第26話
◆
濃霧を押しのけて進むような有様になった後、見覚えのある光景が見えてきた。
巨大すぎるほどに巨大な樹木がそびえ、そこにうろが口を開けている。
(さて)
足を止めたトナリが振り返り、僕たちを見回す。
(山の神の元へはこうしてきてみたわけだが、妙案はあるかな)
僕とツリナは視線を交わし、お互いに何もひらめきがないのを確認した。スラギに至っては、ありませぬ、と明言した。トナリが嘆くように首を振るが、彼自身も何も思いつかないらしい。
(このまま入って行って、直談判したところで意味があるかは微妙だな。何か、山の神の興味を引かないといけない)
トナリの話に、僕とツリナ、スラギはただ頷くしかなく、トナリが、少しは考えてくれよ、と苦笑いした。
(剣聖を倒したら、ハヴェル殿に降る、という約束を取り付けるのはいかがでござろう)
スラギの発言に、藪をつついて蛇を出すようなものだ、とトナリが応じる。
(そりゃ、山の神からすれば不愉快な存在を倒せるからいいようなものだが、仮に剣聖に敗北すれば、生き残ったとしても今度は山の神に殺されかねん。もっと安全な方策を取りたい)
(しかしこれは、戦のようなものだと拙者は思いますが。死ぬことを考えていては、戦はできませぬ)
(生き残ることが最も重要だ。確かにスラギが言う通り、戦で死を恐れていては戦えない。しかし逆に、生きることを考えないで戦うのは、悲惨だろう)
そうではあるが、とスラギは唸るように口にしたが、それ以上の反論はしなかった。
(山の神にお出まし願うのはできないのですか)
ツリナの言葉に、出てきたところで、とトナリは眉をしかめる。
(出てきてもらうのは、なるほど、俺たちの手間は省ける。神なのだから、剣聖が相手であろうといかように戦えるはずだ。だが二つの点で難しい。一つは、俺が知る限り、神はこの祠から出てこない。もう一つは、仮に祠から出したとして、それを制御できるかわからない)
(一つ目をまず考えましょう)
ツリナが言葉にしていく。
(神は本当にこの祠から出てこないのですか?)
(俺が知る限りは、だ。大昔は出入りしたのかもしれないが。祠の中に封じられ、この山を治めていると、そういうことだ。アルコ殿から聞いた話だがな。年齢がバレるから言いたくはないが、俺が五十年ほどをこの山で過ごして、神をこの目で見たことはない)
(神は目で見えないのではないですか?)
面白い意見だ、とトナリが笑う。
(人間の目で見えず、俺たち霊魂の目でも見えない、か。どちらせよ、仮に神が自由に力を発揮できるなら、剣聖とやらがやってきて大暴れしているところを、不意打ちでも騙し打ちでも、一撃すればそれで済んでいる。状況からして、神は自由を奪われている)
(それがトナリ様のいう、神の制御の問題につながるのですね? 自由を奪う以上、自由を奪う必要があり、理由があると)
(まあな。ただでさえこの山は異質だ。入ったものが出ることができず、みな、肉体を失って霊魂となる。非常識だし、魔術師ですらこんな異常なことをしたりはしない。この山の神は祟り神とされているが、まさに祟り神だな)
トナリとツリナのやり取りを、僕は聞いているしかできない。
(神を鎮める、神を調伏することがハヴェルの最終的な目的だとしても、現状はその前に破滅を呼び込みそうな様相になっている。おそらくだが、山の神は一時的にハヴェルを自由にしている。何が気に入ったかは知らないが、肉体を奪うことなく、この山の中に閉じ込めてはいるが、自由なんだ。それが山の神に気に入られたとか、存在を黙認されているとか、どうでもいいと思われているとか、解釈は色々とあるが、ただ、現状は間違いなく、ハヴェルに対する山の神の印象を変えるだろう)
(ハヴェル様が、この地を治める人間、クーンズ伯爵だからですか?)
(そうだ。ハヴェルはクーンズ伯爵であるからこれまで見過ごされたが、今はクーンズ伯爵であるから行動を求められる。さて、いったい、何が正解なんだろうな)
トナリが黙り、ツリナも黙った。スラギはずっと黙っている。知的労働は苦手、という態度だ。
僕は僕で、じっと口を閉じて考えていたが、思いつくことはない。
剣聖を倒せればいいのだろうが、果たしてそれが正解か。そもそも、どうやって剣聖を倒せるかはわからない。トナリやツリナ、スラギが存在の消滅をかけて戦えば倒せるかもしれないが、それは憚られた。
僕のために、誰かが危険にさらされるのは違う。しかもその時、僕は何もせずに見ているだけなのだ。
(剣聖を切りましょうぞ)
不意にスラギが思念を発し、全員が彼を見た。スラギは堂々としている。
(何が何でも切る、と思えば、切れましょう。それでこの件は落着、神も安堵することかと)
(いきなり片腕を飛ばされた奴がそういうことを言うなよ)
トナリが笑い混じりにそう返すと、スラギはますます胸を張った。
(ハヴェル殿のために捧げたと思えば、拙者の腕の一本や二本、惜しくはありませぬ)
おいおい、とトナリが苦笑した時、しかし僕は、全く別のことに気づいていた。
何気ないスラバの言葉。
僕に腕を捧げた、そう彼は言った。
なら、僕が神に何かを捧げれば、どうなる?
トナリとツリナ、スラバが何か思念を交換しているが、それはもう僕の頭に入ってこなかった。
この山で人間が肉体を失っているのは、神に奪われているからだが、そもそもは違うのではないか。ツリナのように、神に捧げられていたのだ。供犠として。
供犠を捧げた時、山の神は何かを対価として人間に与えたのではないか。雨なのか、日差しなのか、疫病に対する何かなのかは知らないが、そういう交換があった、あるいはあると信じて、人間は神に供犠を捧げた。
では、今、神に供犠を捧げることで、剣聖を倒すことは可能だろうか。
そこまで都合よくいくかは知らないが、神を動かすことはできるかもしれない。
この山で今、供犠になりそうな人間は、限られる。
僕が知る限り、二人だ。
一人は剣聖グレイル。
もう一人は、他でもない、僕だった。
クーンズ伯爵自身が供犠になるなど、間違っているだろうか。
でも他に選択肢はない。
(何を黙っている、ハヴェル?)
トナリが声をかけてきた。
「あ、ああ、その……」
おお、とスラギが感動したような声を漏らした。
(ハヴェル殿は妙案があるのですな? さすがは伯爵ともあろうお方、ぜひ、その妙案をお聞かせください!)
黙ってな、とトナリがハヴェルの脇腹を膝で打ちつつ、僕の方をまっすぐに見る。
(その様子だと何かに気づいたが、口にはできない、というところか。良いぜ、言ってみろよ)
僕は少し躊躇って、しかし他にできることもなく、選べる可能性もないことを理解して、発言した。
「僕自身が供犠となって、神の助力を請う」
トナリが目を細め、ツリナとスラギは目を見開いている。
僕は、意を決した。
「他に方法はない。違う?」
(続く)
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