第8話

       ◆


 アルコは、姿勢を変えないまま、話し始めた。

(私はすでに死んだ身だ。だから伯爵位は失った。死者は死者なのだ)

 僕が先ほどの膝を折った不自然な姿勢でいると、さっとアルコは手を振る。楽にしていい、ということらしい。トナリが膝をくずしたので、僕も姿勢を変えた。

 アルコは話を続ける。

(きみは今、陛下に捨てられた、裏切られたと思っているかもしれない。しかし実際にはきみは、恵まれている。栄えある「円卓の騎士」、近衛騎士の一員になれると見込まれているのだ)

 円卓の騎士?

 近衛騎士?

 僕が?

(知らないか?)

「いえ……。しかし、あの「円卓の騎士」のことですか? 近衛騎士を統べる?」

(そうだ。陛下のそばに仕え、その身を守り、統一王国を守る、重要な役目だ)

 はあ、ともう何度目かわからない、とぼけた返事しかできなかった。

 円卓の騎士、あるいは近衛騎士と呼ばれる人たちは、例外もいるけれど、基本的には圧倒的な武力を持つ人の集団である。一人での圧倒的な技量の持ち主もいれば、指揮官として優れているものもいる。魔術師もいる。

 そんな人たちに、どうして僕が並べると陛下は見込んだのだろう。

 僕の疑問に、アルコは軽く顎を引くようにした。また思考が読まれているらしい。

(この山、ルセス山に宿る神を調伏したものは、この山に消えた全ての剣士をその配下とできるのだ)

「は、配下?」

 思わず周囲に視線を向けてしまった。

 山に消えた、と聞こえたが、山に消えたというのはどういう意味か。ぼんやりと、周囲から何かが滲み出してくるような錯覚があったが、見たところ、暗闇に包まれた視界に動くものはなかった。しかし、足元の地面から人の骸骨が出てきそうな気もした。

(きみはなかなか面白味があるな)

 アルコはしかし、まったく面白くもなさそうに言うと、僕が向き直るのを待って、説明を再開した。

(きみがこの山の神を調伏すれば、きみはこの山に満ちている剣士の亡霊を配下とできるのだ。千を超える使い手たちが、きみの自由になる。その力を統一王国、統一王陛下のために使うことが、きみに求められている)

「亡霊の、兵団?」

(全てはきみが神とどう折り合いをつけるか、ということだ。私にはできなかったことだ)

「できなかった? つまりそれは……」

(私はこの山で数十年をひたすら過ごし、こうして肉体を失ったのだ。そしてこうして精神だけの存在として、さらに長い時間をここで彷徨うことになる)

 どう答えるべきか、わからなかった。

 老人のことを心配したり気遣う場面かもしれないが、それどころではない。

 僕が近衛騎士になるように期待されているのはわかった。実際にはまだ疑っているけど、わかったことにしよう。しかし、期待されているとしても、こうしてこのよくわからない山に放り込まれた時点で、悲劇に転落する可能性が極めて高い。

 統一王陛下は、やっぱり僕を騙したのでは?

(ま、努力次第であろうな。陛下を恨んだところで、二度とご尊顔を拝することもないかもしれないことだし)

 実にそっけない老人の言葉に、僕はやはり返す言葉はなく、それどころか思考も停止していた。

 アルコにトナリが、大丈夫かね、と思念で声をかけたが、知らん、とアルコは素っ気なかった。

 僕はしばらくの沈黙の後、やっと言葉を口にすることができた。

「それで、僕は何をすればいいのですか?」

 意外に切り替えが早いな、とアルコは囁くような思念を発し、一度、確かに頷いた。

(この山に入った以上、少しずつだがその肉体は失われていく。肉体を完全に失うのを先送りにするには、剣を学ぶことだ。そうして神の興味を引く。もちろん、いつかは肉体を召し上げられるがな。死にたくなければ肉体を喪失する前に、神を調伏できるか、試すしかない)

「神を調伏するって、その、アルコさんはそれができたのですか?」

(ここにこうしていることが答えだし、きみは私の言ったことを聞いていなかったのか? 私は陛下のお顔を二度と見ることはなかった。山から降りられなかったということは、神を調伏できなかった、ということになる)

 まじまじと僕はアルコの顔を見た。観察した。

 いかにも質実剛健な風貌で、座っていても姿勢がいい。一方、僕はといえば、中肉中背で、いかにも頼りないだろう。

 外見でどうこう言えないとはいえ、アルコのような人が何十年もかけて出来なかったことを、僕ができるとは思えない。

 できるとは思えないとしても、やる以外に道はないらしかった。

(まずは剣を学べ。どうやら素人のようだが、この山には亡霊として無数の使い手がいる。教師には困らんだろう。苦労するだろうが、剣が使えないようでは神もお見逃しにならぬはずだ)

「あの、剣が使えないと、どれくらいで肉体を喪失するのですか」

(私がこの山で様子を見た限り、二十日というものだろう)

「二十日。……二十日ぁっ?」

 あっという間じゃないか。

(神というものは短気なものだ。覚悟は決まったか。明日からでも、稽古を始めるのだな)

 まったく理解が追いついていなかった。

 いきなり剣を学ぶことになり、しかも幽霊に教わり、その上で二十日のうちに何かが起こらないと、僕も幽霊に変わってしまうということか。

 そんな無茶な……。

(ああ、大事なことを伝え忘れていた)

 この上、重大な聞き漏らしがあってはいけないので、僕は真剣に、本気で目の前の老人の亡霊を見た。

(クーンズ伯爵の爵位は、与えられるものが限られる。その理由は、霊魂を見ることができるものが限られるからだ。ましてや、神をその目で見ることができるものは極めて少ない。私にはその素質があったが、きみにもあるのだろう)

 老人が不意に瞼を開け、まっすぐに僕を見た。

(それが不運となるか幸運となるかは、きみ次第だ、ハヴェル)

「いや……」

 僕は思わず声を漏らしていた。

「どう考えても不運ですよね」

 アルコは目を閉じるとささやかな思念で答えた。

(価値観は人それぞれだな)

 笑えない冗談だった。



(続く)

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