第11話

      ◆



 アルコと再会することはすぐにできた。

 彼は以前と同じ姿勢で座っていて、瞑目していた。

(肉体をいきなり喪失はしなかったようだな)

 思念だけが向けられる。アルコの前で僕とトナリは膝を折った。

「とりあえずは、指一本で済みました」

(油断しないことだ。いつでも神は供儀を欲している)

「ええ、油断はしないつもりです。しかしその神ですが、調伏しなくてはいけないのですね?」

 返事はすぐにはなかった。

(調伏、と簡単に言葉ではいうが、その実際は様々だ。私は神と剣を交えることが調伏かとも考えたことがある。その時は失敗した)

「失敗して、何が起こったのですか?」

(神の刃を身に受けて、片足の自由を失った)

 言葉を失う僕と対照的に、アルコは平然と目を閉じている。

(神を切ることができれば、と今でも思うことはあるが、もはや霊魂と化してしまえばそれも意味はあるまい。我々、この山に縛られた霊魂は、いわば神の一部だからだ。仮に神を切るのなら、肉体のあるものだという前提が必要だが、これは極めて危険だ)

「ほ、他に方法は?」

(知らん。私の前任者もその前任者も、すでに正気を失い、ただの亡霊と化している。亡霊となった以上、彼らもこの山を領地として与えられるものの至上命題である、神の調伏を成せなかったのは間違いない)

 八方塞がり、という言葉がこれほどふさわしいこともないだろう。

 成功した人間がおらず、方法すら伝わっていない。

 手探りで、試していくしかないのか。かなり危険な気もするけど、他に手はないのだろうか。

(霊魂の調伏に関しては、きみは少なくとも一度は成功している)

 何気ないようにアルコがそう思念を発したので、危うく聞き流しそうになった。

「調伏に、成功している? どういうことですか?」

 すっとアルコが手を挙げ、指差した。

 トナリを。

 僕はトナリの顔を見て、トナリはさりげなくそっぽを向いた。

 アルコが静かな調子で続ける。

(トナリはきみを主として認めている。何があったかは知らんが、そうであろう、トナリよ)

 どうだかな、とトナリはごまかすようなことを思念で漏らした。

(よくわからんが、まぁ、俺はハヴェルについていてもいいと思えるよ)

(これが調伏というものだ。何をしたのか、自覚はあるかな、ハヴェル殿)

 僕はトナリを見て、アルコを見て、少し斜め上を見た。

「何も自覚がないんですが。トナリ、何か気づいている?」

 あの時だな、とトナリが応じた。

(お前がいきなりブチ切れて、剣を投げつけてきた時があっただろう。あの時、俺の中で何かが変わった気がする。まぁ、単純に、激しい感情も持っているんだな、と感心しただけかもしれないがね)

 剣を投げつけることで調伏する?

 頭の中で、空想の中の神にそこらに落ちている剣を投げつける自分を想像した。

 ……うーん、何か違うような。絶対に違うような気がする。

(調伏の仕方は人それぞれ。やりたいようにやるのが良い)

 アルコが助け舟を出すように思念を発する。

(私も何人かの霊魂を調伏したが、私はその全てを剣術によって調伏した。失敗したこともあったが、成功したのは事実だ)

 まさかアルコが剣を振るうのと、僕が剣を投げつけたのが同じということはないだろう。もし同じだとすると、僕には剣術の心得などないのだから、それこそ神に向かってさえも剣を投げつけるしかやりようがない。

 あまりにも馬鹿げている。そんなことで調伏される神がいるわけがない。

「他に何か、その、助言のようなものは……」

(ない)

 そっけない返事だった。

 それでも、アルコにも引け目があったのか、付け足された言葉があった。

(しかし、命を捨てる覚悟でなければ、何も成せないであろう。覚悟こそが神や霊魂に訴えかける、唯一の力なのだ)

 わかるような、わからないような。

 死ぬ気でぶつかれ、ということかもしれないけれど、僕は死にたくない。死にたくないと思っている限り、本当の意味で死ぬ気ではぶつかれないように思えた。

(ま、方策はおいおい考えようぜ)

 トナリが立ち上がり、僕を促した。

(なんとかなるだろう。まだ少しは時間もあるわけだし)

 そうかもね、と僕は立ち上がったけれど、駄目押しのようにアルコが思念を飛ばした。

(剣術の稽古は続けるべきだ。この山の神は祟り神とはいえ、剣の神である。剣を持たぬ者には、牙を剥くのをためらう理由がない)

「……ええ、心しておきます」

 それで良い、というようにアルコが重々しく頷いた。

 行こうぜ、と歩き出すトナリに続いて、僕はアルコの前から離れた。老人は最後まで座り込んだまま、じっとして動かなかった。

 しばらく森の中を進み、どうしたもんかね、と不意にトナリが思念を漏らした。

(このままじゃ、あんたは近いうちに供犠のそのものになっちまう。別に俺としては絶対に回避したい展開でもないが、あんたは回避したいだろう。かといって、山の神があんたを認める理由も見当たらない。一方で、俺のようなただの霊魂を一つずつ調伏していても埒があかない。神を調伏する練習になるとも思えないしな)

 つらつらとトナリが状況を整理してくれるものの、進むべき方向は見えてこない。

(何か知恵はあるかな。当事者として、知恵を絞ってくれると助かるんだが)

 肩越しにトナリがこちらを振り返ったけど、僕が言葉を返さないからだろう、彼は鼻を鳴らして前に向き直ってしまった。

 僕は何のひらめきもなかった。知識もないし、経験もない。直感しか頼るものがないのに、あてになりそうもない。

 五里霧中、というところか。

 参ったなぁ、と思わず声が漏れてしまい、俺もだよ、とトナリが思念で応じてきた。

 その時だった。

 何の前触れもなく、頭上を追う木々が激しくざわめき、それに合わせるようにトナリが足を止めた。僕も足を止めて、たいして風が吹いているようでもないのに、枝葉が擦れる音が轟音と言ってもいい大きさになるのを見上げていた。

 その音は不意に止んで、静寂が戻ってくる。

 いや、今まで聞こえていた鳥の鳴き声が何も聞こえない。全くの静寂だった。

 何かが起こったらしいけれど、僕には理解できないことだ。

「何かあったようだけど」

 僕は一応、言葉にしてトナリに確認してみた。

 トナリはいつになく険しい雰囲気で、今はどこか、木立の向こうに目をやっている。

(供犠だ)

「え? なんだって?」

 トナリはゆっくりと、はっきりと思念で伝えてきた。

(供犠だ。この山に入ってきたものがいる)



(続く)

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