第20話

       ◆



 トナリは実に的確に僕とツリナを誘導した。

 その男はいやに長身で、細々とした肉体の持ち主だった。意外に立派な着物を着ていて、腰に剣を帯びている。

 見るからに旅の武芸者という感じだ。

 ついでに、ひどく威勢のいい男だった。

「山の神よ! おいでください! 拙者に剣の修行をつけて下されたい! お出ましください!」

 草むらの陰で身動きができない僕の横で、トナリが腹を抱えて笑っている。

(あんな間抜けは珍しい。まずは山に分け入って、山の神を探すもんだ。神の方から出てこいなどという姿勢の持ち主は、珍しい)

「笑い事じゃないよ」

(笑い事さ。昔の自分を見ているようで可笑しいったらない。さすがに俺も最初から神を呼びつけようとはしなかったがね)

 ツリナは無言で、じっと武芸者の方を見ている。

「どうすればいいと思う?」

 ツリナに聞いてみたのは、トナリの返答が分かりきっていたからだ。トナリだったら、ちょっとからかってやれ、ということを言うだろう。いざとなったら俺が相手をするよ、と。

 問いを向けられたツリナは、すぐには答えなかった。

(あの、放っておくしかないかと思います。できることは、ありません)

 そうだよね、と答えながら、僕は少しだけ身じろぎした。

 それが失敗だった。

 たまたま踏んづけていた木の枯れ枝が、音をたてて折れた。

 些細な音だったが、音は音だし、木立の中は武芸者の声以外、何も音がしないような状況だった。

 聞こえないわけがない。

 バッと武芸者がこちらを振り向き、腰の剣の柄に手を置いて、いつでも抜ける姿勢を作った。

 まずい、と思った時には遅い。

「何者か! 姿を見せい!」

 大仰だなぁ、とトナリが僕の横で笑いをこらえながら思念を漏らしている。状況はそれどころじゃない。

「どうしよう、トナリ」

 囁く僕にトナリが平然と返してくる。

(顔を見せて、挨拶でもしろよ)

「冗談じゃなくてさ、どうしたらいい?」

(なるようになる。ここから逃げ出すか、姿を見せるか、まずはそれを決めろよ)

 逃げるか、逃げないか?

 僕は……。

 答えはすぐに出た。

 立ち上がり、僕は草むらから姿を見せて、ゆっくりと進み出た。

 武芸者は驚いた顔をしたのも一瞬のこと、すぐに警戒をあらわにし、僕を正面に置くように姿勢を加減した。

「何者か。もしや、山の神か!」

「いいえ」

 答えておきながら、その続きが出ない。クーンズ伯爵である、と名乗ることもできただろうが、今の僕は汚れきった服を着ていて、とてもではないが伯爵には見えない。

 かといって武芸者を名乗るわけにもいかない。

「僕は」

 武芸者はいつでも剣を抜ける姿勢だ。

 覚悟を決めるしかない。

「この山を治めるものです。あなたは、その、もう山を降りることはできません」

「何を馬鹿なことを。そんな迷信などを真に受けるとは、貴様、さては頭がおかしいな。だからそのような姿をしているのか。疾く、去るが良い。拙者が用があるのは山の神だ。貴様ではない」

