい顔の男の子が立っていた。

 年は僕らと同じくらいだろうか。

 目を細くしてこちらをにらんでいる。


「あっ佐伯さえきじゃん」

「夏見か。なんでまだ残っているんだ?」

「リコーダー取りにきたの。そしたら、転校生くんがいたから学校案内してたんだ」


 素直にそう言った。


「ねえ、めぐむくん」

「う、うん」


 夏見が佐伯と呼んだ男の子を指さした。


「こいつは佐伯さえき克也かつや。5年3組」

「よろしく……」


 僕は新たなクラスメイトにそう言ったが、チラリとこちらを見たあと佐伯はそっぽを向いた。

 無視された……?

 初対面なのに嫌われている。


「もー、佐伯ったら照れ屋なんだから」

「そんなんじゃない。それと、人を指さすな」


 不機嫌そうにそう言った。


「お前らもう帰れ」


 佐伯はそう言って目線で校門を示す。


「もうじきに日も暮れる」


 気づけば空はもう夕焼け色になってきた。


「遅くまでいたら危ない」


 雰囲気はこわいけど、心配してくれているんだろうか?


「そうだね。そろそろ帰るよ」


 僕は校門のほうに歩き出す。


「夏見、さん。いろいろありがとう」

「どういたしましてー。さんはいらないよ。これからもよろしくね!」


 太陽のような笑顔でそう言ってバイバイと手を振って夏見は去っていく。

 佐伯はなぜか僕と並んで歩きはじめた。

 たがいに無言。

 き、気まずい。


「ねえ、なんでこっちくるの?」

「俺の家もこっちだから。悪いか?」

「いやぜんぜん悪くないです……」


 顔がこわいためか苦手意識をもってしまう。

 しばらくつかず離れずの距離で歩く。


「なあ」


 佐伯が僕に声をかけた。


「なに?」

「……お前ってさ」


 そのとき、視界がガクンと下がる。

 僕は派手に転んだ。


「いたた……」

「大丈夫か!」


 佐伯がそう言ってかけ寄ってきた。

 いま。

 足を引っ張られたような。

 だけど、地面にはなにもない。

 足のほうを見て僕はゾッとした。

 つかまれたような赤いあとがついている。


「ケガしたか?」


 佐伯が僕の足を見ようとするので、それをさえぎった。


「大丈夫!ちょっと前を見てなかったからつまずいたみたい」

「……」

「僕って運動神経なくて、ドジだし。気にしなくてもいいよ」


 自分で言っていて悲しくなってきた。


「たしかにドンくさそうには見えるけど……」


 ボソッと佐伯が言う。

 地味に傷つく。


「本当になにもないんだな?」

「うん、大丈夫」


 僕らはそれからも無言でならんで歩き、分かれ道でそれぞれの家の方角に行った。


「じゃあな」


 佐伯が短く言うので、僕も言った。


「またね」


 軽くうなずくと佐伯は帰って行った。



「ただいま」


 僕は玄関でそう言ってから中に入る。


「お兄ちゃん、おかえり」

「めぐちゃん、おかえり」


 父さんと妹ののぞみが出迎えてくれた。

 いいにおいがただよってくる。


「今日、カレー?」

「そうだよ。お引越し祝いに」


 父さんはのほほんと笑う。

 祝いだったらお寿司とか焼肉が定番だと思うけど、カレーは僕ものぞみも大好物だ。


「やった!」

「やったーやったー」 


 のぞみは変な踊りで喜びを表している。

 僕はランドセルを下ろすと父さんに言った。


「父さんって僕と同じ小学校出身なんだよね?」

「そうだよー。それがどうかした?」


 カレーをかき混ぜながら父さんは言う。


「その頃から旧校舎ってあったの?」

「あったよ。というか途中まで旧校舎のほうに通ってたし」

「そうなんだ」


 僕は驚く。


「確か俺が低学年のときに新校舎ができてそっちで勉強するようになったんだよ。それがどうかした」

「いや、どうもしないけど」


 僕は少し迷ってから父さんに聞く。


「じゃああのさ」

「うん?」

「その頃からその……。怖い話とかあった?」


 父さんはなにか思うところがあるようなニヤリとした顔で笑う。


「学校の怪談のことか?」

「うん。まあそんな感じ」


 僕はうなずく。


「あったぞ。たしか学校の七不思議が」

「七不思議?」

「七つの怖い話っていうことだ。たいていの学校にはある。そういえばなんで七不思議なんだろうな……」


 いけない。

 このままでは父さんの変な思考スイッチが入って、話が進まなくなってしまう。


「そ、それより早く食べよう。僕お腹空いちゃった」

「のぞみもー。もうお腹と背中がくっついちゃいそう」


 のぞみから不満の声があがる。


「そうか。じゃあよそうぞ」


 そう言って父さんは僕とのぞみのぶんのカレーをよそってくれる。


「めぐむはどれくらい食べる?」

「普通でいいよ」

「のぞみは大盛り!」


 のぞみは自己主張が激しい。


「ハイハイじゃあ二人とも大盛りだな」


 お父さんがニコニコと笑いながら言う。


「のぞみ、サラダ持ってくるね!」

「僕はスプーンならべておく」

「いやー、子どもたちが働きものでお父さん嬉しいぞ」


 父さんはニコニコと笑う。

 よそったカレーを机の上の僕とのぞみの場所に置いて、それから一皿仏壇の前に置く。

 父さんは自分の皿を持ってきて言った。


「ご飯の前にはなんて言うのかな?」


 僕とのぞみは顔を見合わせて笑う。


「いただきます!」


 大きな声で言う僕らに父さんは微笑んだ。


「いい子だ」


 カレーを口に運ぶ。

 甘口の具沢山カレー。

 人の家によっていろいろあると思うがそれが我が家の定番だ。

 父さんものぞみも満面の笑みでおいしそうに頬張っている。

 やっぱり父さんのカレーはおいしいと、僕も微笑むのだった。

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