第2話
◆
旅装のままでは不敬ではないか、とまず思った。
謁見のための部屋はさほど広いわけではなかったし、大勢が待ち構えているわけでもなかったが、それでも僕にとっては異質だった。
部屋の奥に二段ほど高くなっているところがあり、そこに玉座というのだろうか、立派な椅子が置かれている。黄金製だったり、宝石が散りばめられていたりすれば間違いなく玉座だけど、意外に質素な作りだったので、玉座かどうか、曖昧だ。
部屋には六名の人物がすでに控え、三人ずつ、左右の壁際で椅子に座り、口元を扇で隠しながらボソボソと話している。たまにチラ、チラ、と彼らが僕の方を見るので、落ち着かないこと甚だしい。
彼らも官吏の制服を着ているが、明らかに質の高い素材で仕立てられている。僕の旅装はそんな彼らの身につけている服と比べると、平民が着飾ったとしか見えない。
問題は別にもあった。僕は一応、男爵であることを示す襟飾をつけているが、僕を挟んで並ぶ六人は、明らかにその手の身分を明かすものをつけていない。
伯爵、ではないだろう。亡父や亡兄と比べても、身なりもそぶりも一段も二段も違う。もっと上流なのではないか。なら侯爵家に連なる人物、そうでなくても統一王の側に仕える高級官吏というような階級になるが、何故、襟章をつけていないのだろう?
記憶を遡ると僕を馬車から連れ出した官吏も襟章をつけていなかった。その時は内密に王宮に呼ばれたわけだし、僕のような人間に高位の官吏が相手をすることもないのだろう、と思っていたけど、それはどうやら勘違いだ。
王宮に詰めているような官吏が、爵位や位階、役職を示す襟飾をつけない理由はない。
逆なのだ。
この場にいる人間、もしくは僕と接した人間は、わざと立場を明らかにしていない。
不穏、としか解釈できない。
僕はこれからどうなるのだろう。
そんなことを思った時、不意に部屋にある扉の一つが開いた。狭い部屋なのに、扉ばかり多い部屋なのだ。きっと立場によって利用する扉が違うのだろう。
ともかく、開いた扉から初老の男性が進み出てくると、決して強い調子ではないがよく通る声で短く宣言した。
「統一王陛下、ご臨席でございます」
その一言で、僕の左右にいた六人がまるで打ち合わせていたように一斉に立ち上がると、まだ空席の椅子に方に向いて頭を垂れた。
遠い昔に亡父から儀礼における所作を学んだけれど、使う機会もないままここまで来てしまったので、必死に思い出しつつ、僕も頭を垂れた。
短い沈黙の後、衣擦れの音と靴音がして、それはどうやら椅子に近づき、腰掛けたようだ。視界の外なので、わからないけど。
また沈黙がやってきて、「面を上げよ」と低い声が投げかけられた。
僕も顔を上げていいのか、とっさに判断がつきかねているうちに左右では六人が顔を上げた気配がした。完全に機を逸したので、僕は顔を上げられないまま、姿勢を強張らせるしかなかった。
「ハヴェル・ジェイズ男爵、面を上げよ」
再び声がかけられても、僕は混乱の極みに達していて、そのおそらくこの国で最も尊い人物の言葉にどう応じればいいか、思考は空転していた。
「ひ、ひ、卑賎の身でありながら、恐れ多く……」
どうにかそう応じると、誰かが小さく失笑したようだった。
「構わぬ、顔を見せよ、ジェイズ男爵」
僕は恐る恐る、顔を上げていった。子どもの頃、いたずらをして亡父に叱られたことがあったが、その時に亡父をまっすぐ見れなかったことを何故か、思い出した。
玉座に座る人物の足がまず見え、次に控えめだが豪奢な衣装が見え、顔が見える……はずだったが、顔は幕で隠されていた。
拍子抜けしたが、何も考えずにその薄い幕を凝視してしまい、すぐ隣から咳払いが聞こえるまでの間、僕は固まっていた。
統一王陛下のご尊顔を隠している幕は頭に被る帽子のようなものと一体になっているのはわかった。そう、統一王陛下は滅多にその素顔を他人には見せないのだ。このような帽子を被るという話は、誰かに聞いたことがあった。そうでないときは御簾の向こうにいるのだ、とも。
「余の顔に何か?」
いきなり統一王陛下がそう声を発し、理解するまで時間がかかった。
そして理解した時には、血の気が音を立てて引いていた。
改めて深く頭を垂れ、「申し訳ございません」と声にしようとしたが、声は裏返り、素っ頓狂なものになっていた。しかし笑うものもいない。ある種の地獄だった。
統一王陛下も気にした様子もなく、いきなり本題に切り込んできたので、僕は床に敷き詰められた織物だけを見ながら、聴覚に全神経を集中させた。
「ハヴェル、そなたに伯爵位を授けることとする。これよりそなたはクーンズ伯爵ハヴェルとして、余に仕えよ。まずは領地へ赴き、その地のことを理解せよ。良いな?」
「は……、はっ! 御意のままに」
やっぱり声はひっくり返っていたけど、それよりも何を言われたのか、答えなければいけないという一心の僕はわかっていなかった。
僕が、伯爵? どうしてそうなる? 良くも悪くも何もしていないのに。
その疑問を向けるのは、相手が相手で、不可能というものだ。父や兄に問いかけるようにはいかない。相手は至尊の人物で、僕はついさっきまで、領地も家臣も持たないただの男爵に過ぎなかったのだ。
「励め」
その声と同時に、衣摺れが聞こえた。陛下が立ち上がったのだろう。僕の左右でも、身じろぎせず、一言も声を発さなかった六人が一斉に動いた気配がした。
床を見ているうちに、扉が閉まる音がして、それきり何も聞こえなくなり、いきなり左右で会話が始まったので僕は反射的に顔を上げた。
六人の官吏たちは大声で話しながら、すでに統一王陛下が消えた扉とは別の扉へ向かっている。僕だけが取り残されようとしていたけれど、そこへどこに隠れていたのか、最初に僕を案内した官吏が近づいてくるのが見えた。
彼は無愛想そのままで、「こちらへ、伯爵閣下」と声をかけて身振りで、陛下が使ったので、も六人が使ったのでもない扉へ僕を促した。
しかし、伯爵閣下?
理解できないことで僕の思考は飽和していて、何も考えないままに僕は示された扉を抜けていた。
短い廊下を茫然自失で進むうちに、背後で扉が閉まった。
廊下が薄暗いのに気付き、はっとして振り返ったが、扉は閉じている。官吏が静かに「こちらへ」と先に立つので、僕はついていくしかなかった。
前方の扉が開かれると、光が一条、僕の足元まで鮮やかに差したのだった。
何かの祝福のように。
しかし、何の?
(続く)
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