第22話

      ◆



 スラギはすぐに服を身にまとった。

(いやぁ、失礼致した。まさかいつまでも裸でいるしかないのだろうかと、拙者も不安でたまらなかったのです)

 トナリから亡霊としての外見の加減を聞いたスラギは、そんなことをのほほんと語っていた。肉体を失って亡霊になったのに、服装を気にするものも珍しい気もする。普通、亡霊になってしまったことに驚くというか、絶望するのではないか。

 ま、人それぞれの価値観があるし、精神性もある。スラギはどうやらかなり図太いようだ。

 スラギの裸を見たせいか、ツリナは僕のそばにいるが、不機嫌そうにスラギの方を見ようとしない。

(あなた様こそが山の神と理解し、お召し物がいかにも汚れていたことが気がかりで、脱いだのですな。そしてあなた様を探したのですが、これがなかなか山も広く、目印もなく、迷ってしまいまして。何日が過ぎたかわからぬうちに、気づいたらこのような有様。まったく、弱り目に祟り目ですな)

 そんな説明をするスラギにツリナは不機嫌そうだが、トナリはいかにも上機嫌である。

(良かったな、ハヴェル。やや丈は合わないかもしれないが、新しい着物が手に入ったぞ)

 私が持参したものもあるでしょう、と素早くツリナが口を挟んだが、トナリはくつくつと笑っている。

 僕は改めてスラギに名乗り、自分はクーンズ伯爵で、しかしまだ何も成せていないことを正直に打ち明けた。

 軽蔑されるか、罵倒されるかと思ったが、スラギは実に正直だった。

(拙者、武辺に生きてきましたので、伯爵閣下にとんでもないご無礼をはたらき、申しひらきもできませぬ。拙者のことは煮るなり焼くなり、好きにしてくださいませ)

 亡霊を焼くも煮るもできんだろう、とトナリが笑っているのが救いで、僕は何も言えなかった。ツリナは無言のままだ。彼女はスラギとは馬が合わないかもしれない。

「とにかく、スラギさん。僕があなたにして差し上げられることは、ありません」

(なんの、伯爵様! 拙者は常におそばに控え、お仕えします。何なりと申しつけください)

(スラギくん、きみ、剣術を極めるためにこの山に来たのではないのかい)

 トナリがそう指摘しても、スラギはまったくスラギのままだった。

(このような体になったからには、死ぬこともないでしょうし、それはつまり死んでも稽古が出来る、ということではないかと存じます。なら、伯爵様のそばにいればトナリ殿の薫陶を受けられましょう。どうか、拙者を弟子にしてください)

 参るね、とトナリが頭を掻くような動作をした。

(つい最近、弟子を一人とったんだ。まだまだ教えることが多くあるから、二人の面倒は見れないぜ)

(そこをなんとか、是非とも)

 僕がさりげなく視線を向けると、ツリナが、こんな男は弟子にしないでくれ、と懇願するような表情でトナリを見つめていた。

 あとは剣術を使う三人で勝手に落ち着くだろうと僕は少し身を引いたが、なんとも妙な展開になったものだ。

 一人きりだったはずの僕のそばに、今は三人がいる。みんな人間ではないが、人間と変わらない。

 不思議な感覚だった。

 人間とはなんのか。命とはなんのか。

 思考があり、感情があり、意志があれば、人間も亡霊も関係ないのか。

 長い時間は共有できなくても、たった今、この瞬間だけは間違いなく共有できる。

 ここのところ、あまり感じたことのない穏やかな気持ちが去来していた。

 結局、トナリはスラギをすぐには弟子にせず、様子を見ていろ、亡霊としての自分に慣れる時間も必要だろう、とやり過ごした。ツリナはそれに安堵したようだったが、そのツリナにスラギが、姐様と呼ばせてください、などと言い出し、一層、嫌そうな顔をしていた。

