第33話
◆
舌打ちして、そして嬉しそうにグレイルが笑う。
「隙を突いてやろうと思ったが、ちょっと雑すぎたな」
僕は無言のまま右手に短剣を下げて、グレイルと正対している。位置関係は右手側にツリナが低い姿勢で剣を構え、その奥にトナリがやはり剣を構えていた。スラギは左側で、しかし距離がありすぎる。
「さぁ、どいつから俺に切られたい?」
捕食者のような、グレイルの態度。
あるいはそれは、間違いではないかもしれない。
おそらく個人としてのグレイルの力量は、この中の誰よりも優れている。
ただ、僕たちは四人だった。
合図もなく、目配せもなく、四人が同時に動き出した。
トナリとツリナが同時に飛び出していく。
もちろん、その程度で驚いたり、慌てるグレイルではない。片手の剣、例の対魔術武装ではない剣を地面に突き立てたと思うと、まず先を行くツリナの斬撃を回避し、その霊体を蹴り飛ばした。
霊体であり、実態がないはずのツリナの体にグレイルの足が突き刺さった時、少しだけツリナの輪郭が震えた。
やはりグレイルは霊体に物理的に接触できるようだ。
強烈な一撃を受けたツリナは、予想していたのだろう、体を丸めて地面に落ち、すぐに姿勢を取り戻す。
それをグレイルが追撃できないのは、彼の間合いにトナリが入っているからだ。
トナリの剣が目にも留まらぬ速さでいくつもの弧を描く中で、グレイルは自分の剣を舞うように繰り出し、全ての斬撃を払い除けていく。
どちらも超人的な剣術の使い手だが、この時もやはり、軍配はグレイルに上がった。
トナリの姿勢が不意に乱れたかと思うと、極端に間合いを詰めたグレイルの足がトナリの足を払っていた。
トナリがよろめいたところで、そこはグレイルの間合いだ。
剣ではなく、拳の間合い。
逃さないとばかりに、素早く伸びたグレイルの手がトナリの着物の襟首をつかんでいる。その着物でさえも霊的なもの、幻にすぎないのに、グレイルの手はまるで実体がそこにあるように掴んでいた。
剣を手放したグレイルの拳が、一度、二度とグレイルの顔面を捉え、拘束する手で振り回すと、崩れかけたトナリを迎えに行くように膝が跳ね上がり、鮮やかにトナリの側頭部を捉えていた。
ただ、きわどいところでトナリはそれを回避する。
全身を分解し、姿を消したのだ。グレイルが膝の空振りによろめき、しかしその時には足元に倒れていた対魔術武装の剣を蹴り上げ、空いた手で掴んでいる。
掴んだ動作からそのまま、グレイルが横薙ぎに剣を振り回すと、間合いに踏み込んでいたスラギが危うく両断されかかり、立てた剣で受けるも跳ね飛ばされている。
そのグレイルの背後に、僕がピタリと立っていた。
短剣を持った右手が、自然と動く。
グレイルは、僕を見ていない。
短剣が、貫く。
「!」
グレイルが振り返りざまに、剣を打ち下ろしてくる。
僕の左手が跳ね上がり、剣を受け止めたが、受け止めきれずに刃が食い込み、黒い肉を覆う黒い皮膚の裂け目から黒い血が流れる。
僕は大きく距離をとり、グレイルをもう一度、確認した。
「そんなに驚くことじゃねぇ」
グレイルはそう言いながら、左腕を一振りすると、周囲に赤い血が飛び散る。
僕の短剣の刺突は、グレイルの背中の中央を刺し貫くはずだった。
だが、そこに腕が割り込んだ。
グレイルの左手は素早く剣の柄を離れ、背中に回され、致命傷を文字通り盾となって防いだのだ。
「どいつもこいつも、背後を取れば勝てる、と信じ込みすぎる。お前もその口だったようだな」
恐怖、というものにもいくつも種類があるものだ。
僕が今感じているのも、そんな恐怖の一つだっただろう。
グレイルが口にしたことは、理屈としてわかる。予想していたから防げた、と言っているのだ。
しかし彼は僕を見ていなかった。僕が実際に剣を繰り出すところを見ずに防ぐことは、そう容易ではない。
賭け事のように、自分が勝つ場所に賭けたという見方はできる。
しかし命がかかっているのだ。もっと別の、安全な形を選ぶことの方が普通だ。
それなのにグレイルは惜しげも無く賭けを決行し、危うく僕はそれで返り討ちにあうところだった。
剣聖が単に技量の優れたものに与えられる称号ではないと、理解するよりなかった。
剣聖とは勝ったもの、勝つためにはなにもかもを犠牲にできるものに与えられる称号かもしれない。
僕が内心の戦慄を押し隠している間に、グレイルは一歩、二歩とこちらに歩を進めている。
「お前がやっぱり一番厄介だな。最初にあの世に行ってもらうぜ」
「片腕でか」
僕が思わずそう指摘したのは、ある部分ではグレイルの圧力に抵抗するためだった。
その闘気、殺気は僕を圧倒するものがある。気の弱いものなら卒倒するだろう。
場を制圧するような気迫の持ち主は、自分の血にまみれた左腕を掲げて、不敵に笑って見せた。
「気にするな。すぐに治る」
その一言で、ここに至るおおよその理由は見当がついた。
グレイルはおそらく、かなり死ににくい。どういう処置の結果か知らないが、一般的な致命傷も彼にとってはそうではないのだろう。
腹部を二本の剣で刺し貫かれても、致命傷ではないのだ。現にこうして、ピンピンしている。ついでに僕が見ている前で、左腕の傷は少しずつではあるが小さくなっていく。完治するのも時間の問題だ。
剣聖の地位を得る戦闘技術と、圧倒的な治癒力が組み合わさるのは、対峙するものにとっては悪夢だった。
「あまり青い顔をするなよ」
グレイルが剣を構え、ぐっと腰を下ろす。
「俺からすりゃあ、あんたの左腕の方が異常だぜ」
ま、とグレイルが笑みを深くする。
「異常な存在同士、楽しくやろうや」
グレイルの姿がかき消え、同時に僕の左腕がひとりでに跳ね上がる。
流れていた黒い血が一瞬で形状を変え、剣のそれとなる。
そして側面に踏み込んでいたグレイルの斬撃を、全く余裕を持って受け止めていた。
(続く)
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