第24話
◆
やるじゃねぇか、と男が手首をほぐすような動きをした。
トナリはトナリで、少し笑みを見せながら、しかし余裕はない。
「そりゃ幽霊だからな。消えるの出るのは、自由自在か。勉強になったよ」
(剣を過信しすぎたんじゃないか?)
「それもあるわな。便利な武器は、常に慢心を生む、っつうことだ。どこかの爺さんが口にしそうな、箴言じみた表現でヘドが出る」
(老人の言葉は正直に聞くものだ)
トナリが一歩、二歩と男に近づいていく。
男は腰の剣を抜く、と見えたが、しかし、鞘ごと腰から外して地面に放った。これにはさすがに警戒したか、トナリも足を止める。それを嬉しそうに男がからかった。
「おいおい、俺が武器を捨てたからって、降参とは思うなよ」
(降参するようなしおらしい性格には見えないからな、警戒するさ)
「かかってこいよ。いつでもいいぜ?」
トナリは動かなかった。動かずに、剣を構えたまま問いかけた。
(名を聞いておこう。ま、あんたが亡霊となってこの山を彷徨っている時に声をかける時に、名前を知らないと困るからだがな)
名前か、と男はやはり愉快で堪らないという顔つきで、応じた。
「グレイル、というのが俺の名だ」
グレイル?
そう思念を漏らしたのは、ちょうど僕とトナリの間あたりで機を見ていたスラギだ。続くスラギの思念はどこかで震えていた。
(あんた、まさか、剣聖か? 菫の剣聖?)
剣聖、という言葉に、僕もツリナも、トナリでさえも沈黙した。
統一王国における在野の剣士で、最高峰の称号が剣聖位とされている。その座は七つあり、それぞれに花の名前が冠される。
剣聖位の最大の特徴は、誰かに譲ることが許されない、とされていることだ。剣聖位を得る手段は一つ、現在の剣聖を倒すことでのみ、それのみで得ることができる。剣聖は死ぬまで剣聖であり、剣聖を殺したものが次の剣聖となる。
その剣聖の一人が、この男、グレイル?
僕も七剣聖のことは知っているけど、一人一人を知っているわけでもないし、そもそも七人の名前を諳んじてもいない。剣聖とはその個人名などほとんど意味を持たない称号でもある。
(剣聖ね)
トナリの思念が沈黙した場に流れる。
(俺の時代にも七人ほどいたが、その後継者ということか。くだらない仕組みだと思っていたが、今でも健在らしい)
「実力主義っていうのは、楽しいもんだぜ」
グレイルが平然と答える。
「少なくとも、亡霊になるよりは、充実しているだろうがな」
(そのへらず口も、この山で霊魂だけになれば閉じるしかないだろうよ。いずれ亡霊になるか、今、俺がお前を倒して亡霊にするか、選べるが、どちらがいい?)
「俺を切ってから、もう一度、聞いてくれよ」
良いだろう、というトナリの思念は行動と同時だった。
幽霊が一瞬で肉薄し、剣を振る。
グレイルは武器を持っていない。防ぐ動作も見えなかった。
だから、グレイルの首が飛ぶ光景は、現実のように思えた。
それが幻、空想に過ぎないと気付いた時には、トナリがよろめいていた。
「幽霊を殴るっていうのは、初めてだぜ!」
グレイルは、信じられない運動速度でトナリの懐に飛び込み、逆に先制攻撃していた。
それも剣ではなく、拳で。
何の変哲もない拳だ。
一発二発と拳を受けたトナリが剣を合わせていくが、刃を受けたグレイルの肌は、切れない。まるで鋼鉄でできているように、トナリの霊体の一部である刃を受け止めている。
これにはトナリも驚いたようだが、動きに停滞はない。
どういう処置を施してあるのか、グレイルの身体機能はもはや人間のそれではない。例えば、心肺機能の限界があるはずなのに、幽霊であるトナリの無制限の連続運動に平然とついてくる。
僕がハラハラする前で、ついに二人の間で何かが爆ぜ、それに押されちゃおうに両者が同時に距離をとった。
「いいねぇ!」
グレイルが頬に走る一筋の浅い傷から流れる血を手の甲で拭う。
一方のトナリは無言で剣を払い、構えを取り直した。
(異常者め。人間ではないな)
「子どもの頃から、そう言われて育ったよ。昔は剣なんてなかったからな、拳と体が全てさ! 今でも剣より拳の方が都合がいい!」
いっそう、覇気を発散しているグレイルの前から、一歩、二歩とトナリが下がると、その姿がかき消えた。次には、トナリは僕のすぐそばに現れている。グレイルがこちらを見上げ、怒鳴った。本気で怒っている、正真正銘の怒声だった。
「テメェ! 逃げるのか! 最後まで戦え!」
(拳で俺は倒せんよ。精々、そこらの亡霊でも殴るなる切るなり、好きにしていな)
トナリはそんな返答を返し、スラギに、戻ってこいと手招きをした。
その時にはトナリとグレイルが戦っている間には姿を見せなかった、名もなき無数の亡霊が周囲に湧くように現れ、グレイルを包囲していた。グレイルはグレイルでトナリへの怒りぶつけるように、拳を振り回しながら、地面に落ちている例の対魔術武装の剣を回収しようとし始めた。
(少しは時間が稼げるが、手を打つ必要がある)
トナリが僕を促して、斜面を上へ上がり始める。すでにスラギは戻っていた。片腕はやはり修復できないらしい。
「と、トナリ、彼を放っておいていいのかな……」
(剣聖だろうが、この山の神の力の影響からは逃れられないはずだ。ただあの体は普通じゃない。俺の剣が通らないということは、天性の魔術耐性がかなり強いんだろう。だから、山の神でも少しは手こずるかもな。今は放置するしかない)
歩きながら、僕はトナリに問いかけた。
それはまるで、救いを求めているような口調になっていた。
「放置して、どうなる?」
(亡霊が殺し尽くされることはないだろうが、だいぶ減るだろう。どう転ぶかは不明だが、運が良ければグレイルは勝手に死んで亡霊になる。そうでなければ、俺たちと再戦だ)
僕はうまく言葉を返せなかった。
今、対処できない相手に、後になって対処できるようになる見込みがあるだろうか。
(悩んでいる暇はないぜ、ハヴェル。これからすぐ、考えて、妙案を捻りだなくちゃならん。お前も気づいているだろうが、この山の亡霊っていうのは、もしかしたらお前の力になるかもしれない存在だ。それがたった今も減り続けている。もっとも、これは好機かもしれん)
「え? 好機って……?」
(山の神は、あの男にひどく怒るだろう。自分の眷属を数え切れないほど討ち滅ぼされて、平然としているような神じゃない。あの男をどうにかできれば、山の神はお前を認めるかもしれない。それが調伏とは限らないがな)
そうか、となんとなく言葉にしたけど、実感はなかった。
剣聖に勝てるとも思えないし、一方で、山の神がそこまで下手に出てくることも想像できなかった。
トナリは指摘しないが、事態は実はどんどんと悪化しているのでは?
まずは撤退だ、とトナリはどんどんと先へ進む。
振り返ると、ツリナとスラギが付いてくるそのさらに向こうで、亡霊の群れの中でグレイルが必死の形相で揉み合っていた。
何か声が聞こえるが、今はよく聞こえない。
ただその迫力、威圧感は響いてくる。
僕は前に向き直った。
後ろを振り向きたくなるのを堪えるのには、強い精神力が必要だった。
声と、その気配は、すぐに消えたが、まるで追いかけてくるような感覚があった。
(続く)
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