第36話
◆
女性は僕からグレイルに視線を戻すと、おもむろに叱り始めた。
(あなたには力に任せるなと何度も言っているでしょう。力で何かが本当に解決したことがありますか? あなたからすれば、相手が死ねば解決、ということになるかもしれませんが、世間ではそんなことはないのですよ。理解していますか? 本当に理解していますか?)
僕の視線は、というか、きっとトナリもツリナもスラバも、みんながみんな、この時ばかりはグレイルに注目していた。
そしてそのグレイルは、そっぽを向いてボソッと答えた。
「知ったことかよ、クソババア」
クソババア?
まるで地獄の底から響いてきたような思念の後、何もない空中で目に見えない物質が弾けはじめた。
女性の顔の位置が変わり、グレイルを見下ろす形になる。
その様子には何というか、どんなものでも屈服せざるをえないような迫力があった。
(そのクソババアがあなたに今の体を提供してあげたのですよ。お忘れですか。あなたの剣術や格闘の素質に合った肉体を作って差し上げたのは誰でしたっけね。怪我をして戦えなくなるのが口惜しいなどと、意味不明なことを言ったあなたに、大抵の怪我を無視できる肉体を用意したのは、誰でしたか? 答えなさい、剣聖グレイル。答えられませんか)
女性のまくしたてる思念の内容を遅れて理解するが、どうやら、この女性は普通の人間ではないらしい。霊体でここにいるのだから当たり前か。
いずれにせよ、剣聖と対等というか、むしろ上位に立っている存在らしい。
実際、グレイルは女性に切りつけようとはしない。
ずっと、そっぽを向いている。拗ねているように。
(答えなさいよ、剣聖グレイル。それともお仕置きが必要ですか? そうですか、必要ということですね)
そんな思念が終わらないうちに女性の手がうち振られ、その指先から雷光が走った。
一瞬の攻撃で、発動から命中まで瞬きする間もなかったはずだが、超人的な身体能力を発揮し、グレイルはその雷撃を回避した。もちろん、一発ではなく、二発、三発と続いたが、グレイルはスルスルと距離をとり、避けていく。
超常の力でお仕置きをするというのも何か違うが、そんな超常の力を全く平然と避けていく方も何か違うのではないか……。
女性が舌打ちして、こちらに向き直った。
(あなたにお仕置きしてもらった方がいいかもしれないわね。あの通り、私のことを知り尽くしていてね、彼は)
はあ、としか言えない。グレイルは十分な距離をとると、自分の折れた左腕の骨を右手で強引に接合し始めた。聞きたくない音が連続したが、グレイル自身には動じた様子はない。
腕を押さえながら、グレイルが女性に反論し始めた。
「クソッタレの魔導師め。あれはちゃんとした契約だっただろう。俺はあんたの実験台になっただけだ。最高の体質とか、興味深い対象だとか、あれこれといって俺を説き伏せたのもあんただろう。忘れたのか?」
(そうだったかしらね? しかし、今となっては間違いだったかもしれないと思っているわ。あなたは何というか、その、猛犬というか、狂犬だものね)
グレイルは鼻で笑ったが、僕としては色々と気にかかる。グレイルは猛犬とか狂犬とか犬に例えられる対象ではないはずだけど、問題はそこじゃない。
グレイルは、女性に向かって魔導師と言わなかったか?
魔術師の階梯の最上位、六人しかいない最強の使い手が魔導師と呼ばれる。
俗に「六星の魔導師」と呼ばれる六人だが、この女性がそのうちの一人なのか。
女性は思念で会話している。それはまさか、発声機能がない、ということか? そうでなければ、霊体でいるのが常態で、肉体を喪失している?
六星の魔導師は、その超常の力と引き換えに、身体機能の何かしらを失っているとされる。あるものは視覚を失い、あるものは聴覚を失い、あるものは四肢を失う、などとされる。
実際に目の当たりにしたことはないが、しかし、この女性が本物の魔導師なのか……。
(ともかく、剣聖グレイル、この山に手出しするのはやめなさい。そもそも、どうしてこの山に踏み込んだのですか? ここは入ったら出られない場所だと、知らないあなたではないでしょう。それとも、誰も入ったら出られないなら、俺が入って出てきてやろう、とでも思いましたか? 幼稚ですね。いつまで経っても子どものようなことをしていると、ご両親が泣きますよ)
「うるせぇな。山の神が剣の神だって聞いたから、その神を打ち倒しに来ただけだ」
(神を倒すなどと、自惚れるのもいい加減にしなさい。今ではこの世に神など数えるほどしか存在しませんが、古来より神殺しは禁忌の一つでしょう。何が起こるか、想像しましたか。いいえ、あなたの知能では想像なんてことはできなかったでしょうね。何が降りかかっても、自分の戦闘能力と、私の作った肉体で切り抜けられると、そう自惚れていたのでしょう。違いますか? どうなんです、剣聖グレイル)
……というか、この女性はよく喋るな。
僕が呆気にとられているのと同じ理由かもしれないが、グレイルは「舌の周りはいいんだからな」と呟いていた。初めて、グレイルと同じ感覚を共有できるかもしれない。
そんなことを思っていると、不意に女性が僕に向き直った。
(確認が遅れましたが、あなたがクーンズ伯爵なのですね? 私は、六星の魔導師の一人、金牛の魔導師、リュートと申します。剣聖グレイルがご迷惑をおかけしたようですが、どうか、彼のことをお許しください。あの通り、傲慢で、不遜で、恥知らずなのです)
そこまで言うか?
