第25話

      ◆


 足早に山の斜面を進みながら、トナリの背中が切り出してくる。

(とにかく、あの剣術バカ、というか、暴力至上主義者をやり込める必要がある。俺でも必死にやればできるかもしれんが、勝利できるという確信は持てない。剣聖を名乗っていたが、あれは事実だろう)

 僕の横を行くツリナが恐る恐るといったように言葉にする。

(剣聖ともあろう方が、この山へ来るでしょうか。入れば出られないとされている山に?)

(実際に来たんだ。今更、あの男の正体を疑っても仕方あるまいよ)

(放っておけないんですか。山の神が許さないはずです。生きている人間は、この山にいないんですから)

(その山の神を、剣聖が許さない、という可能性がある)

 どういう意味ですか、とツリナが首を傾げるのに対し、トナリは歩を先へ進めながらはっきりと応じた。

(あの剣聖は、山の神を切るつもりかもしれない)

 まさか、とツリナの思念が漏れるが、いかにも力が入っていなかった。

 トナリはまったく普段通りだった。

(剣聖ともなれば、人間を相手にするのも馬鹿らしいんだろうよ。この山へ来たのだって、知っていてきたんだ。入ったら出られない、というのなら、入って出てきてやろう、と考える。山の神の伝説があるのなら、その伝説のはなを明かしてやろう、と考える。そういう生き物なんだろうな)

(そんなバカな)

(さっきまでの光景を見れば、あの男が馬鹿なのは歴然としている。俺たちはその馬鹿の無謀を止めなくちゃならん)

 言葉の調子こそいつも通りだが、トナリはトナリで腹を立てているようだ。自分たちの領域を自由勝手に荒らしまわっているよそ者に怒っているのか、それとも自分がグレイルを切れなかったことに怒っているのか、その辺りは僕にはよくわからない。

(ハヴェル、山の神に恩を売ってやれ)

 トナリはそう思念を飛ばしてから、ちらりとこちらを振り向いた。

(お前に頼むしかないのは、忸怩たるものがあるがな)

 代わりに自分ができればいいのに、というトナリの感情は、やや深刻に思える。

 僕がどうとも答えられずにいるところで、不意にトナリが足を止めた。

「トナリ?」

(こいつは珍しい)

 そう言ってトナリが横へ下がると、こちらへ足早に進んでくる亡霊が見える。

 その亡霊は、よく見るとアルコだった。

 先のクーンズ伯爵が今、珍しく慌てていた。

(ハヴェル! これはどういうことか!)

 思念が強烈に頭に響いたので、思わず耳元に手をやってしまった。そんな僕に構わず、アルコはほとんど飛びつかんばかりに間合いを詰めてきた。

(山が震えている。山の神がお怒りなのだ。何があった。ここで何をしている)

「えっと……」

 どう説明するべきか、かなり悩ましい。一から説明すると、長くなりそうだ。アルコはとても長い話を落ち着いて聞くような姿勢じゃない。

(剣聖が乗り込んできましてね、アルコ殿)

 僕の代わりにトナリが応じた。

(対魔術武装でこの山の亡霊を片っ端から切り捨てています。まぁ、すぐに全滅はしないでしょうが、数は減るでしょう。だいぶ、静かになるはずですよ)

 火花が散りそうな強い視線が、アルコからトナリへ飛んだ。

(剣聖だと? 馬鹿な! 剣聖がこんなところへ来るか)

(実際は不明ですが、そう名乗っていて、俺が見る限り、剣聖にふさわしい実力でしたよ。少なくとも、俺は刺し違える覚悟でないと切れそうもない)

 う、とアルコが狼狽えたようだった。

(本当か、トナリ)

(嘘を言ってどうします。事実ですよ。俺たちはこれから、山の神の元へ行こうと思っています)

 え、と思わず僕の口から声が漏れたが、アルコは僕を一瞥しただけで、すぐにトナリの方を向いた。

(山の神に触れるべきではない。今はまずい。何が起こるか……)

(しかし他に何もできないでしょうよ。今、一番頼りになるのはハヴェルです。クーンズ伯爵がこの山の領主であり、クーンズ伯爵だけが山の神と対等のはずです)

(あの祟り神に触れれば、人など生きていけぬ!)

(では他に、方法がありますか? アルコ殿)

 言葉に詰まったアルコが僕の方を向き、激しく睨めつけてきた。

(ハヴェル。覚悟はあるのか)

「い、い、いえ……」

 気に飲まれて咄嗟に答えられない僕に、アルコは微かに息を吐いたようだった。

 それだけのことでも、僕の気持ちは挫けそうだ。

 アルコには悪気はないだろうし、彼は彼で余裕がないのはわかる。ただ、僕だってそうだ。先の展開も読めず、どうするのが正解なのかもわからない。

 逃げられるものなら、逃げてしまいたい。

 でも僕がクーンズ伯爵だった。望んで立った立場ではないにしても、僕がクーンズ伯爵なのだ。

(すまぬが、ハヴェル)

 アルコが知らずに俯いている僕に呼びかけてくる。

(山の神の眷属でないものは、今、お前しかいないのだ。重荷であることは承知しているが、背負ってもらわねばならぬ)

「はい……」

 アルコ殿、と不意に隣が声をかけたので、僕も顔を上げ、アルコがトナリの方に向き直るのを見た。

 そして目と鼻の先で、トナリの拳がアルコの頬を殴りつけていた。

 もし二人が幽霊でなければ、激しい音が響いただろう。

 アルコは地面に倒れ込み、愕然とした顔でトナリを見上げた。トナリはトナリで、アルコを見下ろしている。

(な、何を……)

 驚きのままのアルコの思念に、トナリは取り合わなかった。

 ただじっと見下ろし、それだけだった。

 彼が顔を上げた時、まるでそこにアルコなどいないかのように、トナリは身を翻した。

(行くぞ、ハヴェル。時間はない)

 そっけない、残酷なほどそっけないトナリの背中がこうしている間にも離れていく、僕はまだ立ち上がれずにいるアルコに頭を下げ、トナリの後を追った。ツリナ、スラギもついてくる。

(熱くなっちまったな)

 しばらく進むうちにトナリの思念が僕に届いた。

(俺もまだまだ、修行が足りん。これが片付いたら、一度、自分を見つめ直すとしよう)

 僕は何も言えなかったけど、ツリナは笑いをこらえきれずに漏らしているし、スラギは、修行は拙者も一緒にお願い致す、などと言っている。

 トナリは僕のために怒ってくれたのだと、気づけないわけがない。

 そのトナリのためにも、僕は行動を起こさないといけないのだと思い知った。

 あの怒りは、トナリの僕への評価そのものなのだから。

 木立の中は進めば進むほど、いつの間にか霧が立ち込め、見通しが悪い。その上、徐々に霧が濃くなっていくのが見て取れた。

 奇妙な静けさが周囲を包み始め、まるでひとりきりでいるみたいだ。

 でも今は少しだけ、落ち着いていられる。

 トナリがいて、ツリナがいて、スラギがいるからだ。

 僕は今、一人ではなかった。

 そしてきっと、これからも。



(続く)

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