 どうやら説得は無理なようだ。もっとも説得したところで、あなたの体は二十日後に消滅します、としか言えないのだが。

「覚悟を決められるように」

 僕は言葉にしながら、頭の中で周囲にいる亡霊のことを意識した。

 見えはしない。聞こえもしない。

 しかしそこにいる感覚はある、無数の亡霊。

「この山の実際を、お見せします」

 僕は一度、視線を俯けてから上げ、周囲を一度、ぐるりと人差し指でなぞった。

 おおぅ、と武芸者が唸ったのも無理はない。

 僕と彼の周りには、数十体の亡霊が彷徨い歩いているのだ。さっきまでは見えなかったそれが、今、光を放つ靄のような姿で見て取れる。

「貴様、魔術師か! 拙者を惑わし、破滅させる気か! そうはさせぬぞ!」

 どうやら僕の行為は裏目に出たようで、武芸者が剣を引き抜きざま、切り掛かってきた。

 不思議な人格の持ち主であるが、剣の腕は確かだった。滑るような踏み込みで決して狭くはなかった間合いを渡ると、大上段からの一撃を僕の頭めがけて打ち込んでくる。

「トナリ」

 僕は僕を守護する亡霊を呼んだ。

 武芸者の剣が僕の頭を叩き割る寸前に、横へ弾かれる。

 亡霊のトナリが僕のすぐ横で、武芸者の剣を受け流した。そして霊的存在の剣を振りかぶり、反撃の一撃を繰り出す。

 ぬぅんおぅ! などと不思議な声を発しながら武芸者が跳んで間合いを取り、剣を構え直す。

「亡霊を従えるとは、古の死霊術師か! 不吉な! 山の神のため、拙者が切捨てようぞ!」

(ややこしい奴)

 トナリが剣を構え直し、間髪入れずに間合いを消しに行く。

 僕の目から見ても最適化されているトナリの剣術は、武芸者のそれを上回っていた。武芸者は剣を合わせながら後退していくが、足運びは乱れている。

 ただ武芸者には武芸者なりの覚悟があったらしい。

 トナリの剣に肩口を切られながら間合いをなくし、そのままトナリの横をすり抜けた。

 僕と武芸者の間を遮るものはない。

 武芸者にはそう見えたはずだ。

 トナリに追跡されながら、武芸者は僕だけを見ていた。

 あっという間に肉薄した武芸者の剣が、横薙ぎに風を切って振り抜かれる。

「死ねい!」

「ツリナ」

 僕が名を呼ぶと、ツリナが僕の真横、斬撃との間に割り込むように出現し、立てた剣で武芸者の剣を受け止めた。重い一撃だったはずだが、ツリナは器用に衝撃を逃し、微動だにしなかった。

 武芸者が仕切り直そうとするが、無理だった。ツリナが彼の剣を絡め取ろうとしていた上に、すぐ背後にはトナリが立った。

「ま、待ってくれ! 降参する!」

 トナリが剣を振りかぶったところで、僕は無言で手を挙げてその亡霊の決定的な一撃を停止させた。武芸者は剣を捨て、その剣はツリナが遠くへ弾き飛ばした。

 両手を上げて膝をついた武芸者は、明らかに狼狽えていた。

「申し訳ないのですが」

 僕は武芸者に声をかけながら近づき、膝を折った。ツリナがいつでも動ける姿勢で注意を払い、トナリも武芸者の背後に位置して剣を抜いたままにしている。

「あなたを助けることは、できません」

「は、え、いえ、無礼をお許しください」

「そんなことは些事です。お名前をうかがってもいいでしょうか?」

 武芸者はオロオロとしているようだったが、名乗った。

「スラギと申します。あの、あなた様は、本当に山の神ではないのですか?」

 違います、と僕ははっきりと答えた。

 スラギは少し沈痛な表情に変わり、申し訳ありませんとその場でうずくまった。

 僕は無意識に彼の肩に手を置いていて、そこに確かに肉体があることに、後ろめたいものを感じた。

「どうか、強い心を持って、耐えてください」

 はっ、と武芸者が応じるのに僕は何も言えず、無言で立ち上がった。

 武芸者はまだうずくまっている。

 僕は彼に背中を向け、トナリとツリナを促してその場を離れた。

(意外に気骨のある奴だったな)

 トナリがそんな風に評価している。

(本気になれば負けはせんがね。ツリナはどう感じた)

(いえ、こちらは必死でした。トナリ様には及びません)

(いやいや、意外に筋は悪くない。これから少しばかり、俺が稽古をつけてやろう。ハヴェルに調伏された霊である以上、やはりクーンズ伯爵にふさわしい使い手じゃなくてはな)

 僕は無言で、亡霊二体の思念のやり取りを聞いていた。

 スラギは肉体を失う。

 誰のためだろう。

 自分の意思だっただろうか。

 こんなことは、やめさせるべきだ。

 山の神のことを考えると、恐怖が先に立つ。

 その微動だにしないはずの圧倒的な恐怖は今、かすかにグラついてきたような気がした。

 恐怖は決して、不変ではない。



(続く)

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