第4話

       ◆


 統一王陛下の実際の顔を何人が知っているのか、そのことを僕は短い時間で繰り返し頭の中で検討した。

 目の前の黒髪の青年が統一王陛下、というのは事実だろうか。

 事実だろう。事実のはずだ。

「僕のことはミカと呼んでくれ。僕の個人的な友人はそう呼ぶ。このおっかないのはカズー、きみの世話を焼いてくれたのは侍従のユーリ」

 壮年の男性、カズーは一層、険しい顔になりながらわずかに目線を下げただけ。侍従だと判明した寡黙な官吏のユーリはやっぱり無言だった。

 僕は自分がどうするべきか、まったくわからなくなっていた。

 自分が伯爵になるのもわからなかったけれど、こうして統一王陛下やそのそばに仕える者たちに囲まれているのが、まったくわからない。

 統一王陛下、ミカだけが饒舌だった。

「ハヴェルからすれば自分が置かれた状況が信じられないことだろうけど、僕たちもあまり余裕がなくてね。きみならクーンズ伯領をうまく運営できるだろうということになって、早速、顔を見せてもらったということ」

「へ、陛下、その、よく状況が分からないのですが……、いえ、まったくわからない、と言いますか……」

「一つずつ、話していこう。時間はまだ少し余裕がある」

 僕が動揺しきっているのに対し、ミカは余裕だった。当たり前か。

「まずは、ハヴェル、クーンズ伯領は統一王国の西部にあるけれど、さほど広い領地ではない。というか、ちょっとした山がクーンズ伯領の全てだ」

「や、山、というのは、山ですか?」

「そう、山だよ。人の手はほとんど入っていないから、結構、野性味に富んだ山になる」

 はあ、という曖昧な返事しかできなかった。

 山を与えられて、僕はどうすればいいのだろう。故郷のヴァード伯爵領は主な産業が林業と鉱業だったことを加味すると、その経験を生かせ、ということだろうか。でも僕はその分野に精通しているわけではない。ヴァード伯爵家の家臣の方が僕より詳しいだろう。

 そのことを口にしようとすると、ミカは全く予想外のことを言い出した。

「ハヴェル、剣術を学んだことはあるかい?」

「は、え、え……? 剣術と言いますと……?」

「剣術は剣術だよ。他に何がある?」

 剣術は剣術だろうけど、困惑しかない。

「あの、私は、剣術の経験はございません」

 あらら、とミカはなんでもないように声にするが、伯爵領を治めるにあたって剣術が必要なのだろうか。

 剣術の必要性を確認する必要はなかった。

 ミカが明言したからだ。

「クーンズ伯領とされる山、ルセス山は元は剣の神が住まうとされた山でね、剣術がかなり重要になる。ま、素人でもなんとかなるさ」

 剣術が重要になる、と言っているのに、素人でもなんとかなる、というのは激しく矛盾するような気がする。

「あの、陛下、本当に素人でも問題はないのでしょうか?」

 ま、ね。

 と、ミカが言った次に、彼の視線が確かにカズーを見た。

 刹那、光が瞬いた。

「え?」

 目と鼻の先にあるのは、剣の切っ先だった。

 身を引く間もない早業だったが、僕が見ている前で剣は翻って魔法のようにカズーの腰の鞘へ戻っていた。

 そのカズーが不機嫌そうに、低い声を漏らす。

「ミカ、これは少し、鈍すぎるのではないか?」

 かもね、とミカはもごもご答えながら、器を手に取って音をたてながらお茶をすすった。

 僕はまだ自分の身に何が起こったのか、理解していなかった。

 剣を向けられた? 殺すつもりはなかっただろうけど、僕を試したのか?

 試されても、どうしようもない。

 カズーがその気になれば、いや、ちょっと剣術の心得があるものが本気になれば、僕は何もできずに切り捨てられるだろう。

 器を空にしたミカが、まだ驚きから立ち直れない僕に少し身を乗り出し、力づけるようなことを言い出した。

「剣の神は、まぁ、今は祟り神だけど、頑張って、ハヴェル!」

 頑張れって。

 いやいや、それよりも……。

「今、祟り神とおっしゃいましたよね?」

「え? 言ったかな。大丈夫だよ、ハヴェル。いきなり神様と対面することにはならないはずだから」

 さすがに僕がどれだけ鈍くても、置かれた状況がわかってきた。

「陛下、もしかして僕は、生贄ですか?」

 この時ばかりは僕もはっきりと問いただすことができた。相手が誰であろうと、命の危機を前にすれば堂々とできるものらしい。

 もっとも、ミカはミカで堂々としていた。

「生贄? きみには期待しているよ。理由を知りたいかい?」

「ええ、是非お聞きしたく存じます。教えていただけますか」

 意地の張り合いになった。自分でもどこから度胸が出たのか、わからなかったけど、僕は強気だったし、自分が正しいと思っていた。

 そう、思っていた。

「きみは幽霊を見るだろう? そう聞いている」

 ミカがそう言葉にした時、僕は一瞬の空白の後、卒倒するかと思った。

 雰囲気に合わない、不敵な笑みをミカが浮かべた。

「噂は本当らしいね。幽霊を見る、その体質がきみをクーンズ伯爵にした理由だよ」

 僕は、何も答えられなかった。

 そしてそんな僕の前で、ミカは勝手に僕がすることを挙げていった。

 と言っても、数はそれほど多くない。ただ二点だけだ。

 ルセス山の神とうまくやるように。

 クーンズ伯領には小さな集落が幾つかあるから、そこで暮らすものの面倒は見るように。

 どちらも僕からすれば簡単なようで、至難に思えた。

「いいかい、ハヴェル。ルセス山に入った時からきみは自力で全てを解決するしかない。誰の助けも得られないだろう」

「どういうことでしょうか、陛下」

 食い下がるような問いが出たのは、とっさのことだった。

 ミカは、なんでもないように答えた。

「ルセス山は、一度入ったら出られない、と言われている。そしてそれは事実だ」

 入ると出られない?

 ルセス山はね、とこの時だけはミカも困った顔になった。

「ルセス山はね、魔の山とも言われている」

 魔の山……。



(続く)

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