(この山に踏み込んだのも彼の責任。山の神が彼の肉体をいずれ召し上げるでしょうが、私はそれでも構いません。暴れるでしょうが、放っておかれるのがよろしい。神は神であり、人は人です。神は上位で、人は下位。崇高なるのは神で、愚劣なのが人。グレイルのことはやや惜しいですが、別の人材はこの世のどこかにはいましょう。今はただ、冥福を祈るばかりです)
殺すなよ、とグレイルが呟いている。
えーっと、僕は何を言えばいいんだ?
「リュート殿、その、ご助力、感謝します」
ちょっと見当はずれかと思える僕の言葉に、にっこりとリュートは笑みを浮かべた。
(いえいえ、この程度のこと、なんでもございません。それよりもクーンズ伯のその左腕はどうされました。もはや人間ではなく、我々、魔術師が使役する使い魔にも似た有様ですが。しかもどうやら、意思を持っている。何が取り憑いているのですか)
「ああ、いえ、これは……」
神に体の一部を奪われている、などと口にしていいものだろうか。
返答を躊躇わせるのは、すでにリュートの表情いっぱいに好奇心が浮かんでいるからで、それはなんというか、今にも僕を解体してでも実際を知りたいというような、そんな欲望の発露にも見えた。
(触れてもよろしいですか、クーンズ伯?)
「え?」
答える前にスルスルっとリュートのが進み出てくると、僕の左手に手を伸ばした。
抵抗する間もない早業だった。
彼女の手が僕の左腕に触れ、細かな爆ぜるような音が連続し、視野を染めるほどの激しい光が瞬いた。
それは不意に消え、僕の視界が普通に戻った時には、リュートが嬉しそうにこちらの顔を覗き込んでいた。
(クーンズ伯はおかしなお方ですね。私が伝え聞いたところでは、クーンズ伯の役目は山に住む神を調伏すること、だそうですが、今のあなたは少し違う。何故、祟り神をその身に宿しているのです)
答えられなかった。
自分に宿る神が祟り神であることに驚いた、というわけじゃない。
僕が腕を捧げた相手が本来的な山の神ではないことは、うっすらと気づいていた。
なら何が腕に宿ったかを考えれば、答えは一つしかない。
祟り神だ。
(何か事情があるのでしょうが、興味深いですわね。ねえ? クーンズ伯爵)
僕が何も言えずにいると、おい、とトナリの思念が飛んできた。
僕とリュートがそちらを見たとき、トナリはどこかを指差していた。その指が示す先を僕とリュートの視線が追っていく。
トナリが指差していたのは、巨木であり、つまり、うろだった。
(あの男が、入っていったぞ)
どこか呆然としたトナリの思念が理解されたとき、僕とリュートは視線を交わしていた。
あの男とは、グレイル以外にいない。そしてうろに入ったというのは、つまり……。
リュートの目が細まって、僕を見据える。
(クーンズ伯爵、あのうろはなんですか?)
「山の神のおわす場所、です」
(何故、私とのお話に必死になってグレイルを止めなかったのです)
いや、その責任を僕に押し付けられても。
(今すぐ、追いなさい、クーンズ伯。それがあなたの役目でしょう)
反射的に返事をして立ち上がったけど、僕は念のためにリュートに問いかけた。
「リュート殿は、ついてこられないのですか?」
ええ、と彼女の思念は自信満々だった。
(霊体はどうやら、あの通路には入れませんわね。残念ながら、私はご一緒できません。あしからず)
色々と聞きたかったが、一番言いたいことは決まっている。
魔導師って、使えないな。
僕は駆け出しながらまだ地面に突き立っていた自分の短剣を右手で拾い上げた。
そのままうろに飛び込む。
薄暗い洞窟の遠くで、足音がしていた。
僕はそれを追っていく。
薄闇はどこまでもどこまでも続くように錯覚された。
(続く)
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