 昔、勉学に励んでいた頃を思い出す。あの頃はいろんな人たちが周りにいた。同じ方向を見ているものもいれば、まったく別の方向を見ているものもいて、しかしあの時だけは同じ教場で、同じ教師の指導を受けていた。

 一部をまったく異にしていながら、一部は深く共有している集団。

 この山での僕も、ある種の集団の一部になるのだろうか。

 僕自身の生死はどうでもいい気もする。肉体があろうがなかろうが、関係ないのだ。

 あれ? もしかしてそれは、人間であろうと、神であろうと関係ない、ということだろうか……。

 もう少し、そのことについて考えたかった。

 まだスラギはツリナに姐様と呼ばせてくれと懇願していて、ツリナは心底から嫌そうに拒否している。トナリはあくびをしていた。

 考えるにはちょうどいいかもしれない。静かすぎず、騒がしすぎず。

 居心地のいい空気だ。

 この山では、初めての感じかもしれない。

 ただ、そんな時間は長く続かなかった。

 木々がざわめいたかと思うと、それは激しい音の連なりに変わり、空気を根底から揺さぶった。

 ツリナもスラギも黙り、ただ、トナリだけが重く息を吐いた。

(どうもここのところ、頻繁にお客さんが来るな。こういうのも千客万来というのかね、クーンズ伯?)

 うんざりしたようなことを言いながら、真っ先に動いたのはトナリだった。僕は立ち上がってそれに続き、ツリナも横に並んでくる。出遅れた形のスラギが追いかけてくる。

(なんですか? 何が起こったんです、拙者にはとんとわからず……)

「森に誰かが入ってきたのですよ」

 僕がそう答えると、ハハァン、とスラギが納得したような思念を発した。

(この山は武芸者の注目の的というもので、入ったものが出てこないというんですな。入って出てきたものがいれば、その武芸者は神の認める武芸者だと、そういう話なのです。拙者もそのうちの一人でして、いや、しかしこうして肉体を失うとは、情けないことだ)

(ああ、そうだ)

 不意に先頭を行くトナリが足を止めて後ろに続く三人を振り返った。

(スラギの残した着物とやらがあるはずだな。それを回収してから、新参者の様子を見に行くとしよう。それくらいの余裕はあるだろうしな)

 誰も反対しなかったのは、僕の着ている着物があまりに酷いせいだろう。

 スラギは場所に案内できる自信はないが、目印は覚えているとのことで、その目印をつぶさに聞いたトナリはすぐに見当がついたようだ。こっちだ、と歩き出した。

(しかし、ハヴェル様)

 横を歩くツリナが静かにささやかな思念を向けてきた。

(こんなに頻繁に山に人が入るものでしょうか)

 わからないな、と僕は答えるしかない。スラギの話にあった通り、武芸者にとっては魅力があるかもしれないし、実際に無数の亡霊が彷徨う光景があることを加味すれば、かなりの人数がこの山に消えているのは間違いない。そしてその数は、まだ増えるだろう。

 僕に与えられた使命が、思い出された。

 山の神を調伏し、亡霊の軍団を手に入れること。

 僕が実際に調伏したのはトナリくらいで、ツリナは自然とそばにいるようになったし、スラギに関しては勝手にここにいるようなものだった。

 まだ何もしていないのに等しい。いつの間にか焦燥感は薄れていたが、考え始めると再燃しそうに思えた。

 しばらく進むと、あったぞ、とトナリの思念が頭に響いた。

 なるほど、岩の上に着物が一揃い、綺麗に畳まれて置いてある。

 しかし、かなり妙な光景だった。それでも着物は間違い無く、肉体がある頃にスラギが着ていたそれだった。一度しか見ていないが、見間違いではない。

(全てが冗談みたいな人ですね)

 ツリナがそんな評価をしたが、ツリナなりの冗談だった、としておこう。

 僕は素早く着替えて、また四人でゾロゾロと移動を始める。

 もう山は静まり返ってる。

 そのはずなのに、何故だろう。

 いつに無く木々が、空気が、ざわついている気がした。



(続く)

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