第39話
◆
洞窟から出ると、さすがにホッとした。
(ハヴェル!)
待ち構えていたトナリ、ツリナが駆け寄ってくる。スラバはといえば、立ったまま居眠りしていた。変わった人だなぁ。そのスラギもトナリとツリナが動き出したのを察したらしく、すこく遅れたもののこちらに気づいてやってきた。
(大丈夫か? どうなった?)
「大丈夫、怪我はしていない。それより、リュート殿は?」
(私はこちらに)
今まで何もなかった空間に、女性の姿が現れた。僕が洞窟に入る前に判明していたけど、彼女は霊体なのだから、姿を消すも現わすも自在なのだ。それにしても実物そっくりというか、実際にそこに体があるようなはっきりとした霊体だった。
「リュート殿、ここにはもうグレイル殿はいません」
(あら、それは殺してしまったということ? それだったらみんなが見ている前でバラしてくれれば良かったのに。あれだけ頑丈な体の持ち主が死ぬところを見せないなんて、罪ですよ、クーンズ伯爵。あーあ、最高傑作と言ってもいい私の作品が人知れず破壊されるなんて、惜しいことです)
「いえ、あの、生きてるはずです」
ぱちぱちと瞬きをしたリュートが首を傾げる。
(殺したということではない? 生きているのなら、どこにいるのですか? 洞窟の中かしら)
「いえ、そうじゃなくて、山の神のご助力で、この山から生きたまま下されました」
あら、まあ、とリュートは驚きを隠せないようだった。
(この山の原則を逸脱してまでそうなさるとは、山の神も相当に追い詰められたのかしらね)
「言いづらいんですが、僕が山から下されるところを、代わりにグレイル殿を下ろしてもらったんです」
(ま、そんなお心遣いを。あんな男、この山で野垂れ死んで、亡霊になるのがふさわしいというのに。それでクーンズ伯、グレイルは今、どこにいるのです)
どこにいる?
僕は思わず背後を振り返ったが、言葉などあるわけもない。恐る恐るリュートを振り返ると、彼女も怪訝そうな顔をしていた。
(どうしたのです、クーンズ伯? 顔色が悪いようですが)
「その、山から下りたとは思うのですが、どこにいるかは、知りません」
(……それは、山の神が勝手にどこか知らない場所へグレイルを放り出してしまった、ということですか)
そうなりますね、と僕が答えると、リュートは口元に手をやり、それから少し笑ったようだった。
(山の神なりの報復なのでしょう。よろしい。こちらで探すとしましょう。クーンズ伯、ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。グレイルにはよく言って聞かせますから)
二度とここには来ないように言ってください、と念を押したいところだったが、グレイルにも学習能力はあるだろう。そう思いたい。
(またお会いしましょう、クーンズ伯爵閣下。では、ごきげんよう)
そんな思念の後、リュートの姿は燐光とともに消えてしまい、その場には僕とトナリ、ツリナ、スラバが残された。
(おい、ハヴェル。さっきの話は本当か?)
トナリのややトゲトゲしい問いかけに、僕はトボけて見せたが、トナリは容赦しなかった。
(山から下りられたのに、代わりにあの男を下ろした、っていう話だよ。なんでお前が下りなかった)
「まぁ、それはね、僕がクーンズ伯爵だからというか……」
(ここにいても、未来はないぜ。伯爵位なんて放り出して、逃げるべきだろうが)
「それはできないよ」
何故だ、とトナリが詰め寄ってくるのを、ツリナが止めようとしがみつくが、トナリは微動だにしなかった。
「僕がクーンズ伯爵となった以上、陛下の御意志を無下にはできない。それにきっと、うまくいくからここに送られたんだろう。少なくとも懲罰じゃないはずだ」
相当に捻くれていればこれも懲罰かもしれないけど、とは言わないでおいた。
「ともかく、トナリ、もう少しここで世話になるよ。といっても、食事の世話も何もいらないわけだけど」
(それは構わんが、この山はどうなっているんだ? 何も変化なしなのか?)
「山の神は山の神のまま、ここにいる。つまり、変化してないと思う。供犠の問題は片付いていないし、山に入ってくる武芸者の問題も片付いていない。ああ、そのことを何とか、外の人に伝えて貰えば良かったが。リュートさんでも、グレイルさんでも」
「承りましょう」
不意な人の声に、僕たちは一斉にそちらを振り返った。
どこからどう現れたのか、巨木の根元に一人の人物が座り込んでいる。
トナリやツリナが戦闘態勢をとるのに、僕はさっと手を上げて二人を止めた。スラバはやっぱり完全に出遅れている。
「お久しぶりです、カズー殿」
そこにいるのは、だいぶ前に王都にある王宮の奇妙な一室で対面した人物の一人だった。
統一王その人のそばに仕え、その身を守る騎士の一人。
黒髪、黒瞳の偉丈夫はゆっくりと立ち上がると、小さな動作で一礼した。
「クーンズ伯爵、お久しゅうございます」
「いえ、そのようなことはおやめください」
さすがに恐縮する僕だが、どうやらこの人物も僕を以前よりは少し、認めてくれたらしい。
顔を上げたカズーはしかし不機嫌そうな顔で、確認してきた。
「ルセス山への供物は一切必要ない、という触れを出せばよろしいですか? そして武芸者も、なるべく近づかないように手を打つということですか?」
話が早い。
「できますか?」
「統一王陛下のご威光の元でなら、できないことなどないでしょうな」
失礼しました、と今度はこちらが頭を下げるしかない。
「他には何か、聞いておくべきことはあるだろうか、クーンズ伯爵」
「他にですか? 僕はしばらく、この山を離れられないと、陛下にお伝えください」
「承知」
「それと」
僕が言いだすのに、カズーは少し眉間の皺を深くした。
「カズー殿はどうやってここへ来たのですか? その体、霊体ではありませんね」
「陛下のそばにいるものなら、この程度は容易いのですよ、クーンズ伯爵。そしてあなたにもそうなることが求められている」
僕はあまり、超人に憧れたりはしないんだけど……。
「では、失礼する、クーンズ伯。励まれよ」
その言葉と同時に、カズーの体がぐにゃりと歪むと、まるで紙に書かれた絵のようになり、それさえも捻れて細くなり、一本の線になった次には何の痕跡も残さずにふっつりと消えてしまった。
何というか、とトナリが思わずといったように思念を漏らした。
(超人というのは世の中にいるものだな。できれば関わりたくないが)
リュートもカズーも、幽霊にそんなことを言われたくもないだろうが、どちらかといえば僕はトナリと同意見だった。もう関わってしまったけど、僕も平穏に平凡に生きたい。リュートやカズー、あんな人たちと関わっていれば、毎日が大変そうだ。
さて、と僕は改めて周りにいる三人の幽霊を見た。
「僕は少し休むけど、みんなはどうする?」
トナリ、ツリナが視線を交わし、スラバはといえば、またあくびをかみ殺しているような顔つきだった。
ま、彼らが何をしていてもいい。
僕は少し疲れた。
座り込んだら、そのまま眠ってしまいそうだった。
許されるかな?
とりあえず、左手は勝手に動き出す気配はなかった。
(続く)
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