第31話
◆
とりあえずはグレイルを追うか、それともこちらも態勢を立て直すか、選ぶことができた。
グレイルは亡霊を狩るだけではなく、巨木まで辿り着いた以上、目的がやっと僕たちにも見えてきた。
グレイルは剣聖としてこの山に挑戦したとはわかっていたが、それは曖昧とした目的ではなく、確固とした決着の形が彼の中にあったのだ。
それは、山の神を倒す、ということ。
はからずも、僕はグレイルより一足早く山の神と約束を交わし、グレイルを撃退したことになる。
もし僕より先にグレイルが山の神と接触したらどうなったか、それは想像もつかないが、あるいはこの山の様相が全て変わったかもしれない。
今、グレイルが倒すべき相手は、二つになっている。
一つは最初の目的である、山の神。
もう一つは、僕だ。グレイルを撃退した存在。
剣聖はその性質上、おそらく、強敵をそのままに放ってはおかない。もちろん即座に倒そうとするとも限らないが、しかし自分との勝負を痛み分けにするような相手を、放っておけるわけがない。
剣聖とは、強者に与えられる称号であり、強さを証明し続けることが求められるのだ。
グレイルのことを詳細に知っているわけではないが、あの気性では、僕を無視することはできないのではないか。
僕たちがグレイルを迎え撃つことになるのは、避けられない。
では、どこでグレイルを迎え撃つか。
巨木、山の神から離れるか、それとも今いる巨木の前で迎え撃つか。
巨木から離れてしまうと、仮にグレイルが山の神を優先した時、こちらは出遅れてしまう。
それなら巨木の前で戦うしかないが、感覚的な抵抗感がある。巨木に近い、ということが落ち着かない。僕やトナリたちが突破されてしまえば、グレイルは巨木のうろにそのまま入ってしまうだろう。
もし山の神に超常の力があるのなら、そもそも巨木にたどり着く前にグレイルをどこかへ彷徨わせるようなことができるかもしれない。霧の立ち込めた迷宮のようなもので。
もっとも、グレイルはそれを突破し、一度、巨木に辿り着いている。そんな前例があるとはいえ、山の神も学習するだろう。
ただ、確証は持てない。一度、グレイルは自力で巨木に辿り着いている。二度目がないという発想は楽観だろうか。
楽観を排除するとなると、僕たちは巨木のそばにいるしかない、か。
そんなことを僕は考えながら、ぐるぐると無数に立つ古い剣の間を歩いていた。
トナリやツリナ、スラバは三人で何かやり取りしている。彼らの思念が距離もあるせいだろう、かすかに聞こえているが、僕が一人で考えているのと同じようなことを議論している。
「スラバさん」
僕は足を止めて、声をかけた。ビクッとスラバが顔を上げ、恐縮したような様子で僕の前まで来ると、片膝をついて、はっ! と強い思念を向けてくる。
「そんなに恐縮する必要はありません。スラバさん、あなたには、斥候のようなことをやってもらいたいのです」
(斥候でございますか、ハヴェル様)
「そう、この山の中、どこかにいるグレイルを追跡してください。彼は怪我を負っていますから、血の滴でも落ちているでしょう。それを追って、探りを入れて欲しいんです」
(いや、しかし、拙者はそのような器用なことは……)
「他に任せられる人がいません。スラバさん、お願いします」
いや、拙者には、とまだスラバは躱そうといていたようだけど、僕はじっと彼を見据えて、結果、彼は折れて立ち上がった。そして一礼すると、承りました、とはっきりと思念を発した。
(主命、全身全霊を持ってやり遂げてみせます。では、行って参ります)
スラバはそのまま律儀に、小走りにその場を離れていった。
彼を見送ってから、僕は剣の間を抜けて、トナリとツリナの前に進み出た。どういうわけか、トナリが先ほどのスラバのように膝をつき、ツリナもそれに倣って膝をついた。
僕はそれを止めようとして、しかし、そんな気持ちにはなれなかった。
何か、僕の中にある感覚が百八十度、切り替わったようだった。
「トナリ、ツリナ、ここでグレイルを待つことになる」
(承りました、伯爵)
トナリが即答する。ツリナはまだ困惑して、かしこまるトナリを見て、次に僕を見ている。僕は笑みを返した。
「ツリナには厳しい展開になるかもしれない。すまないけど、命を僕に預けておくれ」
(は、はい、ハヴェル様。私のことなど、その、お気遣いなく)
「期待しているよ」
僕は頷き返して、彼らの前を離れ、巨木のそばに転がっている岩に腰を下ろした。
トナリが立ち上がり、まっすぐな姿勢で霧に霞む木立の向こうを見た。ツリナはその横で、時折、僕の方を気にしながら、やはり周囲に注意を向けていた。
このまま、一日でも、二日でも、待つしかない。
グレイルは負傷しているから、もっと時間を置くかもしれない。しかし剣聖の称号にふさわしいあの身体能力と身体機能を加味すれば、常人が動けなくなるような怪我でも、容易に克服する可能性はある。
僕は一度、目を閉じた。
グレイルを切るべきか、それとも、切らずに済ませる方法があるのか。
その思考が脳裏によぎった時、僕の中にある、僕ではない何かが言葉を返した。
殺すしかない。
殺すのだ。
殺せ。
殺してしまえ。
僕はじっと目を閉じたまま、自分の中の言葉に集中した。
愚かな人間に生きる価値などあるか。
この山に住まう全てのものを、無為にするつもりか。
我々を。
我々?
僕は瞼を上げた。そうするだけで、僕の心に忍び込んでいた何かは去っていた。
座ったまま、僕は地面に突き立ったままの、すぐには数え切れない剣たちを見た。
その剣にそれぞれに宿る思念さえもが、この山の一部か。
山の神が統治する、この異郷の基盤。
一つ一つの人間の思いが積み重なった結果、神が生まれたのか。
あるいは、神を求める剣士たちの思念が、神をこの山に降ろしたのか。
「剣聖をも、飲み込むか」
思わず声が漏れていた。ツリナがハッとしたようにこちらを見た。一瞬だけど、何か恐ろしいものを見たような表情に変わったのが、僕にははっきり見えた。その顔も、元見ていた方向へすぐに向け直されて見えなくなった。
僕はもう一度、目を閉じた。
自分の中の何かと対話する時間は、まだありそうだ。
そして、その何かを説得すること、逆に飲み込まれそうになるのを防ぐことには、苦労しそうだった。
それでも僕は、目を閉じた。
(続く)
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