第30話

      ◆



 夢の中で見た光景は、実に奇妙なものだった。

 長く伸ばした髪を思い思いに結んだ、いかにも古の時代の男たちが、粗末な剣を取って斬り合っているのだ。全部で二十人はいただろうが、最後の一人になるまで戦いが続くのを僕は知っている。

 最後の一人になった時、その男もボロボロで、立っているのが精一杯という有様だった。

 その男の握っている剣に見覚えがある気がしたけれど、それが思い出せない。

 男はよりよろと頼りない足取りで、決闘、というより殺し合いの現場の脇にある祠の前まで行くと、地面に剣を突き立て、跪き、何かを祈り始めた。

 何を言っているか、聞こえない。

 しかし、神に、超常の存在に何かを祈っているのはわかる。

 僕はそれを俯瞰しているわけだけど、ふと、すぐ横に誰かがいるような気がして、そちらを振り返った。いない。誰もいない。でも、すぐそばに誰かがいる。

 僕は僕自身の姿を見ようとして、手を挙げてみた。

 右手は見えず。

 左手は。

 赤く染まっていた。

 左手は、血液に置き換わっていた。

 悲鳴が漏れた。

 その悲鳴で全てが破綻したかのように、僕は夢から覚めた。

「うわあああ!」

 跳ね起きようとして、左腕が変な風に曲がったがために僕は頬から地面に墜落していた。

(おい、ハヴェル、落ち着け)

 頭の中に響いているのはトナリの思念だった。

 それだけで少し、冷静になれた。トナリが落ち着けと言っている。なら落ち着いていい状態なのだ。

 例えば、今はもう戦闘は終わっているということだ。

 危険はない。慌てる必要もない。

 一度、うつ伏せになってから、右腕だけを使って僕は起き上がった。

 なるほど、上体を起こしてみると、周囲に見えるのは霧に煙る木立と、例の巨木とそのうろ、そして地面に突き立つ無数の剣と、トナリ、ツリナ、スラバだけだった。

 グレイルはいない。それだけでも心底からほっとするものがある。

「なんとかなった、ということか、な」

 変に痛む喉から軋むような声を漏らしつつ、僕はすぐ隣にいるトナリを見た。

(何があったか、まったくわからんが)

 そう前置きして、トナリは思念を漏らす。

(神の助力は得られたわけだ。圧倒的な力だった)

「自分でも信じられないよ、自分の腕が……」

 そこまで言って、僕は左腕を持ち上げた。

 そこに腕は付いていた。着物の袖は切り飛ばされているので、肩から指先まで、露わになっている。

 腕は付いている。肘があり、手首があり、手があり、指も五本ある。

 しかしその全てが、漆黒だった。肉のように思えるが、まるで肉には見えない。影がなく、のっぺりとしている。

 とってつけたような、人間のそれにそっくりでありながら、人間のそれでは絶対にない腕。

 トナリがため息をつくようなそぶりをする。

(無茶をするだろうと思っていたが、やりすぎじゃないか)

 かもね、と答えながら、僕はまだなかなか自分の思ったように動かない左腕に集中していた。

 気を失う前、山の神が何か、僕の口を借りて言ったはずだ。何といったか、なかなか思い出せない。

 腕を召し上げる、と言っていただろうか。

 左腕を自らの体とする、そう言っていやしなかったか。

 なら、この左腕は僕の体の一部ではなく、神そのものということか。

 人間の体に神が接合されているのはいかにも不自然だが、しかし、他の解釈は難しい。

 僕は僕のままだけど、僕の中に神の一部があるということになる。

 その代償が本当に腕一本で済んだのかは、はっきりしない。声をかけようにも、どこに声をかければいいのだろう。

(ま、お前が無事ならいいんだ)

 トナリはそう言うと、やっと安堵の表情を見せた。すぐそばにはツリナとスラギが膝を折っている。二人もそれぞれに、僕の生還を歓迎していると見える。ツリナが泣きそうな顔をしているのは、ちょっと過剰だけど。スラギも泣きそうなのは、やっぱりよくわからない。

 ともかくだいぶ心配をかけて、僕は勝手すぎる行動をとったようだ。

「ごめん、やりすぎたかも」

(生きてりゃいいさ。それより、お前もすごい力を使ったな)

 言いながら、トナリが周囲を見回す。

(ここにある剣は山に眠る剣の大半が、ここに集まったようなものだろう。山の神、剣の神っていうのは本当に神なんだな。魔術師などとはまるで違う)

(いやはや)スラギも感心している。(剣がまるで意思があるようにここへ飛んできた時は、目を疑いました。拙者にも、魔術師の技というより、神の御業に思えましたな)

 僕はやっと立ち上がり、なんとなく剣の間をゆっくりと歩いた。トナリたちは離れたところでこちらを伺っている。

 僕は一振り一振り、剣を見ていくうちに、意識を刺激するものがあるのに気づいた。

 つ、と剣の一振りに触れてみる。

 頭の中に、見知らぬ誰かの姿が浮かび、そして消える、

 次の一振り。やはり別の誰かが思い浮かび、消えていく。

(どうかなさいましたか)

 スラギが声をかけてくる。トナリとツリナは無言だった。

 僕は三人を見て、そしてもう一度、周囲の剣の群れを眺め、答えた。

「剣には、使っていた剣士の意識が残っているみたいだ。ここにある剣は、ただの剣というだけじゃなくて剣士でもある。きっと、そういうものだろう」

 どういうことでしょう? とスラギが首を傾げるのに、トナリが答えた。

(剣と剣士は一心同体ということだろうよ。剣士の肉体は滅んでも、剣に染み込んだその剣士の技や生き様は残る、というかね。荒唐無稽だが、俺にはわからなくもないよ)

 そんなことが、とスラギは素直に驚いているが、僕も自分で言い出しておきながら、トナリの言う通り、荒唐無稽に思える。実際に体感したから信じることができるが、他人がそんなことを言ったら、ちょっと考えただろう。

 トナリはかなり純粋な剣士で、長い時間をこの山で過ごしている。だから、独自の世界観を持っているところがある。それは剣士として純度が高い、と言えるかもしれない。そこには僕にはない感性が確かにある。

「山の神は、やっぱり剣の神なんだ」

 誰にともなく僕はそう言って、一度、目を閉じた。

 見えなくなったことで、自分の周囲をぐるりと剣士、武芸者が取り囲んでいるような気がする。

 彼らは僕に尽くしているわけでも、僕に隷属しているわけでもない。

 全ては山の神の眷属なのだ。

 僕は自身のうちに神を取り込んだが、神になったわけでもなければ、むしろ人間ではなくなった、と言えるだろう。

 決着はついていない。

 僕は僕の体の中で、神と戦うことになる。



(続く)

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