第34話
◆
グレイルの斬撃の連続はまさしく嵐だった。
暴風のように激しい斬撃が、間断なく吹き付ける。
僕は左腕に全てを任せるより他になった。僕の腕力でも、技術でも、グレイルに対抗できないのは自明だった。
僕の左腕は形状を変化させ、もはや人間の腕の長さではなく、また太さでもない。
それはまるで意思のある植物のようで、しかし鞭のようにしなり、あるいは蛇のように獰猛に、グレイルを殺そうとしていた。
グレイルの剣と黒い剣の間で激しく火花が散るが、僕の左腕から生まれた黒い剣が欠けるわけもなく、火花とはつまり、グレイルの剣の一方的な疲労を意味していた。
それに気づかないグレイルではないだろうが、攻撃を止めることはない。
むしろ、より早く、より強い一撃を打ち込んでくる。
自分が死ににくいことなど、おそらく頭にないだろう。
グレイルが考えていることはただ一つ。
僕の首をはねる事だ。
今となっては、僕の中に迷いはなかった。頭の中の僕ではない意思に屈服するようなものだが、グレイルは倒す以外、選べる道のない敵だった。
彼は生きている限り、僕を狙うだろうし、あるいは山の神さえも、倒さずにはおかない。
生存競争となってしまえば、どちらかが死ぬまで、その争いは終わらないだろう。
もっとも、肉食動物が餌になるはずの動物を狩りつくして仕舞えば、肉食動物自身もいずれは死ぬことになるだろうが。
山の神は、無限に剣士を求めた。
剣士が滅びたら、この山の神は、どうなるのだろう。
純粋なる祟り神として、世界を破壊し尽くすのだろうか。
「よそ見すんなよ!」
グレイルの剣の軌道が不意に変化したのは、視界に入っていたが、意識が思考に傾き過ぎていた。
とっさに姿勢を崩すと、切っ先が僕の頬をかすめて、熱が残る。
一方のグレイルは右脇腹を黒い剣にわずかに引き裂かれ、続く一撃を避けたものの、やっと間合いを取り直して、長い攻防が一度、仕切り直しになった。
グレイルはよく見ると全身に傷を負っている。浅手のようだが、こちらの攻撃に対して踏みこめるところまで踏み込んでいる、ということだ。
「まったく、腕一本にここまで手こずるのは、初めてだ。人間じゃねぇ奴の相手は楽しいな!」
僕は楽しくなんてないよ、と答えることもできたけど、僕は黙って右手の甲で頬を拭った。血がついて、手の甲が赤く染まる。
「赤い血が流れているところを切れば、死ぬってことだよな。違うのかい」
言葉を向けながら、グレイルは自分の剣を見て舌打ちしている。
「その左腕を輪切りにしてやりてぇところだが、剣が保ちそうにねぇ。さっさと決めなくちゃな」
僕は自分の左手を見た。
まるでそれを待っていたかのように、左手の手の甲に当たるだろう位置に、一筋の切れ目が入った。
切れ目がゆっくりと開き、その奥には、瞳があった。
眼球がぐるぐるっと不規則に動き、まっすぐにこちらを見て、眼を細める。
気分が悪くなる光景だが、僕はただそのニヤついているような一つだけの瞳を見据えた。
僕の体に神が宿っているというが、なるほど、この左腕は神そのものか。
自分の意思を持っているのだろう。
神が受肉してどうする、とも思う。
それでは概念的にはどうであれ、肉体を失うという意味での「死」を受け入れたようなものだ。
「それじゃあ、まぁ、決着をつけようか!」
僕が視線を向けると、グレイルは低い姿勢で剣を構えている。
僕は右手の短剣を握り直し、「ああ」とだけ答えた。
グレイルの姿が搔き消える。
何度も見ている高速機動。
左腕がどうやってかそれを察知し、捻れるように伸び、右側からの斬撃を受け止めざま、即座に返しの刃を向ける。
ほとんど地面に這うようにしてグレイルがそれを避け、地面すれすれから跳ね上がる彼の剣。
僕の体が左腕に引っ張られる形で、無様にそれを避ける。
左腕だけがさらに捻れ、天を向いて反転しようとするグレイルの刃と入れ違いに、彼の胸元に漆黒の剣を差し込んでいく。これにはグレイルが自らの剣をねじ込んで行き、受け止め、弾く。
左腕の肘に当たる部分が極端に伸長し、グレイルの胸に直撃。鈍い音が響くが、グレイルは一瞬の呼吸の停止だけでやり過ごし、さらに剣の柄から片手を話すと、僕の左腕を絡め取りに来る。
グレイルの腕と僕の左腕が力比べを始める中でも、グレイルの剣と僕の左手が握る漆黒の剣は攻防を続行。
僕の左腕は、もはや既存の生物の枠を超えた、異様な形状に変化していた。
グレイルの腕に巻きつく僕の左腕が隆起し、逆にグレイルの腕を締め上げていく。
その上で肘から先、手首から先はしなやかに動き、グレイルの締め上げている腕を振り回しながら、斬撃でグレイルを仕留めようとしていた。
剣の形状さえ変わり、今は奇妙な鎌のような形状へと変化しているが、それも安定しているわけではない。自在に形状を変える刃にはとても強靭さなどなさそうなものだが、グレイルの剣と拮抗し、跳ね返しさえした。
「化け物め!」
グレイルが罵声とともに繰り出した剣もまた、弾き返される。
僕は僕で、自分の頭の中に響く声に顔をしかめていた。
殺せ、殺せ、殺せ。
ひたすらその思念が繰り返される。まるでこの世の全てを滅ぼさなければ済まされないような、徹底的な怨嗟の声。
締め上げ続けられていたグレイルの腕がついに軋みをあげて、おかしな方向へ歪み始める。グレイルがそれに歯をくいしばるのが見えた。
その隙につけ込む形で、黒い剣の切っ先がグレイルの首筋へ迫った。
グレイルは、ぐっと体を傾けて避けた。
しかしその反動で、左肩が鈍い音とともに、明らかに脱臼した。そして僅かな脱力の間に、彼の腕は僕の左腕の力に屈服し、いとも容易く二箇所で完全にへし折れた。
もしそのままにしていれば、彼の左腕は引きちぎられていたかもしれない。それだけの力が僕の左腕には存在する。
そうならなかったのは、僕が右手に持った短剣を、自らの左腕に突き立てたからだ。
切っ先は、わずかにしか食い込まなかった。
それでも、左腕は動きを止め、グレイルの腕を解放すると、スルスルと元の形に戻る。
そうしてからひとりでに持ち上がり、僕の目の前で手のひらを広げた。
そこに切れ目が走り、開き、眼球が覗く。
「何ヲ考エテイル? くーんず伯爵」
僕の口から、軋んだ声で、僕に対する問いが漏れた。
(続く)
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