第14話
◆
僕にできたことは些細なことで、少し楽な姿勢でツリナを寝かすくらいのことだ。
彼女はしばらく苦しそうにしていたが、そのうちに呼吸は穏やかなものに変わった。
(俺たちはただの亡霊に過ぎないが、お前がいるところでは少し違う)
ツリナの横に腰を下ろしたその僕の隣で、トナリが話し始めた。
(そもそも、クーンズ伯爵とされる人物は、揃って幽霊を見ることができるものが務める。それはクーンズ伯爵の使命である、霊魂からなる兵団を成立させる、という一点において重要な要素だからだ)
いつになく淡々と、トナリは言葉を続ける。
(本来、幽霊とも亡霊とも言ってもいいが、とどのつまり霊魂は現実世界へ影響を及ぼすのが難しい。一部の魔術師なら可能だが、今の俺のような、ぼんやりとした存在、正確には霊素の密度が濃いだけに過ぎない存在は、現実世界に干渉不可能なのが原則だ)
「でもトナリは、現実世界の存在であるツリナを制圧できた」
(その例外を実現させたのが、クーンズ伯爵、つまりハヴェルの素質ということになる。幽霊を見れる、ということをアルコ殿も気にしただろう。見えるということは、認識できるということだ。認識できるなら、触れるかもしれない。少なくとも、そこにあると気づかなものに触れることなどありえないが、そこにあると認識すれば、あるいは触れるかもしれない。そういう理屈なんだ)
僕は少し話を頭の中で整理した。
「つまり、僕がトナリをトナリとして認識していたから、トナリは現実世界に干渉できた?」
(ざっくりと言えばな。さらに踏み込めば、クーンズ伯爵が従える霊魂の軍団とは、クーンズ伯爵がこの世界に霊魂でありながら干渉可能な状態を無数の霊魂に与えた状態のことだ。とどのつまり、俺はお前が最初に手に入れた兵士でもある、ってことだな)
「え……、えっと、もしかして、僕は何十人、何百人と調伏しなくちゃいけない、ってこと?」
それは骨が折れそうだったし、調伏の実際的な方法が理解できていない以上、途方も無いことにしか思えない。
しかしあっさりとトナリは最短距離を説明してくれた。
(いいや、全員を調伏する必要は無い。これは調伏とは少し違うが、この山に存在する霊魂は、基本的に山の神に隷属している。だから山の神を調伏すれば、山の神が従えている霊魂の全ては、お前のものになるだろう。霊魂を一つずつ調伏するのは可能かもしれないが、神は黙っていないはずだ。祟り神でもある。だから、まぁ、この線から考えても、いずれは山の神と対峙するのが必要、ってことだな)
結局、どこからどう進んでも、山の神にぶつかってしまう。
いや、まずはツリナのことを考えよう。けど、ツリナを無事に山から返すとしても、山の神を当たるしかないのか……。
しばらくトナリと二人、黙っていると、小さな声を漏らしてツリナが目を覚ました。ゆっくりと瞼が当たり、瞳がまず僕を捉え、次にトナリに向いて、見開かれた。
跳ね起きた小さな体が距離を取るけれど、僕もトナリも動かなかった。
ツリナは武器を探しているようだが、彼女の短剣は折れていたから放ってきたし、彼女の荷物もここにはない。僕も今は短剣を腰ではなく地面に置いていた。
取っ組み合いにでもなるか、と思ったけれど、ツリナは警戒するのもバカらしくなったのか、少しだけ緊張を緩めた。
「あなたがクーンズ伯爵というのは本当か?」
恫喝するツリナの声はこんな時でも澄んでいて、それはそれで凄みがあった。
「そういうことになっている。でも、何も知らないんだ」
正直に応じる僕に、ツリナは疑念しかない眼差しを返すが、僕はその視線を真っ向から受け止めて、逸さなかった。
また沈黙。ツリナは何か考えているようで、僕はじっとしていた。ちなみに僕の隣では今にもトナリが耳の穴に小指でも突っ込みそうだった。どうやらトナリは真面目な態度はあまり好きではないらしい。どうでもいいか。
やっとツリナが言葉にした。
「何も知らないのに、爵位を継承したのか?」
「そうなるね。でも実際に統一王陛下に拝謁して賜ったから、間違いや勘違いではないと思う」
「クーンズ伯爵が私たちの村で陰で何と呼ばれているか、知っているか。無能の、人食いだ」
「人食い?」
「そうだ。山の神を鎮めることもできず、私たちは大勢を山の神に捧げるしかできない。そうしなくては村に不幸が起こるからだ。山の神の天罰だ」
どういうことだろう。まったく聞いたことのない話だった。
反射的にトナリを見てしまうが、彼は彼で難しそうな顔をしていて、どこかよそでやれ、とでも言いだしそうだった。頼りにならない。
「天罰というのは、何かが起こったということかな」
「私の村ではもう一ヶ月以上、雨が降っていない。田畑は乾き、作物の収穫が危ぶまれている。だから私がここへこうして、神へ、気を鎮めてくださるように、やってきたのだ」
雨?
思わず僕は首を傾げてしまった。
「灌漑のようなものは作られていないのか? 例えばため池のようなものは?」
「誰がその工事を行う?」
予想外の言葉だった。
「誰って、それは、きみのような女の子には難しいかもしれないけど、大人が協力すれば、何か対策は打てるはずだ」
「村には大人などいない。いるのは外から来たものばかりだ」
ツリナの言っていることは、まったく理解できなかった。
そんな僕の態度に怒りよりも呆れを感じたらしい、ツリナが大げさにため息を吐いた。
「私のいた村は、元は神への供犠を生み、育てるだけの場所だ。しかし今では、大人たちは各地を巡って子を買い付けてくる。そうでなければとても間に合わないからだ。村は老人ばかりで、かろうじてこの山への信仰を守っている。働けるのは年寄りか少数の女だ。それがどうして、土木工事などできるというのだ?」
一息にまくし立てたツリナに僕は呆気にとられていた。
供犠を生み、育てる、というのも驚きだったが、現状は違うという。
子どもを買ってくる?
「私も捨て子だ。ここに来るしか、道はなかったんだ!」
ツリナがそう小さく叫んだ時、彼女の目元から何かがキラキラと散った。
見てはいけないものを見た気がして、僕は視線をそらし、知らず、歯を食いしばっていた。
子を売り買いするなど、許されることではない。それも、神に捧げるなどという理由で。
なるほど、確かにこの山の神は、祟り神だろう。
人に災いをなす神など、崇拝する必要はない。
(それよりかさ)
今まで黙っていたトナリが思念を飛ばす。ツリナはキョロキョロと周囲を見ている。頭の中に思念が直接に流れ込むのを訝しんでいるらしい。構わずにトナリは続けている。
(このお嬢ちゃんは、山を降りたいのかね)
僕がツリナに視線を向けると、彼女も僕を見ていた。
「私は」
ツリナははっきりと答えた。
「村のみんなのために、神を鎮める必要がある。山を降りることは、できない」
強い決意には、どこか悲壮なものが含まれていた。
「でも、ツリナ……」
僕は彼女に何かを言おうとして、何を言うべきか、全くわからない自分に気づいた。
諭すべきか。しかし諭したところで、もう選べる道は一つしかない。いや、選べる、というより、進む道、というべきか。
「クーンズ伯爵を侮辱したことは謝罪します」
ツリナが素直さそのままに頭を下げた。
「山の神の元へ、私を案内してください。よろしくお願い致します」
どうするよ、とトナリの思念が頭の中に流れてくる。
どうするもこうするも……。
(続く)
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